第4話 その7
その日の朝、賀奈枝は少し考え事をしていた。
気づいたら乗り換え駅を過ぎ、慌てて降りて反対車線に移動する。
(リストラかあ)
賀奈枝が思い浮かべている当事者は、一度しか会っていない靖成の友人のことだ。自分も職場を変えているし、姉の夫も転職したばかりだが、やはり自分の意思ではない場合は大変だろう。
家族に囲まれ幸せそうな姿を見たばかりなので、お節介ながら気を揉んでしまう。
(篠目さんは、あまり関係なさそうだけど)
転職経験もあるそうだし、そういう世間が騒ぐことにはむしろ不自然なくらい動揺しない気がするのだ。
そんな靖成は、ユキのことになると饒舌になるしちょっと狼狽えたりする。
ヨレっとした雰囲気は変わらないが、人のよさと案外子供っぽい面も見えて、話していて心地よいのは確かだ。加えて、母聡子からは色々な話も聞いている。
脳裏に浮かべてちょっと笑ってしまい、ここが駅のホームということを思い出して慌ててごまかす。
「あ」
電車待ちの列に、見覚えのある後ろ姿があった。まさに、リストラで話題の銀行に勤めている、靖成の友人、須坂である。
線路側の一番最前列だ。賀奈枝との間には3人くらいサラリーマンがいた。
その体育会系出身らしい背中は、前回見たときとは雰囲気が違う。なんだろう?と見ていると、線路を黒いものたちが走っていった。
鼠だ。
地上を追われた鼠たちは、地下鉄の構内へ大量に移動する場合がある。多いときで、数十匹。たまに轢かれてしまうものもいるが、どの個体が犠牲になったのかなど、端から見ていてもわからない。
アナウンスが流れた。
賀奈枝は、須坂や、並んでいるサラリーマンたちに視線をうつす。
鼠色だ。
親世代は、スーツを形容してよくそう言っていた。
そのとき、須坂の手からスマホが落ちた。彼は気づいていないのだろうか、トンネルの奥から、電車のヘッドランプが近づいてくる。それをじっと見ている須坂に、賀奈枝は乗車列を外れて笑顔で話しかけた。
「おはようございます」
振り向いた顔は覇気がなく、拾ってもらったスマホを見るでもない。わかりますか?篠目さんの友人の、橋口です、など自己紹介をするが、反応はない。
賀奈枝がおかしいな、と思った瞬間、須坂はその場に倒れた。
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「須坂さんのスマホから、ご家族には連絡しました。あと、篠目さんのお母さんにも」
須坂は幸い、賀奈枝のほう、すなわちホーム側に倒れたため後ろに並んでいた会社員が咄嗟に支えてくれた。そして賀奈枝は駅員を呼び、近くの病院に運んでもらい大事にはいたらず済んだらしい。駆けつけた奥さんに話をしてから出社したとの経緯を聞いて、靖成は安堵した。
「良かったですね。何事もなくて」
遅刻してきたあと、個別に状況を説明してくれた賀奈枝の笑顔に、靖成はつい本音をもらした。
「そうですね…橋口さんも」
「え?」
「巻き込まれないで、良かったです。本当に…」
あーびっくりした、と深く息を吐いた靖成を見て、賀奈枝は笑った。
「篠目さん、定時で上がれますか?ここからなら遠くないので、私帰りに寄るつもりなんです。一緒に行きましょう」
「…一緒に?」
靖成はちょっと動揺した。
「待ってますね」
そのままデスクに戻る賀奈枝だが、こころなしか、周囲の視線が靖成にささる。
篠目さんと橋口さん、そうだったのー?みたいな冷やかしだったら肯定すべきか。そう前のめりで考えた靖成だったが、病院への道中、賀奈枝から聞いた話はそこそこ切ないものだった。
「先日、お母さんからの電話を取ったときに、思わずやっくん?って言ってしまいまして…」
あ。ああ…。靖成の目に情景がうかぶ。
母聡子が「やっくんがね」と言うのを復唱したのだろう。
「篠目さんて家でそんな風に呼ばれてるんだ~、だから独身なんじゃない?みたいに、ちょっとお昼時のネタになってしまい」
ネタですか…
「ちょっとどうかな、とは思ったんですけど…もしもし?篠目さん?」
靖成はふらふらした。
「靖成、救急にいくか?」
ユキである。聡子のもとへ行った時に事情を聞いたらしく、退社時間に合わせてやってきたのだ。
「いや、いい…。橋口さん、ひとまず須坂の病室へ」
須坂の病室には、奥さんと子供がいた。食事をとらずにいたため、貧血を起こしたらしい。倒れたところが逆だったら線路に落ちていたかも、と、奥さんは賀奈枝に泣きながら感謝を述べていた。
「篠目、ごめんな」
「ん?」
なにが、とわからず聞く靖成に、須坂はためらいながらも話す。
「八つ当たりして、ごめんな」
須坂は今日だけ入院し、あとはすぐ普通の生活に戻れるだろうとのことだった。靖成と賀奈枝は、病院をあとにした。
「お母さんが、須坂さんの話をしていました。七五三の話と、須坂さんのお父さんの病気の話と、リストラの話」
随分盛りだくさんである。
もう暗い夜道を駅まで並んで歩きながら、靖成は賀奈枝の話に耳を傾けた。
「鼠を、見たんです」
「鼠?」
はい、と賀奈枝は言う。
「須坂さんが立っていたホームの向こう、線路を鼠が走っていったんです。行き場があるのかわからないけど、何匹か固まって、全力で。そのあとに須坂さんを見たら、なんだか様子が違う気がして」
鼠は、本当に鼠だったかはわからない。
しかし霊感はなくとも、事情を知った相手を思いやる気持ちが、危うい雰囲気を察知し声を掛けさせたのか。とにかく賀奈枝の行動が須坂を救ったことに違いないのだ。
「須坂さん、地下鉄の鼠みたいに、どこかに行っちゃいそうな気がしたんです」
追われた鼠は、最後はどうなるんだろう。靖成は天井裏で短いひとときを懸命に生きる彼らを思う。ユキは鼠が苦手だが、それでも追うだけなのは靖成もわかっていた。
あと、と賀奈枝は続ける。
「篠目さんは忘れてるだろうということですが、須坂さんのお父さんが病気になったとき。祈祷を頼まれて断ったら、須坂さんが神様なんていない、と騒いだらしくて、篠目さんが怒って殴りかかったらしいんですよね」
そこまでは、最近須坂に言われて思い出した。しかしどうやって収束したか記憶がないのだ。
「篠目さんのお父さんが、意識を押し込めたんだろうって。こう」
賀奈枝が、最近靖成が示したように手振りをする。靖成は、引っ張られるなよ、というユキの言葉を思い出した。




