第6話 その9
「どうして」
女性は、圧し殺した声で言った。
「どうして、私が縁切り神社に連れてこられなきゃいけないんですか」
岡崎のパートナーの名前は、高岡真理子という。高岡というのは亡くなった夫の姓らしい。靖成の母聡子と同じくらいで、還暦前後の女性は現代の感覚ではまだ若いはずだが、年上の岡崎よりかなり疲れ、老けてみえる。
拝殿では、本殿を右手に見る位置に靖成たち一家が座り、向かいに岡崎と真理子が座った。ユキはというと、本殿のあたりを気ままに浮遊している。
それっぽくなるから、と宮司に渡された木の札を胸元に掲げ、靖成は口を開いた。
「ええと、高岡さん。今日は男女の縁というより、あなたを踏み止まらせている、しがらみを断つために来たんです」
靖成は言葉を選んで話す。しかし今日の相手(客)は自分の親と同世代、というか、親の友人の祈祷に親同伴で臨むという罰ゲームのようなシチュエーションであり、靖成は背筋が伸びるどころかやる気がなくなっていくのが自分でわかる。
はあ、と溜め息をつくと脇からユキに突っ込まれた。
「靖成、気持ちはわかるけどさ。賀奈枝ちゃんにいいとこ見せるためと思ってやったほうがいいぜ」
「そうよ、やっくん。なんていうのかしら……元服みたいな?」
「いや、元服にしては老けすぎだろう。ユキちゃんならわかるけどな」
「俺は侍じゃねえっつーの」
外野が好き勝手騒いでいるのを半分は受け流しながらも、賀奈枝のことが気になる靖成は(やや)猫背を伸ばす。
「これが一段落したら、橋口さんは目を覚ますんだよね?」
「知らねーよ。それとこれは別だ」
ユキの返事は身も蓋もないが、関連性に確信がなく、潜った意識がいつ浮上するかまちまちなのは、靖成自身よくわかっている。
「とにかく。しがらみです。自分で、おわかりですか?」
靖成の言葉に真理子は「しがらみ」と呟き、質問し返してきた。
「亡くなった主人のことですか?」
やっぱり、と靖成は思う。そして答えがそれだと他人から断定されたいのだろう。ユキは肩をすくめた。
「高岡さん、やっぱり岡崎さんの亡くなった奥さんが気になるから、という理由ではなく、ご主人に対して後ろめたく思っているんですね」
前回、祈祷の際に岡崎の妻の写真を依り代にしようとして失敗したのだ。つまり、念の向ける矛先が違っていたのである。真理子は、体を強張らせた。
「でも、ご主人は残されたあなたが幸せになるのを嫌がるような方でしたか?あなたにとって疎ましい存在だったんでしょうか?」
真理子はほとんど反射的にという早さで首を振った。
「出張や駐在ばかりでしたが、慣れるとむしろいないほうが楽でした。疎ましいどころか……」
その言葉に聡子が頷く。
「亭主元気で留守がいいってやつね」
「お母さん、そんなあからさまな……」
父圭介もしょっちゅう海外出張へいくのだ。靖成は母を制したが、真理子は苦笑した。
「そうですね。でもどこかにいるのと、どこにもいないのとでは違うんですよ」
岡崎が静かに頷く。妻を先に亡くした彼も気持ちがよくわかるのだろう。だからこそ岡崎が真理子にアプローチしたのだろうし、そこに後ろめたさを感じる必要はないはずだ。
「周りの声が、気になるんですか?」
親戚から、駐在の夫の健康管理はしていたのか詰られたそうだが、それも無理な話だ。しかし真理子は否定も肯定もしない。
圭介が口を開いた。
「高岡さん、むしろ、あなたはご主人の留守中に一人でお子さん達を育て上げた、立派な方だ。これからは自分のことを第一に考えても……」
靖成は、首を傾げながらもおとなしく聞いていた。ユキが近くに来たので「ねえこれ祈祷じゃなくてカウンセリングじゃない?」とこっそり言ったら「独身の靖成には無理なカウンセリングだな」と返されてしまった。なんだかな。
「そうですよ。せっかく岡崎さんていう良い方が現れたんですし、一人で気を張って子育てをしていた時のご褒美と思って。うちだってこの人(圭介)は海外出張だと月単位で帰ってこないから、やんちゃな男子の相手を女手ひとつでこなしていましたし」
母聡子も参戦してきた。靖成がじっと母を見ると、ユキがボソッと補足をする。
「圭介も家にあまりいなかったけどさあ。靖成はインドアで手がかかんないし、そもそも俺がだいたい相手してたから、さっちゃんは習い事に出掛けたり羽伸ばしまくってたじゃねえか」
ああ、やっぱり、と靖成が母を見るとそ知らぬふりをしている。父は気にしていないらしい。
「主人は」
おもむろに真理子が口を開いた。先ほどまでとは違う、抑揚のない声で呟く。
「主人は本当に『いた』んでしょうか……定年になったらゆっくりしようと言われても、結婚してからあまり顔を合わせないで、そのままいなくなっちゃって……」
一同は真理子を見るが、真理子は誰のことも見ていないようだ。
「全部夢だったんじゃないか、って思ったんですよ。結婚していた30年間が。30年分の私が……」
数秒の沈黙があった。
真理子が続きを話さないのを確認し、圭介が穏やかに言った。
「まあとにかく、引っ掛かっていることがあるなら、その気持ちを断ち切りましょう」
父に目配せされた靖成はゆっくりと立ち上がり、一歩前に出るとユキに合図をした。ユキは指でオッケーマークを作り、袖を翻して両手をふわっと広げる。パリッと空気が変わり、一同がいる拝殿だけが、遮断されたように静かになった。
「……始めます」
おごそかな雰囲気で靖成は言ったが、背後からは「やっくん、ファイト!」という母の声が聞こえる。はーぁ、と溜め息をつきながらも靖成は袂から一枚の和紙を出した。
描かれているのは、悪夢を食べる、獏だ。動物園で見るバクよりいかつい、象のような鼻と牙、鋭い目、虎のような足を持っている。夢遊病のような真理子の様子を見て、悪意を発している自覚がないなら意識ごと食べさせてしまおうと靖成は思ったのだが、あながちはずれてはいなかったようだ。
圭介と聡子は和紙を指さして品評している。
「獏はさ、鼻が特徴なんだよ。なかなかかっこいいだろ?」
「ほんと。やっぱり圭ちゃんて絵が上手いのねえー」
そう。鼻が伸びてともすれば間抜けになりかねない獏でも、圭介が描くとシュッとする。ちなみに靖成が描くとゆるめのアリクイに似てしまうので、今回は父の式神を拝借した。
「さて。うまく念が出て来てくれたら良いけどな。前回は賀奈枝ちゃんがいたからか、向こうから出てきたけどな」
ユキは首をコキッと鳴らした。
「え?前回ってそんな感じだったの?てか、そのために橋口さん呼んだの?ひょっとして」
「そのためにかはわかんねーけど、場所教えたのはさっちゃんだろ」
靖成が勢いよく振り向いたが、母はなんのこと?と言わんばかりのすっとぼけた顔をしている。
「……なんさか……俺の知らないところで色々なことが起こってる気がする」
「んなこと言ったら人生なんて不測の事態ばっかりだぜ。とにかく、前回失敗したのはアリクイっぽい獏だったからかもしんねーけど、今回はきっちり仕事してくれよ?」
いくぞ、とユキは靖成の手元から和紙を受け取り、ふぅっと息を吹き掛けた。
「お願いします……」
冬だから、というわけではなく、吐息は白く小さな結晶をいくつも作り、和紙に描かれた獏を包む。すると和紙の中心は餅が膨らむように盛り上がり、一呼吸置いて黒い四足獣を吐き出した。




