第3話 その6(第3話おわり)
とぼとぼと、靖成は帰宅した。時刻は、14時。社長を送っていった帰り雑念に惑わされて道に迷い、思ったより時間がかかってしまった。事故らなかった自分は褒めてあげたい。
「…ただいま」
鍵は閉まっていた。
声をかけたが、返事はない。賀奈枝も、聡子もいない。
「…買い物かな。帰ったかな…」
「気配はないぞ。靴も」
ユキが言うなら間違いないだろう。なんだかもういいや、と、靖成は布団にそのままばたんと倒れこんだ。
「おい、靖成。起きろよ」
目を覚ますとユキが目の前にいる。その隣に、賀奈枝。
「…おお」
靖成は間抜けな返事をし、起き上がる。
アパートにいる感覚で脱いでいたかと思ったが、Tシャツ、Gパンだ(良かった)。
「橋口さん、帰ったんじゃ?」
「あ、いえ。散歩に行ってました。この辺りあまりこないので、1人であの、タワーの方まで」
はあ、と相槌をうち、母は?と聞くと空港だと言う。ダイニングまで移動し、座ったところでコーヒーをいれてくれた。数時間ですっかり慣れたらしい。なんだかな。
「お父さんの帰国日を間違えてたみたいです。アメリカとの時差を忘れてたって。それで、空港に着いたとお父さんから連絡が来たので出かけられました」
「…毎回やるんですよね。あー、でもそうしたら夕飯までには帰ってこないな」
「そうなんですか?」
はい、と靖成は時計を見てうなずく。17時すぎだ。3時間ほど寝ていたらしい。
「デートなんです。毎回お決まりで」
自分の親のデートを説明するのもなんだが、仕方ない。
「ラブラブだよなあ、さっちゃんたち」
「うん、ラブラブなんだよねえ」
「ラブラブですか…」
沈黙。そこで、あ、と賀奈枝がキッチンカウンターにおいていた紙を取り出した。広げられてはいるが、折り目は紙飛行機状だ。佐々木さんからである。
「すみません、窓から入ってきたので、篠目さん宛と気付かず開けてしまいました…」
まあ、マンションの5階ベランダから紙飛行機が飛んできたら、普通はなにかと思うだろう。中身は、達筆であるが、文面が良くない。
「領収書って…」
賀奈枝と食事をした日付、ホテルのレストラン名、そして、金額がぴしっと書いてある。最後に「来月給料から天引き」と。
「天引きなんですか」
「はい。楽なんで。うち東京本部の人たち皆あそこ使うんですよ。京都でまとめて精算してるんです」
それにしては。
「結構な金額ですけど…」
改めて計算してもさすがホテルディナー。コース、ワイン。二人分なら妥当ではある。
「いや、そこは見ないで下さい。ええと、気持ちです、気持ち。俺も、楽しかったんで」
どさくさに紛れて言ってしまった。ユキは、ひゅー、とか昭和っぽい冷やかしをしているが、賀奈枝は聞いていない(そもそもユキの声は聞こえない)。天然だったそういえば…と靖成は少し悲しくなる。
「社割じゃ、ないんですね…」
「は?」
「あ、いえ。社割のきくところばかり選んだり、デート代を接待費用で落としたり、1円まで割り勘する人がたまにいるので。たまに」
ああ…
「あのレストランがあるホテルは取引先というだけなので、優待券や社割制度は無いんです、すみません…」
何故か謝ってしまった靖成だが、賀奈枝はというと、少し気まずそうな顔をしている。
「そうだ。夕飯食べに行きましょう。今度は私にご馳走させてください」
はい?と不審な顔をした靖成は、ユキから「悪人顔はよせ」と突っ込まれてしまった。そして、バタバタと支度をして出掛けた先は、私鉄ガード下の飲み屋である。
「散歩してたら見つけたんです。昔からあるんですか?」
「そうですね。子供の頃から、うちの父に連れられてたまに来てました。このあたりは数年前の再開発の波から逃れたんで…。橋口さんこういうところも来るんですね」
「楽しく飲めたらどこでも大丈夫なんです」
賀奈枝はそう言って、慣れた調子で注文する。
「やっくん、久しぶりだな。彼女かい?」
「いや、違います」
店主の言葉に、そこは予防線を張ろうとして、ゆうべ泣かれたのを思い出した。しかしそのあと、兄扱いにシフトしたので要らぬ心配だっただろうか。
「ここでも、やっくん呼びなんですね」
はあ、と靖成は言ったがなんだか恥ずかしい。
「親が変えないんで。すみません」
ふふ、と賀奈枝は笑う。
「ホーム感があっていいじゃないですか」
賀奈枝は早速出されたビールで乾杯を促す。軽くジョッキを合わせて豪快に飲んだ。
おお、と思わず飲みっぷりに感心した靖成に、賀奈枝が笑いかける。
「無理して変えなくても、良いと思います」
「…はあ」
靖成は首を傾げた。
そして、ユキちゃんどう思う?とこっそり聞いたが、ユキはただ、笑っているだけだ。
「あ」
カウンター席に並んで焼き鳥を食べながら、靖成は急に何か気づいたように声をあげる。どうしました?と聞く賀奈枝に、なんでもないです、と平静を装い返事をする。
土曜夜、地元のレトロなガード下の飲み屋。隣にいる賀奈枝から感じられる温かい空気は、赤提灯のせいだけではないかもしれない。
そう、これはやっぱり、デートなのだ。
第3話おわり




