6.いいえ、ここは異世界です
冷涼な風に誘われて迷い込んだのは、ピラミッドという名のラビリンスでした。
行けども行けども、廊下、廊下、廊下。
石で積み上げられた壁と壁の間をひらすら進む。一体どれくらい歩いただろう?
ピラミッドまで必死で走った距離よりも歩いている気がする。
なのに、どこにも着かない。
普通真っ直ぐ歩いていたら、ピラミッドの向こう側に出るんじゃない? もしくは行き止まりに着くはず。
なのに、ずっと通路。ずっとずっと通路。
そして先程から不思議なのが、ここ、窓がないんです。ピラミッドの構造上、窓が無いのは当たり前かもしれない。
けれど、私には遥か向こうまで廊下が続いているのが見える。
光源が無いのに、なぜか明るい。
……どういうことなの!?
蝋燭も無ければ提灯も無い。ランプも無ければ電灯も無い。電球も有るわけないし、蛍光灯も無い。もちろん壁が光ってるわけでも無い。なのに、明るい通路。
古代エジプト文明には、私が知り得ない照明技術があったのかな……?
鳥人間が存在するくらいだし、私が知らないものがあったところで不思議じゃない。……いえ不思議ではあるけれど。
どこまでも続く通路に怖気づいて、歩みを止めてみる。
どうでも良いけど、歩き疲れたんですけどー!
そう心の中で叫ぶと、右の壁がゴゴゴゴゴッと音を立てて動き出した。
え? これって左右の壁が迫って来てペチャンコになるパターン!?
私は怯えて走り出そうとした、その時。
右側の壁に、入口のような穴が空いた。ピラミッドの脇に突然できたここの通路のように、何の前触れもなく、唐突に。
いえ、前触れはあった。
私が心の中で叫ぶと、穴は出現した。
まさか、私に未知の力が……!?
……そんなわけないない、ありえない。
我に還った私は、現れた穴を恐る恐る覗き込んだ。穴の向こう側から、涼しい風が吹いてくる。
また同じように通路が続いてたりしないよね……?
私は意を決して穴へと一歩を進めた。
穴は、部屋へと通じていた。
部屋というか、巨大な空間。
「──あれ? 手伝いは大丈夫だって言ったのにな」
どこからか声が聞こえた。
しかも今の声、日本語? 日本人がいる!?
私は巨大空間の中を見渡した。
大きな丸い柱が何本も立ち並び、壁の端には彫刻が並べられている。なのに、不思議と圧迫感は無く、広々とした印象を受ける。それは柱も彫刻も壁も天井も、全てが白で統一されているからかもしれない。白って膨張色の最高峰だし。
ぐるぐると巨大空間内を彷徨うこと数分。
ぜんっぜん声の主が見つからない。
ていうか、無駄に広すぎなんですけど!
「ここだよ」
「ぎゃー!」
「ああ、ごめんごめん。驚かせちゃったね」
いきなり背後から聞こえた声に、驚いて奇声を上げてしまった。三十過ぎの女性としては落ち着きがないけれど仕方がない。
だって知らない場所でいきなり知らない人から声掛けられたら怖いでしょ!? 怯えるでしょ!?
私は怯えまくりながら振り返った。
そこには、気の良さそうな背の高い黒髪の青年が立っていた。
「上から言われたの? 君も大変だね。まぁ後は片付けだけだから、悪いけどよろしくね」
よろしく? よろしくって何を?
片付け? どこを?
まさかこの部屋を掃除しろと?
この無駄に広い部屋を一人で?
むりむりむりむりむりむりー!
疲れててそれどころじゃないし、疲れてなくても無理ですよ!
私は三十年の間築き上げてきた数少ないスキル、愛想笑いを浮かべながら、無い勇気を振り絞って尋ねた。
無論、話を逸らすためである。
「あ、あの……ここ、どちらですか?」
「え?」
「わ、私、気が付いたらピラミッドにいて、その……す、すみません! 不法侵入しました!」
深々と頭を下げる。思わず不法侵入したことまで口走ってしまったけれど、心に後ろ暗さを持ったまま生きられないから仕方ない。素直が美徳だとは思わないけれど、自首したほうが罪が軽くなるものだし……日本以外もそうだよね? そうだって言って誰か〜!
などと頭を下げながら心の中で叫んでいると、ポンと肩に手を置かれた。
ゆっくりと恐る恐る頭を上げてみる。
「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。もしかして君、『流れ者』じゃない?」
「ま、まじゅら……?」
「そう。たまにいるんだ、流れてくる人が。大変だったね」
『まじゅら』が何かは知らないけれど、『まじゅら』だったら怒られなくて済む感じ?
前科がつかなくても済む感じですか?
「あの……」
「安心していいよ。君がここに居たことは誰にも言わないから。それに流れ者なら万が一バレてもお咎めはないよ」
やったー! 不法侵入罪で捕まる未来は回避されたー! イェーイ!
私は心の中でランバダを踊るほど喜んだ。ランバダがどんな踊りか知らないけれど。
優しい笑みを浮かべるお兄さん(多分年下)にもう一度深く頭を下げた。
ありがとうお兄さん、ここで出会えて良かったです!
「ところでその『まじゅら』というのは……」
万が一私が『まじゅら』とやらじゃない可能性もゼロじゃないため訊いてみた。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の憂いって言葉もあるし。
……え? 違う? 違わないですよ。あの時聞いて置けば良かったぁ〜、という後悔が聞かないと一生残るって意味の言葉です。私の実体験であります。
「ああ、君や僕のことだよ。君も元は別の世界から来たんだろう?」
「別の世界と言いますと……?」
「もしかして君、気づいてなかった? ここ、地球じゃないよ」
「え?」
「ていうか、同じ世界じゃないよ」
このお兄さんは何を言っているんですか……?
「ここは別の世界の異国。君は元の世界から流れて来たんだ。流れて来た者を『流れ者』って呼ぶ。君も僕も、異世界人なんだ」
イセカイジン?
別の世界?
地球じゃない?
ちょっと何言ってるかわかんないっすね。
頭が理解を拒否している。というか、理解したらいけない気がする。
だって、ここはエジプトじゃないの!?
「あの、失礼なことをお聞きしてもいいでしょうか……?」
「うん、何でもどうぞ」
「あなたは日本人……ですよね?」
困ったら話を逸らす。汚い大人が使う手です。
「違うよ。血縁で言えば、祖母が日本人だったらしいけど、両親はアメリカ人。で、僕も流れ者」
言われてよくよくお兄さんを見れば、日本人にしては背が高いし肌も白い。顔の彫りも深い。
「これを言ったら驚かせちゃうと思うけど、流れて来たのは四十年前なんだ。だから君より年上だよ」
え? 四十年前?
ということは、40歳以上!?
見えません! よくよく見てもその白い肌はピチピチしてる。目尻に笑い皺はあるけれど、他に皺という皺はない。
え? お兄さんのギャグ?
流れ者ギャグですか?
「その顔、信じてないようだね。まぁその話はおいおいしようか」
そう言うと、お兄さん(自称四十歳以上)は「ちょっと待ってて」とどこかへ行き、戻って来ると大きなリュックを背負っていた。
大きなお兄さんが背負う大きな荷物……人一人くらい入りそうなどの大きさ……中に何が入っているんでしょう……?
などと若干疑心暗鬼になったりもしたけれど、お兄さんについて行ったら、あっという間にピラミッドの出口に出ていた。
あんなに通路を進んで進んで進みまくってようやくあの巨大な部屋に着いたのに、出る時はあっさり。行きは長くて帰りはよいよい、なんてこと有り得るの?
頭の中が疑問でいっぱいの私へ、お兄さん(人一人の大きさの荷物を運んでいる)は笑顔で言った。
「この世界、魔法があるんだ。厳密には魔法とは言わないけれど、不思議な力を使える人達がいてね。そういう人が、神殿に魔法を掛けてるんだ。ちなみにさっきのピラミッドは神殿の一つだよ」
へ、へぇ〜、魔法ですか〜、ふ〜ん……。
ま、ままままま魔法!? 異世界で、魔法!?
あ、頭が痛くなってきた……脳が処理できる事象を大幅に越えてきてパンクしそうや……どないしよ……助けて誰かくれまへんか……。
などとエセ関西弁を多用してどうにか脳を誤魔化していたけれど、限界が近い。
「あの……」
「うん? なんだい?」
「日本語お上手ですね……」
秘技、話逸らし。本日三度目の活躍です。
「ああ、違う違う。僕はずっと英語で話してるよ」
「え?」
ぱーどぅん?
「君には日本語に聞こえているだろうけれど、僕は英語で話してる。君は日本語で話しているけれど、僕には英語に聞こえる。この国の人はこの国の言葉で話す。けれど全部自動で翻訳されるんだ」
な、なにそれ!
ほんやくコンニ◯クいらずじゃん!
「ま、マジですか」
「うん、マジですよ」
私はどうやら、本当に異世界に来てしまったようです……。