第3話 その3
夜中、賀奈枝が目を覚ますと、隣に寝ていたのは聡子だった。
結局激しい攻防の末に、靖成が聡子の布団に一人で、そして女性二人が同じ部屋という割り当てになったのである。ちなみに賀奈枝をここに運んだのは靖成である。賀奈枝をお姫様抱っこしながら、無心になろうと必死にぶつぶつ何かを唱える息子を見て、情けないわねー、と容赦なく言い放ったのは勿論聡子だ。
「…うーん」
悪酔いはしていないが、喉が乾いて起きてしまったようだ。少し水でも飲もうと、賀奈枝は聡子を起こさないように部屋を出てキッチンへ向かった。
コップで1杯、ゆっくり飲んでひと息つく。
「はあ…」
成り行きで来てしまった家だが、ちょっと好きかも、とか、あわよくば、とか思った男性の実家だ。下町のマンション3LDKは、極めてオーソドックスな間取りである。ちなみに10階建の、60世帯ほどある中の5階に位置するここからは、まあまあ遠くのシンボリックなタワーまで見えるようだ。
キッチンからリビングを見渡し、さらに神棚を見た。
ユキちゃんの、充電場所。
「神様ねえ…」
賀奈枝の家には神棚も仏壇もない。祖母宅にいけば仏壇はあるが、あまりじっくり見たこともない。
「中ってどうなってるのかな…とか」
ミニ神社のようなそれの上、天井部分に雲の絵が貼ってあるのがなんだか可愛い。賀奈枝はソファー脇からオットマンを持ってきて、ふかふかとした座面に乗る。
「うーん」
少し離れたところからだからか、よく見えない。さらに背伸びをしようとした賀奈枝の背後から、突然声がした。
「橋口さん?」
「え?」
靖成だ。え、うそ、なんでここに?と賀奈枝は思ったがここは靖成の実家である。反射的に振り向いたとき、オットマンのクッション部分に足を取られてバランスを崩した。
「…ひょっ…」
ベタだが、本当に身の危険を感じた際には、咄嗟に可愛らしい声は出ないのである。そして。
「ぅい…っ」
女性が倒れてきても、スマートに受け止められる男子は稀である。靖成はあっけなく賀奈枝の下敷きになった。
「…あー…」
賀奈枝の顔の真下に、靖成の顔がある。それもそれでベタであるが、逆よりはマシだろう。
靖成はひょろい体だが、賀奈枝を床ダイブから守れるくらいには男子であった。贅肉はないし、思ったよりは良いかも?と賀奈枝は靖成のあばらが浮いた腹回りを触るが、あー、と靖成が嫌そうな声を出す。
「橋口さん、痴女ですか?」
「ちじょ?」
わからないらしい。
靖成が嫌がっているのがわかり、賀奈枝がやっとどいてくれた。もう少し長く乗られていたら、さすがに靖成もやばかったかもしれない。紳士ですけど(棒読み)。
「…橋口さんて、天然ですか?」
「姉にもたまに言われますけど、どういう意味なんですかね?」
天然は己自身が天然であるが故に、天然がどういうものかわからないのだ。靖成はうむ、と1人納得した。
立ち上がり、賀奈枝が落ちたはずみで横倒しになったオットマンを起こす。
「それより。神棚に触っちゃだめですよ。何か気になったことでも?」
ああ…と賀奈枝は神棚を見る。
「中に、ユキちゃんがいるのかな、って」
靖成は、黙る。
「ユキちゃん、可愛いってお母さんが言ってましたよ」
お母さん、と言う単語に靖成は一歩引いた。賀奈枝的には「○○くんのお母さん」な感じで落ち着いたようだが、靖成的には際どい。
「えーと、母のことは、さっちゃんて呼んで下さい。親族統一です」
「親族?」
なんか墓穴を掘った気がする。
「いや。なんでも良いです。適当に」
賀奈枝は半分眠たげな笑顔で、わかりましたと言う。大きめTシャツをゆるっと着てゆるっと笑う賀奈枝こそ可愛い。(ちなみに、きちんと下着はつけていることを補足しておく)
場がもたず、靖成は再び冷蔵庫からビールを出した。賀奈枝も渡された缶を素直に受け取り、三次会に突入である。
リビングで男女ふたり。床に座って酒盛りをしながら語る話題が式神についてというのも、シュールだ。靖成は勿論ユキ推しなので、知らず知らずに熱く語る。
「…ユキちゃん、アイドル顔なんですよ。テレビに写らないのがもったいないくらいで。猫顔で、目がくりっとして、黒髪長髪、角2本。鼠色っぽい着物を着ていて、見た目は15才位です。背は、橋口さんより少し高いくらいかなあ」
「随分具体的なんですね…」
ええ、と靖成はテレビ台の下からメモ帳を取り出し、さらさらと描く。
「…これは」
賀奈枝が絶句するほど、靖成は画伯であった。
「…自分、習字はそこそこなんですけど美術の成績が芳しくなくてですね…父は上手いので、帰国したら描いてもらったら良いですよ」
「え?」
「はい?」
「帰国したら?」
「はい。今アメリカなんで」
ではなく、と賀奈枝は言ったが、靖成はいまいちわからないらしい。しかし、賀奈枝のオーラがまたピンクになった。
「…橋口さん」
はい?と、賀奈枝は可愛く振り向く。可愛い(2回言う)。ゆるっとした長い髪がセットされていないのを見るのも初めてだ。そして何より、すっぴんである。
二次会では母聡子がいたためあまりじっくり見られなかったが、すっぴん風ではないすっぴん女子を見るのは久しぶりだ。とろとろしてる賀奈枝は、とにかく可愛い(3回目)。そして、近い。
「その。あまり無防備に過ごしてると、狙われませんか」
「はあ。怖がりのわりに霊感はないみたいなので、ポルターガイストみたいな実害は無いですけど…」
いや、そうではなく。
「ここに連れてきたのは自分ですが、もうちょっとこう、警戒心をですね」
「誰にですか?」
みたび酔っぱらいながらほわほわと聞く賀奈枝に、あー、と靖成は呻く。
「だれ…誰…」
「でも、篠目さんなら大丈夫ですよね、古い言い方かもですが、紳士っぽいというか」
ああー。
「今日は篠目さんとデートだと思ったら、楽しみでゆうべ寝つけなかったんですよね。で、寝ちゃったのは想定外でしたけど、もしアパートに行ってたとしても、まあそれはそれで良かったかもって言う気持ちもちょっとあって。えーと、本当は今日食事に誘われた時から期待していたりもして。準備もちょっと、してたりして。けど、結果的にご実家に連れてきてもらって、お母さんも一緒に二次会をして、なんだかとっても楽しい週末になって」
あああー。
「篠目さんといると居心地良いのは確かだし、彼とか旦那様っていうよりは、お兄さん的な感じなのかもしれないです。私、姉しかいなかったから…」
ぐいっと酒を飲みながら、なんだか賀奈枝のオーラがピンクからだんだんとオレンジっぽくなる。(夏だけど)コタツの電熱線のような、アットホームな色。あと、と、賀奈枝は靖成の体を見て、ぼそっと言った。
「実を言うと、私もう少しガタイがいい人のほうが好みなんですよね…」
あーうー。 靖成はうなだれる。
「…自分…あまり肉が付かないタイプなんで…」
ユキちゃんの美味しいご飯をたらふく食べても細いままなのだ。この体質は父譲りであり、どうしようもない。
「…あと、自分はきょうだいいないので…」
お兄さんと言われてもわからない。
そして、一気に賀奈枝が喋った内容には、なんだかスルーするには惜しすぎることが多々含まれていた気が。
「あ、きょうだいと言えば!姉夫婦に子供が出来たんですよー。まだ初期なので内緒なんですけど、私も叔母さんになっちゃうんです。ふふ」
情報が多すぎる。
そのまま床で眠ってしまった賀奈枝に、靖成は自室から引っ張り出したタオルケットを掛けてやる。
「なんだかなあ…」
とことん無防備な賀奈枝を見て、靖成は深くため息をついた。




