第1話 その2
梅雨の部屋干しも、専用洗剤ができてからは楽になった。そうユキはしみじみ思う。
靖成の実家も都内だ。通えなくはないが、大学を卒業したタイミングで一人暮らしを始めた。理由はわかっている。
自立だ。
それも、式神のユキ込みで。
「こういうのは自立って言わないんじゃねえかなあ…」
代々陰陽師を継ぐ靖成の家・篠目家に、ユキはくっついている。いつでもどこでも当主と一緒。でも、昔は3世代同居は当たり前。母屋と離れくらいの距離ならたいしたことないし、下働きを雇えばいい。なので、結局は「当主一家」とずーっと同じ家にいたのだ。
だが、時代は変わり、考えが変わり、靖成の就職が決まったときに、篠目夫人が言った。これでやっと、解放されるって。
要するに、外部から嫁にきた母親には、ユキはちょっとお邪魔だったらしい。靖成に兄弟がいないのもそのせいと言っていたが、それは違う。単なるタイミングの問題だ。
ともあれ、身の回りに無頓着な靖成に代わり、いま、ユキは自発的に家事をしてあげている。その結果、35にもなって独身なのではないか、と心底思うユキだが、靖成は気にならないらしい。
洗濯物を畳んでいるときに、靖成が帰宅した。まだ18時だが、営業先から直帰の場合は思いがけず早い時間に帰ってくる。
「メシまだだぞ」
いやいや、と靖成はにこにこしながら首をふる。
「ユキちゃん、営業トップの奨励金が出たからお祝いしようか」
靖成の手に、ケーキ屋の手提げがあった。おそらく、カットされたケーキが、2つ。
「またかよ。そして俺はケーキは食べないんだよ!」
ああっ、と靖成は寂しそうな顔をした。
「でもなあ…ユキちゃんには何を供えたらいいのか、わかんなくてさ」
「自分が使役してるやつに対して、間違った気の使い方をするんじゃねえ。どうせなら女連れてこいよ」
「ユキちゃん…いつの間に大人になったんだ?!」
ちげーよ、とユキは溜め息をつく。
「それより、高井商事どうよ。女子の派閥争い」
「ああ、あれ…ユキちゃんの言う通りに、2階の営業課右端デスクの裏にお札貼ったら収まった」
「やっぱりな!そのデスク使ってるやつが原因だっただろ?男の取り合いか?」
「そこまではわからないんだけどね…」
一緒に洗濯物を畳みながら、のんびりと陰陽師と式神がお祓いの話をしている。シュールだが、もう既に13年、このやり取りが続いている。
靖成はそれでも陰陽師の端くれなので、営業先で怪しい気配を敏感に察知する。というか、察知した先に営業しに行くのだ。
基本的にそれほど被害のない、人の悪意や嫉妬くらいなら、悪霊(便宜上こう呼ぶが、念の具現化な感じ)発見から祈祷まで非公開なため、報酬はもらわない。その代わり、営業成績が上がってたまに奨励金を手にすることがお駄賃のようになっている。
「だってな、ユキちゃんがいないと俺、いまいちわからないからなあ…さすがにサクライんときみたいな、明らかな悪意はわかるけどさ」
「どっかのエセ占い師に頼んだ札か。あんなんでも効くのな」
「いやいや、相手を特定してわざわざ悪意を込めてるんだから、効くきく。まあ悪いのはサクライだけどねえ、人を呪わば穴ふたつ」
「なんだそれ」
「呪った分だけ、自分にいずれかえってくるんだ」
ふうん、とユキは呟いた。
「じゃあさ、俺たちにも、どかんと退治したやつらの怨念が返ってくんのか?」
「そこだよ」
珍しく、靖成がビシッとした口調になった。手元を見ると、シャツを裏返したまま畳もうとしている。そこはビシッとしないらしい。
「俺が結婚できないのは怨念のせいじゃないかと思うんだよ…ユキちゃん、どう思う?」
知るか!と、ユキは靖成の手からシャツを奪った。表に返して、きちんとたたむ。さすが、と笑う靖成からは人の良さがにじみ出ている。
これなら怨念も拍子抜けすると思うんだけどなあ、と、ユキは靖成が結婚できない理由を考えたが、鈍感なせいではないかと思う。悪霊にも、恋愛にも。
「…そうだ」
ユキはそこで、なにかを思い出した。
「最近靖成さ、なんかくっ付けてるぞ。ピンクの霊」
「ピンク?最近は行ってないぞ」
いや…ピンクな店じゃない。とユキは胸のうちで突っ込む。そして靖成は独身男性だしユキは男だしそれはどうでも良い。
「女だよ。好意を感じる、桃色の霊気だ」
「…女?」
靖成はすっごく疑わしい表情をした。糸目ではなく、本来は平安顔というか、涼しげな目元なのだが、眉間に皺を寄せて睨むと人相が悪くなる。付け加えるなら、ちょうどいい高さの鼻と唇、要するにそんなに特徴のない顔は父親似だ。
なんでも、悪霊退治には目立たないほうが都合がいいらしい。物は言い様だ。
しかし、女といわれて険しい顔しかしないのも、いかがなものだろう。
「靖成、最近だれか女に誘われたり優しくされたりしなかったか?」
「いや」
即答だ。
「でもな、ひょっとしたらその女が、靖成の奥さんになる人かもしれないんだぞ!もう少し真剣に考えろよ!」
ユキは思わず興奮気味になる。なんといっても、自分の人生(?)がかかっているのだから。
反対に、靖成は乗り気ではない。
「真剣に考えても、そんな女はいない」
珍しく強い口調で言い切る靖成にユキは驚いたが、仕方ないと立ち上がった。腹が減っては戦ができぬ。糖分が足りねば思考はできぬ。
「靖成、ケーキはデザートな」
ユキがピシッと指さすと、靖成が伸ばした手から、ケーキの箱がするっと平行移動した。
子供の頃から、ご飯の前におやつを食べ過ぎて母親に叱られてる姿を目の当たりにしているユキは、靖成がケーキを先に食べないよう、釘をさすのを忘れなかった。
えー、と子供のような半べその声を出す35歳。色気より食い気、それもお預け状態とはなんとも切ないのだった。
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ケーキは美味かった。しかし夕飯のシチューの方が美味しくて、結局1口しか食べられ無かった。ユキの策略である。なんで式神が陰陽師の健康管理までしなきゃなんねえんだ、と最後はまた女の話になったのだが。
「そうは言ってもねえ…」
靖成は、土砂降りの雨を眺めながら、会社の最寄り駅の改札口にたたずんでいた。雨だから早くいけ!とユキに追い出されたところ、思ったより早く着きそうなので悩んでいるところだ。
朝は、眠い。そこは当たり前だが、靖成には朝が苦手な理由が他にある。
空気が嫌いなのだ。
人が沢山集まり、欲や妬みでごちゃごちゃになっているうざっとした空気感。ユキはそれを素早く察知して一番ひどい人の憑きをおとしたりするが、靖成はそれをしたくない。
修行を適当にしたら破門になるかと思ったが、血筋というのは厄介で、最低限できてしまうからできる範囲で祓えばいいよと本部に言われた。
いつのまにそんなフレキシブルな考えになったのか知らないが、とにかく父も祖父も最後には「ユキがいるから」で済ませてしまった。
憂鬱な顔で立っていると、斜め前に見覚えのある女性がいた。
というか、見覚えのあるオーラだ。薄くしかわからないけど。
じっと見ていたら、不審げな顔で振り向かれた。やべっ、と顔を逸らそうとした靖成の視界に、同じオーラがもう1つ飛び込んできた。もう少し明るい、ピンクがかったオーラ。
「あ、あれ?篠目さん?」
橋口賀奈枝である。
靖成は、派遣社員の名前を瞬時に思い出し(このあたりは営業マンである)、挨拶をした。
賀奈枝は隣の女性に、しどろもどろと何やら説明している。姉妹のようだ。そして姉の表情とピンクのオーラで靖成にも昨日のユキの言った相手が賀奈枝だというのがわかった。わかったからにはスルーである。
「じゃあ、自分は仕事なんで」
「え?今日は篠目さん、ずっと本社でしょう?」
取引先に直行、というふりをして歩きだそうとしたら、賀奈枝に突っ込みを入れられた。そう言えば営業マンの予定の把握は彼女の仕事だ。おそらく仕事関係なく篠目の動向は把握されていそうだが、あまり近くにはいたくない。
しかし、靖成は姉のほうを見て考えを変えた。
「…いやあ。ちょっと早く来たからカフェでデータ整理でもしようと思って…」
カフェ、と聞いて姉の麻理恵がチッ、と舌打ちした。あー、だめなほうだこれ。
「…たんだけど、橋口さん、一緒に会社に行きましょうか」
賀奈枝のオーラが、ピンクから桃色になる。キャバ嬢が着るお仕事スタイルから、紫がかった紅梅色に。
「おお…」
思わず唸った靖成だったが、賀奈枝は、えっ、あっ、とかわかりやすく動揺し、姉の麻理恵は、あっさりとバス停のほうへ歩いていった。
必然的に、並んで歩く35歳男性と28歳女性。ともに独身。傘をさし、靖成はオーラに触れないギリギリの距離を取りながら、聞かれるまま、のらりくらりと返事をしていた。お姉さんが、だんなさんと上手くいってないかも、とか。うん、わかると思いながら聞いてた靖成だが、賀奈枝自身は意外と可愛い。なによりオーラが良い色だ。
しかし、賀奈枝が気になることを言い出した。
「私、お化けが怖いんですよね…」
そう恥ずかしそうにいった途端、人混みから薄い黒い霧が襲ってきた。靖成は蚊でも払うように手をあげる。霧は一瞬で消えたが、勢いで手が傘にあたり、飛沫が賀奈枝にかかった。
「ああ、すみません…」
ベタだ。賀奈枝は照れたようだが、どんくさい靖成は別にベタは狙っていない。ええと、ユキちゃんがアイロンかけてくれたハンカチ…とポケットを探っていると、賀奈枝がそれを聞いて靖成を凝視した。
「…ユキちゃん?」
「あ、いや、その…」
ヤバい。これ本当にヤバいやつ。靖成は苦い顔でそう思った。ひそかに後ろ手で賀奈枝の嫉妬が引き寄せた念を祓いながら。