第3話 その4
土曜朝、実家のリビング、ゆるふわ女子
(はからずも五・七・五調)。
と、思ったが、賀奈枝はリビングにいない。キッチンには聡子がいて、朝食の準備をしている。
靖成はねぼけたまま体を起こした。下半身にかかっているのは、賀奈枝にかけたはずのタオルケットだ。勿論、賀奈枝も服は着ていたし、靖成もちゃんと履いていますけれども。
「お母さん、橋口さんいなかった?」
「先に起きて着替えてるわよ」
うん?うん。
「うーん」
「どうしたの?」
「うん。はい」
靖成はそそくさと洗面所に向かう。すると、廊下のあちらの部屋から、賀奈枝が出てきた。当たり前だがブラウス、スカート、薄化粧と、出勤スタイルっぽい。そして、朝帰りっぽくない程度には着崩している。
「おはようございます…」
「おはようございます…」
珍しく機敏に動き、廊下をすれ違う靖成。なんとなく。そして思う。初めて一緒に夜を過ごした朝って、こんなだろうか…オール飲み会って意味だけど。
わしゃわしゃと顔を洗ってタオルで拭いたとき、リビングから賀奈枝の驚いたような声がした。
「おう、靖成おはよう!」
明るく爽やかに挨拶をしたのは、楽しそうに浮遊しているユキである。
「あー。ユキちゃん、充電完了?フル?」
「フル!ばっちり」
ぶいっとピースサインを作る式神ユキ。ofフル充電。
「やっくんおはよう。賀奈枝さん、ユキちゃん見えないから説明してあげてくれる?」
「なにを?」
「いろいろ」
はあ、と靖成が、お盆を持ったまま棒立ちになっている賀奈枝を見る。ユキが運ぶ皿、イコール空中浮遊する皿を見て、眉間に皺を寄せたままだ。動けないらしい。
「橋口さん、ユキちゃんそのへんにいますんで。あ、見えなくてもユキちゃんからちゃんと避けてくれるから大丈夫です」
よいせ、と靖成は賀奈枝のカップにコーヒーを注ぐ。
「なんだよ靖成、今日はマメじゃん」
「…橋口さんはお客さんだから」
「んなこと言ってさ、結婚したらやらなくなるんだろ?」
にやっと笑うユキだが、ユキの声も賀奈枝には聞こえないので、靖成はスルーする。
「そうねえー。お父さんも結婚したら何にもやらなくなっちゃったからねえ」
お母さん、それ言っちゃだめ。
「…やっぱり男の人ってそうなんですか?」
「まあ忙しいのはあるんだけど。やっくんはユキちゃんがいないと普段はもう、しまりが無くて。昨日今日は賀奈枝さんの前だからいくらかちゃきっとしてるけどねえ」
「え?これでですか?」
賀奈枝は、普段会社で見る、もさっとした靖成のまんまだわーと思っていたので、失礼ながら率直な反応をかえす。そして母聡子は容赦ない。
「うん、昨日はもう、私もびっくりしたわ~。やっぱり女の子の前だと良い格好したいのかしらねえ」
「はあ」
靖成としては、居心地の悪い会話だ。確かにレストランで賀奈枝の目に映る靖成は、いつもより格段にスマートだったろう。でもネタバラシしちゃいけない、と、思う。
「さっちゃん、もう少し靖成のこと持ち上げたほうがいいんじゃないの?」
「うーん。でもねえ、結婚してからこんなじゃなかったと思った時には調教できなくなるからねえ」
「さっちゃんも苦労したからなあ」
うんうん、と頷きあう式神ユキと、母聡子。いつの間にか、35年前の話にシフトしていたらしい。
なぜか賀奈枝も、そうなんですねー、など相槌をうっているが、靖成はアメリカにいる父に同情した。
そこで賀奈枝のお盆に、浮遊してきた皿がのる。賀奈枝はもう、なんの疑問も抱かずその皿をテーブルへ並べた。順応性が高い。
「橋口さん…やっぱり天然ですか?」
「え?何がですか?」
「いえ、なんでもないです」
ユキは、母聡子の隣で味噌汁の味見をしている。空飛ぶおたま、小皿からこぼれると思いきや、ブラックホールに吸い込まれる味噌汁(というのは、京都の風悟の表現だ)。
賀奈枝にとっては、空飛ぶ皿や消える味噌汁より独身男の生態のほうがはるかにミステリーらしい。
「ゆうべはユキちゃんと海老しんじょうを作ったのよね。良かったら賀奈枝さんも、今度一緒につくる?」
「え!いいんですか?」
まあまあ、娘ができたみたいで嬉しいわ~などと笑う聡子だが、ユキは靖成に言った。
「カナエちゃんさ、オーラがピンクからオレンジになってるけど、どうしたんだよ?ガード下の電球みたいに、色気が減ってホーム感だけ増してるぞ」
「…俺に言われてもねえ…」
ひとまず料理が出揃い、手を合わせてから朝食となった。
「で、やっくん今日仕事入ったから。アマノさんの物件ね」
アマノさんとは、建設会社である。
「どこ、何時」
「○○区の役所の裏あたり、10時だって。事務所から車借りたらいいわ」
「いいけどさ、橋口さんを送っていかないと…」
紳士ぶりを発揮しておかないと。
「あ、私は一人で帰りますから」
にべもない。そして、あら、とマイペースな母聡子の合いの手が入る。
「やっくんが帰ってくるまでいたら?土曜だし」
えー、と靖成は微妙な顔をする。なんなんだろう、この流れは。しかも母には悪いが、賀奈枝はすでに靖成を結婚相手としてではなく親戚感覚で見るようになって(させて)しまっている。
「はい、ではお言葉に甘えて」
笑顔で賀奈枝が返事をする。髪もゆるく束ねており、うなじが見える。
では、ない。
時計を見たら、9時である。
「ユキちゃんに送ってもらったらダメなわけ?」
「アマノさんが車に乗せていってほしいみたいよ。途中、会社に寄ってあげてね」
面倒…と靖成は呟くが、しかたない。くるっと賀奈枝のほうを向いた。
「橋口さん、俺出掛けますけど、適当に寛いで下さい。えーと、お母さん、お昼までには終わる?」
「多分ね」
ん、と短く返事をして、靖成はリビング横の和室に入った。着替えて出てきた靖成は、Tシャツ、Gパン、手には狩衣など陰陽師一式。で、会社でいつも見るリュック。
「それが制服ですか…?」
「まあそうです。ユキちゃん、行こ」
「おう」
しつこいようだが、賀奈枝にはユキは見えない。しかし、ユキは物が触れる。すなわち人にも触れる。
「…ユキちゃんて、どこですか?」
「ん?おれここ」
そう言ってユキは、賀奈枝の頭をなでる。うひゃー、と変な声を出しながらも賀奈枝は楽しそうだ。
「昔行った遊園地のお化け屋敷を思い出しました」
「子供のころ?」
「いえ、昔の彼氏とです」
ああー、と。靖成は口には出さない。プライドだ、プライド。だが容赦ない母聡子の存在を忘れてはいけない。
「へえ~、何年前?」
「ちょうど1年位前で」
「最近じゃねえか」
ユキが言う。
「なんで別れたの?」
「あ…なんとなくです。結婚相手じゃないかなーっていう」
「それで、やっくん?」
「あ、いえ。篠目さんは、お兄さんでした」
あああー。
「あらまあ」
「そうなんですー」
いたたまれないし、そんな話は二人でしてほしい。
「お母さん、いってきます…」
肩を落としている靖成とは対象的に、フル充電のユキは元気一杯で手を振っている。そこで時計を見ると、9時25分だ。
「あっ、やべ…」
「とりあえず、事務所までは巻物な」
「うん、ユキちゃんお願い」
どこからともなく巻物が現れ、しゃーっと筆で何か描かれたと思ったら、しゅっ、と靖成が消えた。巻物もだ。
「…え?」
さすがに賀奈枝は口をあんぐりと開けている。
「最初は驚くわよねえ」
はい、と声が出せず頷く賀奈枝。最初から見えない、より見えていたものが消える衝撃はやはり大きいようだ。
「お母さんは、いつ見えるようになったんですか?」
「結婚してからよ」
佐々木さんの、と懐かしそうに聡子は言う。
「佐々木さんの神社で祝詞をあげてもらって、顔をあげたらユキちゃんがいたの。本当に、こっちが相手なら良かったなと思ったわ」




