第4話 その6
「靖成…やっぱり出るよな」
「そうだねえ、出るねえ」
週明け早々、いた!と、昭和なアパートの一室で、今朝もユキは鼠を追いかけている。靖成がコーヒーを飲みながらのんびりとそれを眺めていると、ぺらっと紙飛行機便が来た。母聡子からだ。
「えーと。やっくん、例の線路のへんなやつ。あれどこか行っちゃったからキャンセルになりました。宜しく」
へー、と靖成は拍子抜けした声を出した。
「実害はなかった、ってことで良いのかなあ」
「こっちは実害があるぞ!米!!」
「え?ええ?」
こめ!と靖成も慌てて食材をまとめてある棚を見る。
米の袋が齧られ、端からさららっと米粒がこぼれていた。あー、と靖成は項垂れる。
「やっぱり密閉容器を買うべきだった…」
「違うだろ!まず鼠!」
このやろ!とユキは天井裏に上がった。
うーん平和だな、と思いながら、靖成は出勤の支度をする。ちょっと伸びをした瞬間、鳩尾にまた痛みが走った。
「う、おー…」
「どうした?まだ痛むか?」
ユキが心配そうに振り向く。
「いやー、これは物理的なほうが原因、かな…」
おそらく、七五三にきていたやんちゃなお子様達と格闘したときの痛みだろう。うずくまる靖成に、ユキは呆れた。
「情けねえな!そんなヤワで、大黒柱が務まるのかよ」
「いやいや…なる予定はないし」
「まだ言ってんのか?賀奈枝ちゃんが乗り気なうちに一気に押せよ」
「えー、ユキちゃん強引だなあ…」
「むしろ押し倒してもらえ」
ああ…。なんか色々ちくちく刺さる。
気を取り直して出勤しようとした時、ピンポーンと陽気な音がした。こんな朝早くに独身男性の部屋に来るのは、ゴミ捨ての日にちを注意しにくる管理人さんくらいしかいない。なんか捨てたかな?と靖成が首を傾げながらドアを開けると、須坂がいた。
「お?」
35歳にもなって「一緒に学校行こうぜ!」はさすがにないだろうと靖成は思ったが、爽やか元野球少年の須坂ははにかみながら(という風に見えた)「一緒に通勤しようかと思って」と言う。まじか。靖成はゆっくりドアを閉めようとしたが、須坂は慌ててそれを阻止する。
「篠目!いや、ちょっと…久しぶりに話したくなって…実家のおばさんに住所教えてもらったんだ」
突然ごめん、と体育会系らしく律儀に頭を下げる須坂の横を、紙飛行機が飛んできた。ぺらっと開くと、再び聡子からである。
「えーと。追記です。須坂君が旧交を温めたいというのでアパートの住所教えといたってさ。靖成、やっぱりアナログは時差が出るな」
いや、時差は問題ではない。手紙を読み上げる中空のユキに目線をやる靖成を見て、須坂は呟いた。
「いるのか」
「ん?」
そうか、と再度言った須坂の視線は、どこを見てるわけではない。数秒もしないうちに、須坂は靖成に向かって爽やかに笑いかけた。
「そういうわけだ。篠目、一緒に駅まで行こう」
どういうわけだかわからないが、とにかく会社に向かわなくてはならない。昭和なアパートから出てきた中年男性サラリーマン2人が涼しい秋晴れの住宅街を並んで歩く姿は、シュールというよりノスタルジックである。
「篠目はさ、いつ結婚すんの?ほら昨日神社に来ていた彼女と」
あー。まあ、気になるよね、聞くよね。うん。
「いい雰囲気だったじゃん。性格も良さそうだしさ」
うん、天然だけど。
「篠目が彼女といちゃついてる姿は想像できないけどな」
「だよなー」
靖成の斜め上をふよふよ浮かんでいるユキが、茶々を入れてきた。いつもは家事をしたり聡子の元へ遊びに行っているのだが、さすがに興味津々で付いてきたようだ。靖成は無視を決め込んだ。
そして、早く須坂と離れたい一心でいつもよりきびきび歩いていたら、あっという間に駅に付いてしまった。ユキは感心して、これから毎日須坂と一緒に通勤すればいいんじゃね?などと言っている。冗談じゃない。
結局そんなに話もせず、ホームで1歩距離を置いて電車待ちの列に並んでいると、須坂が再び話しかけてきた。
「あれか?神様がいるから、普通の結婚ができないとかじゃないよな。巫女さんじゃないとダメとかさ」
「は?」
話が急に変わった。
「おまえんち、なんか祀ってるじゃん。俺の母親がさ、親父の病気を治してほしいってお願いしにいったろ。神社に紹介されたらしいんだけど」
やっぱりその時に、須坂は靖成の家のことを知ったらしい。
「でもさ、結局うちの親父に祈祷は効かなかったんだよな、確か」
藁にもすがる思いだったのかもしれないが、陰陽師も神様も、別に病気を治せるわけではないのだ。そもそも不要な祈祷はやらないのだが、須坂も、神頼みで治るならと子供心に思っていたのか記憶が曖昧なようだ。
靖成もおぼろげな記憶を辿ろうとするが、詳細をうまく思い出せない。すると須坂が続きを話した。
「俺が篠目に、嘘つきって言ったらさ」
朝の通勤ラッシュの時間帯なのに、電車はまだ来ない。遅延だろうか。
「神様なんて、いないだろって言ったら、篠目が怒って掴みかかってきたよな。篠目があんなムキになるの、初めて見たよ」
アナウンスが流れた。やはり遅れているらしい。
ざわ。
靖成の視線の先、線路のあたりで何かがざわめいてる。
須坂は、小学生当時の出来事を、あのあとどうなったんだっけ、とぶつぶつ言いながらまだ考えている。
「とにかく、いもしない神様に遠慮して結婚しないなら、もったいないじゃん」
爽やかに笑った須坂は、目の前にいる靖成の表情が険しいものに変わっているのを見た。
「え?篠目…?」
俺なんか悪いこと言ったか?と慌てる須坂を、靖成は凝視している。黒い影の固まりが、線路からホームに向かって進路を変えて這いあがってくる。
「靖成!」
ユキの叫び声で靖成は我にかえった。
同時に、遅れていた電車はやっとホームに入線し、影は電車
の下敷きになり、そのまま消えた。
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靖成と須坂は、遅延のためいつも以上に混雑した満員電車内では、物理的に距離ができたため会話もせず、そのまま靖成が最寄り駅で先に下車した。
ふう、と溜め息をついて改札を抜けると、賀奈枝がいる。
「おはようございます」
にこやかな笑顔は、ヨレた心身のオアシスだ。
多分に発想がおっさんぽいが仕方ない。最近あまりはっきりオーラは感じないが、ユキに言わせると「可愛いからいいんじゃね?」とのことだ。まあ嫌われていないならよしとしよう。
「橋口さん、おはようございます」
「水曜日以来の出社ですね。体調も…昨日の様子からはすっかり大丈夫そうで、良かったです」
「はあ。子供から受けたタックルの余韻がちょっとありますけど」
ふふ、と賀奈枝が笑う。
「昨日の同級生のご家族、良いですよねえ、幸せそうで」
はあ、と靖成は相づちをうつ。
「私も、親からいっそ見合いしたらと言われてるんですけど」
「え」
変なところから声が出た。
「お母さんたちは、お見合いなんですってね。それでラブラブなら全然良いですよねえ」
お母さん、とは靖成の母聡子のことで確かに靖成の両親は還暦前でもデートをかかさないラブラブ夫婦だが、その話の流れでは靖成は口を挟めない。
「あ、そうだ。ニュース見ました?びっくりです」
「ニュース?いや、うちテレビ無いので…」
電波障害が起きるためである。情報は新聞かユキから得ることが多い(ユキは街頭テレビを見るのが好きらしい)。ユキも、そういえば新聞の見出しで見たな、と言っている。
「銀行が統合で、大量リストラですって。家庭持ちの方は大変ですよね」
銀行。もしやと思い、賀奈枝のスマホからネットニュースを見せてもらう。口をついて出た須坂、という言葉に、ユキと賀奈枝はちょっと驚いた。
「これ、あの須坂の勤め先か?あいつリストラ対象なのかな」
「ひょっとして昨日の同級生さんですか?」
なんとも言えないが、二人の言葉に靖成はとりあえずうなずく。もしリストラされていても、完全に無職とはならないだろう。しかし、順風満帆に人生を過ごしてきた須坂のショックは、想像できる。
「だからあいつ、うちに来たのかなあ…」
その日はずっと、靖成は珍しく内勤で社内におり、デスクでも上の空で過ごした。周囲は病み上がりだからと気遣ってくれたのもあり、定時で上がる支度をしている靖成に賀奈枝は声をかけた。
「お送りしましょうか?」
「いえ、ユキちゃんと帰るんで大丈夫です」
巻物で、と言うと、賀奈枝は、あー便利ですよね、と微笑んだ。相変わらず反応が清々しい。
「橋口さん」
「はい?」
「いや…」
なんでもないです、と靖成は会釈をしたあと、廊下の突き当たりの誰もいない自販機の前で、じゃあ、と手を上げた。次の瞬間に靖成は消えたが、一瞬前までいたはずの場所を、うひゃー、と言いながら賀奈枝は見ていた。
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「と、いうわけでねえ。サラリーマンは大変だよねえ」
次の日、駅で買った新聞を読みながら、靖成はユキと会話していた。ユキはふわふわ浮かびながら辺りを見渡している。
業界としては知られていたのか、自分に関係がないことには関心がないのか、それなりに大きなニュースなはずなのに世間はいつもと変わらない。
「まあ靖成はリストラされたら陰陽師一本でやればいいんじゃねえの?」
「いや、それもねえ」
「賀奈枝ちゃんに巫女コスで助手でもやってもらってさ。靖成、コスプレパブも好きじゃん」
「あー、あれは付き合いで…」
ユキはしれっとあちこちに付いてくるので気を抜けない(楽しんだけど)。
「それよりさ、須坂、大丈夫かなあ」
「俺はあいつより靖成のほうが心配だぞ」
「なにが?腹はもう大丈夫だよ」
「ちげーよ」
ユキちゃんは心配性だなー、と笑う靖成を、ユキはちろっと見る。そろそろ会社に着くので、ユキは帰宅するために向きを変え、靖成に言い渡した。
「引っ張られんなよ」
ん?と靖成が眉間に皺を寄せて振り向いたときには、ユキはすでにいない。
子供の付き添いではないが、昨日今日とユキは道中ずっと靖成の傍にいた。それが取り越し苦労でなかったと実感したのは、須坂が通勤途中の駅で倒れたことを、その場に居合わせ病院へ付き添った賀奈枝から聞かされた時だった。




