第4話 その3
兼業陰陽師である靖成の始業時間は、会社の終業時間からだ。秋になり、夕方になると自然と日が傾き、涼しい。
「終業時間まで待たなくても、夕方暗くなったら退社、という生活がいいよねえ」
私鉄の線路端、すでに終電の時間から小一時間ほど経つ。人通りも少なくなった下町の住宅街の塀にもたれ、靖成は狩衣姿でのんびり缶コーヒーを飲んでいた。
「暗くなったら変なのも増えるぞ。仕事増えるぞ」
ユキは、ブロック塀の上に、護符をトランプのように並べている。待ち時間は暇そうだ。
「そうそれ。陰陽師ってブラックだよねえ」
靖成は飲み終えた空き缶を放り投げた。しかし軌道は見事に逸れて、自販機横のゴミ箱の縁にもかすらず手前に落ちる。
「あー…」
「靖成、昔っから球技だめだもんなあ」
「護符コントロールが良ければいいんだよ」
「たまに俺が微調整してるじゃねえか」
まったく、と頬を膨らますユキが、よっ、と手のひらを上に何かすくうような動作をすると、地面に落ちた缶は生き物のように飛び上がり、きれいな放物線を描いてゴミ箱に吸い込まれた。
「ナイスコントローーール」
無駄に語尾をのばしてみる靖成に、後ろからアマノ社長が声をかけてきた。今日は建設会社の社長らしく、作業ジャンパーを着ている。
「靖成君、お待たせ。悪いね、時間外手当て出すからさ。宜しく」
まるっ、と社長が指で輪を作る。文句はいえど、仕事を受ける理由は結局金だ。
「アマノさん、珍しいですね、夜仕事なんて」
「うん、僕の会社がもってる物件じゃなくて、知り合いのとこだから。昼間だと差し障りがあるみたいなんだよね」
あっち、と社長が指差すのは、私鉄の駅だ。地下鉄が交差するように走っており、乗り換え駅だが駅ビルなどはなく、夜は静かだ。
「終電の時間帯、ホームになんか出るらしくてねえ」
「はあ」
いかにもな案件は久々だ。靖成は怖がりではないが、怖いものは嫌いである。
「事故ですか」
「いや、そんな話は聞かないんだけどね。とにかく見てくれる?」
地上駅のホーム脇から、関係者用出入口の施錠を外し、アマノ社長が靖成の背中を両手でぐいぐい押す。ずんぐりした落語家のような社長に重心低めに押されると、ひょろひょろした靖成はつんのめりそうになるが、その勢いで線路内に足を踏み入れると、途端に嫌な空気を感じた。
「…お?おおお?」
足先から伝わる不快感。
某有名アニメで、ウニみたいなお化けを指でつついた子供が全身ぞわわーっとなる、あんなイメージである。
「ユキちゃん、俺ちょっとやだ、これ」
「なにヘタレたこと言ってんだよ、靖成。結界張るからさっさと仕事しろ」
ユキがさっと両腕を掲げると、ぱりっと敷地内の空気が変わった。
アマノ社長はすでに安全圏に逃げており、結界が張られた線路の中は、靖成、ユキだけだ。
「うーん…」
靖成は袂から紙を出し、ちょっと考えながらざわっとした空間に目を向けた。
線路2本の間に立ち、少し遠目に対面式ホームを見上げる。
何も見えない。しかし、確実に何かいる。
ざわ。
ぞわわ。
「やだなあ、これ」
何か出る、という目撃場所は、ホームだ。しかし、気配は確実に靖成が立っている足元から沸き上がっており、しかも動いていた。
電車が目の前を通過する際、風圧に引っ張られる感覚がある。それがひっきりなしに足元で起こっているようで、落ち着かない。
「…うーん」
靖成がその実体を探ろうと目を瞑った瞬間、体を何かが突き抜けた。
「靖成!!」
ユキが叫ぶ。
衝撃で飛ばされ、仰向けに地面へ叩きつけられた靖成がかろうじて見たのは、宙に浮く、黒いかたまり。
丸でも四角でもない何かの集合体のようなそれらは、靖成に衝突したあと、夜の闇に紛れるように去っていった。
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靖成は結局、その日は依頼を遂行できなかった。
頭を打ってはいないものの、鳩尾を何かが抜けた衝撃は思った以上にダメージを与えたようで、そのまま倒れた靖成は、ユキによりアパートへ運ばれた。
吹き飛んだ靖成を見たアマノ社長は、驚いて聡子に連絡をし、ユキから経緯を聞いた聡子は社長に伝え(社長はユキと会話ができないためこうなる)、ひとまずこの案件は保留として帰宅してもらったのだ。
靖成がアパートで目を覚ましたのは既に翌日の夕方だったが、まだ節々に痛みが残っており、ユキの安堵のダイブを受けてしばらく悶絶した。
「あれ、お母さんが会社に連絡したのか…」
部屋着であぐらをかいてお茶を飲みながら、母聡子がユキに渡したメモを読む。
「…急病のため自宅療養してますって会社に電話したら、賀奈枝ちゃんが出てすごくびっくりしてたから…ん?」
ユキが覗きこみ、続きを読んだ。
「簡単に事情を話してついでにアパートの住所教えといたってさ。だからか、さっきから賀奈枝ちゃんのオーラが近づいてくるなーって」
え?
靖成がメモから顔を上げ、玄関をみると、ユキが言った。
「あ、来た」
「いやいやいや、まさかそんな。ご冗談を」
「靖成もわかるだろ。ほらすぐ近くまできた」
「いやまさかー」
カンカンカン。
「あ」
さすがに靖成にも聞こえた。これは間違いなく昭和なアパートの階段をかけ上がる女子のヒールの音である。そして、ユキがきゅっと指先を捻る。カチャッと鍵が開く音がした。
「鍵開いてまーす」
ユキの声は賀奈枝には聞こえないはずなのに、なんの躊躇なくドアノブが回された。
「あ」
靖成は思わず立ち上がる。ドアが開いて顔を覗かせたのは、当然賀奈枝である。濃いグレーのジャケットに白のプリーツスカート。ゆるふわの髪はいつもにも増してゆるふわである。
「篠目さん?」
頬と、鼻の頭が少し赤い。ちょっと涼しい秋空の中を、いそいで来てくれたのだろうか。
「うわっ…」
ちょっと待って。靖成は部屋着(秋仕様のためスウェット)をなんとなく直し、意味なくキヲツケの姿勢になる。
靖成が、こんばんは、とかろうじて発した間抜けな挨拶を聞いて、賀奈枝はほっとしたように笑った。
「元気そうですね、良かった…」
はい、とロボットみたいに靖成はうなずく。そして、なぜか賀奈枝に促され、アパートの座卓で向かいあわせに座ることとなった。
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靖成は、コーヒーカップを賀奈枝の前に置く。
「えーと」
賀奈枝はきちんと正座している。靖成も正座である。このままだと叱られた子供みたいだがそれは切ないので、何か気のきいたことを言わなくてはならない。
「…お仕事で」
「へ?」
「お仕事で怪我をしたって、お母さんから聞きました。意識が無いっていうからびっくりして…」
賀奈枝から話してくれて助かったが、その、靖成の母聡子に対してお母さん呼びは、定着しているのか。いいのか。
「お母さんが、『やっくん今日は目が覚めないと思うから、食あたりかなんかで起き上がれないから2、3日会社休みますってことでお願いねー』と言うので」
さすが母だ。なんにせよ怪しまれず数日欠勤できるのは有難い。しかしノリが軽い。
「えーと、体は痛いですが、折ったり切ったりの怪我はないみたいです。で、さっき起きたところで…。こういうケースは滅多に無いですが、初めてではないんで、まあ」
「目が覚めないのがですか…?」
「はあ」
天然の賀奈枝から、珍しく真面目な質問が入った。
「不用意に襲われたときに、数日寝込みます。あとから周りに言われて、あー、そうだったんだ、って感じですけど」
「…ショックで…みたいな?」
「いや、それはちょっと違って」
靖成は、手振りをしながら説明する。左手のひらを下に向け、右手は何か掴むような形を作り、その上を通過させる。
「食べられないように、どこかに潜ってるみたいです。潜った意識が戻るのに何日かかかるようなんですが、今回は案外早く目が覚めました」
「潜るんですか…ダイビングみたいな?」
「どちらかというと素潜りですかね。息継ぎしたくなったら浮上するようで」
普通こんな話をしたら引かれるのがわかるし、そもそも靖成は家業のことを人に話さない。父親も本業は別にあるので、地元の友人すら篠目家が陰陽師一家というのを知らないのだ。
「ああ、そう言えば…」
須坂は、うちが神社絡みってことを知っていたな、と靖成は会ったばかりの旧友を思い出す。
「なんですか?」
「いえ、なんでも」
わかっているのかわからないが、とにかく特異な話も素直に聞いて、体調を気遣ってくれる賀奈枝を改めて見た。自然と、靖成の表情も緩み、賀奈枝も微笑んだ。
「とにかく良かったです、元気そうで」
すると、2人の間を疾風がはしる。室内で風を巻き起こすのは、ユキだ。
「…なんですか?今の」
「ユキちゃんです。最近鼠が出るので、ユキちゃんが追い出そうと毎日孤軍奮闘していまして」
へえー、と賀奈枝は天井を見上げる。
「鼠、いるんですね」
「古いアパートなんで。橋口さん鼠平気なんですね」
「以前勤めていたあたりでよく見ました」
賀奈枝は、都心部のオフィス街の地名を出した。大企業の自社ビルや新聞社、官庁もある道路を、ちょろちょろと横断する鼠を、頻繁に見かけていたという。
「最初はびっくりしましたけど、車に轢かれそうになりながらも、どこに行きたいのかなって思ったんですよね」
コーヒーを飲み、賀奈枝は立ち上がった。流しでカップを洗ってふせるまでの動作に無駄がない。おっとりしているようで妙にちゃきちゃきしてるんだよなあ、と靖成は心の中で呟く。いや、そんなじろじろ見てないけど(棒読み)。
「じゃあまた、お母さんに様子聞きますね。篠目さんLINE無いですし、直接来るのもご迷惑なので」
「あ、俺は別に…」
言いかけて、ちょっと黙った。うん、確かに俺って言うぞ、俺。
「来て貰えるのは、嬉しいので。その、いつでも」
ユキちゃんがLINEがわりですから大丈夫です、と続けると、賀奈枝は首を傾げたが、すぐ笑って頷いた。
カンカン、とまたヒールの音を響かせて賀奈枝が帰っていくと、ユキが姿を現した。
「賀奈枝ちゃんじゃなくて鼠に帰ってほしいんだけどー!」
どうやらまた逃げられたらしい。
「まあまあ」
靖成はユキの肩をぽんぽんと叩く。
「ちょっと居候させてやっても、バチは当たらないよ」
ユキは膨れっ面をしているが、天井裏からは、靖成の言葉に礼を言うようにかすかな音がした。




