第1話 その4(1話終わり)
それから1週間、外回り中心であまり会社にいなかった靖成だったが、たまたま帰るときに駅で賀奈枝とばったり会った。
なんか眩しい。普通のOLファッションなのに、夜のネオン街よりキラキラしている。梅雨時の湿気にも負けないくらい髪も綺麗にセットされており、湿気が無くてもヨレてる靖成は本能的に1歩引く。しかし紅梅色のオーラはそのままだったので、そこはちょっと安心した。
「篠目さん」
賀奈枝は、声のトーンも明るい。こんばんは、橋口さん、と靖成が挨拶を返すと、笑顔で姉夫婦のことを話し始めた。どうやら仲直りしたらしく、身内として安堵した様子が伺えて何よりだった。
先日ちょっと愚痴ってしまいましたがお陰様で、という礼は律儀だが、確かに陰ながら靖成が祓ったからだ。礼には及ばず、と靖成は言いそうになったが、良かったですねと社会人らしい返事にとどめておいた。
「…そうだ、橋口さん。ちょっとお茶をごちそうさせてください。お義兄さんの転職祝いに」
雅史のお祓いは本部の依頼だったので、靖成には祈祷料が入ったのだ。雅史や麻理恵に還元するわけにいかないが、賀奈枝がヒントをくれたため丸くおさまった感はある。
「転職するって、どうして知ってるんですか?」
賀奈枝のオーラが、一瞬濃くなった恋愛モードから通常モードに、つまり靖成にほぼ見えないくらいまで落ち着く。しかし靖成にはそれでちょうどいい。
同じサラリーマンですから、と適当な返事をして、靖成は以前から目をつけていた甘味処に賀奈枝を誘った。30代独身男性1人では入りづらい甘味処だが、賀奈枝がいたら違和感はない。
賀奈枝は特大抹茶クリームあんみつパフェを頼んだ。靖成も同じものである。
おー、とビジュアルのインパクトにまず心の中で歓声を上げると、斜め上空から声がした。
「靖成、今日は油淋鶏だって言ったじゃねえか」
わ、揚げ物か。
しかしユキは、靖成の向かいにいるのがピンクのオーラの主とわかったらしい。まあ、冷蔵庫にいれとくよ、という、ちょっとにやついた声が聞こえる。靖成は、この際パフェが食べられたらなんでもいい。
当然のことながら賀奈枝にユキは見えず、平和な甘味処デート、もとい接待が始まった。賀奈枝も律儀に姉夫婦の話をするので、会社の先輩が人生相談を受けてるように見えなくもない。
姉の夫は、と賀奈枝はさくさくとスプーンを口に運びながら喋る。器用だ。
「未経験の職種に転職を考えているらしいので、不安はあるみたいですが」
「どうにかなるんじゃないですか。自分も中途で入ったし」
へえ、とか、なるほど、など、靖成のうわべだけの話にも、賀奈枝はまあまあ真面目に返事をしている。パフェは美味い。靖成はユキの視線を受け流しつつ、これも仕事のアフターフォローだ、と開き直った。賀奈枝の話から本当に麻理恵と雅史夫婦が仲直りしたのもわかり、ホッとしたのも事実である。
しかし、賀奈枝は靖成に何か他に言いたいことがあり、タイミングを伺っているようだ。
「…あの」
はい、と靖成はクリームを食べながら無防備に返事をした。そこで取り出されたのは、靖成が先日賀奈枝の鞄にしのばせた札だ。
札には、普通の人にはよくわからない、うにゃっとした文字が書かれている。
あ、やべっ、と靖成は思ったが幸いクリームに口を占領されて声にはならなかった。靖成は密かにクリームへ感謝をする。
賀奈枝は、靖成をじっと見た。パフェの器はすでに空だ。早い。いつの間に食べ終わったんだろうと靖成が凝視している器をさりげなく横に移動して、賀奈枝は札をテーブルの真ん中においた。
「これ…なんだと思いますか?」
「紙ですね」
靖成は真面目に答えた。
「でも、あれに似てません?ほら、あの、キョンシーのおでこに貼るやつ。で、貼られたキョンシーは動きが止まるっていう…」
なるほど、そう来たか。靖成はユキをちらっと見たが、ユキは最初に可愛い道士の映画が流行った80年代を思い出したのか、懐かしそうにしている。なんだかな。
「ああ、ありましたね…橋口さん、なんでそんな昔の映画知ってるんですか?」
「最近リバイバルなんです。で、ネットで昔の映画も見ました」
ネットは便利だ。しかし靖成は陰陽師だ。それで?と一応続きを促してみた。相手の話を聞くのは営業トークでも大事である。
賀奈枝は、ちょっと躊躇ってから靖成に聞いた。
「篠目さんですよね?これを私の鞄に入れたの」
バレてる。しかし、細かいところが間違っているのでどう答えたら良いものかと靖成は悩む。
「私がお化け怖いって言ったから、それでお守りにこれを入れてくれたのかなって…。私、小さい頃に姉とケンカするたびに、お化けが来るよって脅かされてきたから本当に苦手で」
言ってるそばから、普通は見えない怪しい霧のようなものが発生した。ああ、やばい。ほらまた変なの呼んだよ。靖成はそう思いながらもパフェの器を手にしているので、代わりにユキが面倒くさそうに手をパタパタとあおぎ霧を祓う。
「いまいち彼ができないのもそのせいかなって…」
「ああ…そう…かも知れないですねえ…」
靖成の目が泳いだ。
最近自分で適当にうそぶいたベタなセリフだ。
「でも、篠目さんはお化けを怖がらなそうって思っていたから、お札なんて持っているなんてびっくりしました」
なるほど。
ある意味正しく認識されていたようで、靖成は感心した。
「これは、まあ…お守りです。うち、実家がそういう関係なんで」
「キョンシー退治ですか?!」
惜しい。いや、違う。
「うーん、競合他社…違うな。グループ会社みたいな…。じゃない。まあひとまず細かいことは気にしないで下さい」
「神社ですか?」
発想が日本人に戻ったらしい。そうだよ、そっちがデフォルトでは、と靖成は微妙な気持ちだが、せっかくなので、真面目に答えた。
「そんな感じです。神様は、いると思います。守り神的な、何かは」
そのへんに。
横目で宙を見た靖成は、二人の成り行きを見守っているユキと目があった。靖成は、慎重に言葉を継ぐ。
「脅しのために捏造されたお化けは気にしないで。あれはいません」
先ほどから浮遊していた不穏な霧が、靖成の言葉でパッと晴れ、賀奈枝が、え?と目を丸くしたのがわかった。
「マイナスなことを考えると、引き寄せるだけです。せっかく綺麗なオーラを持ってるのに勿体無い…」
靖成は、最後に器の底に残った甘いシロップを、名残惜しそうにすくって食べたが、何か先程と気配が変わったのに気づいて賀奈枝を見た。
「おお…」
綺麗という言葉がブースターになったのか、一層鮮やかな紅梅色のオーラが、靖成に向いている。うわ、これやばいやつ。
ありがとうございます…と照れながら頭を下げる賀奈枝は、意外と仕草も可愛い。うわ、ちょっとダメだろ。
ユキが、ニヤニヤしながら靖成の脇腹を肘でつついた。ベタだが、当事者がこんないたたまれない気持ちになるとは、靖成は知らなかった。思わず靖成は口走る。
「ユキちゃん、助けて…」
賀奈枝はそれを聞き逃さなかったのか、その瞬間、さっとオーラが黒とピンクのマーブルになる。こわっ、とユキが叫んで飛び退き、靖成は更に慌てる。
「うわ!すみません、いや、違います…ユキちゃんは母みたいなもので…」
お母さん?と、賀奈枝のオーラが困惑して混ざり合うほど、靖成はどつぼにはまった言い訳を口走っていた。ああ、だから嫌なんだ、陰陽師なんて。
靖成は心の中でひっそり嘆いた。
第1話
了
お付き合いいただき、ありがとうございました。
ユキちゃんは、あと角煮とボルシチが得意です。
アパートにはオーブンがないため、ラザニアが作れないのが残念。