婚約破棄の理由【食い気】
「コーデリア・フランチェスカ!貴様との婚約を破棄する!」
「んぐ?」
堂々と宣言した少年は佇まいから貴族だと言うのは分かる。
指を差して名指しされた少女は魚の形をしたお菓子を食べながら振り返った。
「貴様のように、菓子ばかり食べ、ブクブク太る未来しか見えないお前より、このアラセリスのように触れたら折れてしまいそうな腰を保つことのできる者と結婚する!」
「んぐんぐんぐ」
「食べてないで何か言ったらどうだ!貴様のようにコルセットなしでは女性の美しさを保てない者には弁明の余地すら無いだろうがな」
女性の美しさを語る少年はコーデリアの腰を指差した。
少年の声に反応した周りの人はコーデリアの腰を見た。
少年が指摘するほど、コーデリアの腰は太くない。
アラセリスと言われた少女とそう変わらない。
むしろ好きなだけ食べているコーデリアの方が保っていると言えた。
「んぐっ、オダリス様」
「何だ?今さら言い訳など聞かんぞ」
「婚約破棄受けましたわ」
「貴様のその食い意地は気に食わんが、素直なとこだけは評価しておこう。コーデリア・フランチェスカ伯爵令嬢」
爵位が上ならば、下の者に婚約破棄を言うことも、その反対も許される。
だが、往来ですることは許されていない。
「美しいアラセリスを見習って生活習慣を見直せば、我が侯爵家と同等な家とは難しくとも伯爵家くらいとは婚約できるのではないか?」
「んぐっ、ありがとうございます」
「人が話している時くらいは食べるのを止めたらどうだ!なぁ、そう思わないか?アラセリス」
「本当ですわね。わたくし子爵家ですが買い食いなど恥ずかしくて出来ませんわ。さすが伯爵家ですわね」
「んぐんぐ」
「貴様のような女が婚約者であったなど、オダリス・クレッグの一生の汚点だ。慰謝料も請求するからそのつもりでいろ」
アラセリスの細い腰に手を当てて優雅に立ち去る二人をコーデリアは魚の形をしたお菓子の二つ目を食べながら見送った。
「んぐっ、慰謝料の支払いどうしましょう?」
一方的な宣言でも身分が上の人間なら慰謝料を請求することも許される。
どんな理由でも上の人間が言うことは絶対という状況でコーデリアに支払わないという選択はない。
「まずは、これを食べてから考えましょう」
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後日談
「アラセリス!その醜い腰は何だ!?」
「大きな声を出さないでくださいまし。お腹の子に響きますわ」
「そっそうか。子が産まれたら戻るのか?」
妊娠すると体形が変わることをオダリスは知らなかった。
オダリスにとって女性の細い腰が命だった。
「元気な男の子でございますよ」
「そうか。それで腰は戻ったのか?」
「いえ、これからお乳をあげますので蓄えないといけませんよ、坊っちゃま」
「なら、乳をあげるのはメイドに任せて、腰を戻すように伝えよ」
「いえいえ、お乳は子を産んだ女性にしかあげられませんので、腰を戻すのは無理ですよ、坊っちゃま」
「坊っちゃまは、よせ」
「はい、坊っちゃま」
オダリスはアラセリスの細い腰がなければ意味がないとばかりに顔を会わせないまま半年が過ぎた。
その間に何度もアラセリスの腰が戻ったか確認はするものの芳しい返事がないと執務室に籠るということを繰り返した。
「アラセリス!いつになったら腰が細くなるのだ?そう言って半年が経つのだぞ」
「だってサロモンがお乳を飲むと、お腹が空くんですもの」
用意されている砂糖がたっぷり使われたお菓子を食べるアラセリスを見て、ますます苛立ちを募らせる。
アラセリスと結婚する前に婚約していたコーデリアを思い出した。
「なら乳をやらねば良いだろうが!我慢くらいさせろ!」
「まぁ恐ろしい。サロモンに餓死しろというのですか?」
「そんなことは言っていない。とにかく腰を細くしろ。そんな体型では社交界に連れてもいけない。いいな」
子どもが乳離れをするまでは社交界に出ないのが通説だがオダリスは一刻も早く細い腰のアラセリスを連れて行き自慢をしたかった。
何だかんだと言い訳をするアラセリスは子爵家の身分で侯爵家に嫁ぎ、婚約破棄までさせたのだから強かだった。
「あら、クレッグ侯爵ではありませんか」
「あら、今日もお一人ですの?奥方は?」
「子離れが出来ずに家におりますよ。モンロック侯爵夫人、ストラド侯爵夫人」
「まぁまぁ」
「それは寂しゅうございますね。奥方に社交界に遊びに来るようにお伝えくださいな」
「それはいい考えですわ。奥方にお伝えくださいませ」
「ええ是非とも」
子どもがまだ一歳になってもいないから社交界に出ないことは失礼にもならないが、そういうルールに疎いオダリスは真に受けてしまった。
料理長には痩せるための食事を作るように指示をし、マナー講師を手配した。
元が子爵令嬢であるアラセリスのことを面白くないと思っている令嬢は多い。
「お聞きになりまして?モンロック侯爵夫人は妊娠してすっかり細くなってしまわれたのよ」
「まぁ、お気の毒ですわね」
社交界で聞いたことを実践しようとオダリスは久しぶりにアラセリスと夜を過ごした。
結婚したときは夜が来るのを楽しみにしていたが、今夜は目的のための義務が強かった。
「おめでとうございます。ご懐妊です」
「うむ」
この妊娠でアラセリスの腰が細くなることを信じて疑っていない。
だが元々、第一子を妊娠したときにつわりに悩まされることなく好きなだけ食べることができたアラセリスが痩せることは、ほぼないと言って良かった。
「どうして太っているんだ!妊娠をしたら痩せるのだろう」
「あら、モンロック侯爵夫人のことを言っていらっしゃるのね。あの方はつわりが酷くてお食事を召し上がれないようですのよ。わたくしはそんなこともなく、お菓子も食べられるから良かったわ」
「明日からは食べる量を減らすように。そんな状態ではサロンにも恥ずかしくて出せない」
アラセリスの実家には体型を維持することもできない女主人はいらないから第二子を出産後に離縁するという書状を送っている。
上の身分から申し伝えることは許されるためアラセリスが拒否しても受理されてしまう。
「こんなことならコーデリアと結婚しておけば良かったな。あれは素直ではあったし、通常の令嬢より食べていても割りと細い腰ではあったからな」
「旦那様」
「何だ?」
「奥様がクリームタルトをご所望でいらしていますが、いかがいたしましょうか」
「だめだ。そんな甘いものを食べれば、また太るだろうが。絶対に菓子は出すな」
「かしこまりました」
苛立ちながらオダリスは同じ侯爵家からサロンへの招待があったため馬車に乗った。
たいていは夫人を同伴させるのが礼儀だがアラセリスが妊娠中であるから一人で参加しても失礼にはならない。
あんな体型を見せるくらいなら一人で参加する方がましだった。
「よく来てくれたな、オダリス」
「一人での参加を許してくれ、マシュー」
「奥方が第二子を妊娠中なのだろう?めでたいことだ」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
サロンにいるのは既婚者だけなので下手に女性に声をかけると愛人目的だと勘違いされかねなかった。
五年前にオダリスが往来で婚約破棄を申し付けたことを知っている者もいるため、あまり好意的な視線は向けられない。
「すっかり壁の花だな」
「仕方ないだろう。俺から声をかけるわけにはいかない」
「そう言うなよ、それで目当ての女性はいたか?」
「そうだな。あのレモン色のドレスの婦人なんかは好みだな」
「おいおい」
レモン色のドレスの婦人は後ろ姿のためオダリスの好みにあったのは腰の細さだ。
その婦人の正体を知っているマシューは呆れた声を出した。
「夫人、少々お時間をよろしいですか?」
「まぁ、わたくしに声をかけるなんて思いませんでしたわ」
「・・・コーデリア」
「あら、わたくしはクレッグ侯爵の婚約者ではありませんので、呼び捨ては失礼ではありませんこと?」
人々の目があるなかで婚約破棄を言い渡したコーデリアだった。
だからマシューは呆れた声を出した。
「なぜ太っていないんだ?」
「女性に体型のことを質問されるのは失礼ですわよ。あの婚約破棄を言われたあとに今の夫に求婚されましたの。そして体型を維持するために軍の訓練を教えてくれたんですのよ。そのおかげで二人の子を産んでもコルセットなしでドレスが着られますの。本当によい夫を持ちましたわ」
「そうか。あのときはどうかしていた。コーデリアの美しさに気づいていなかった」
「謝罪でしたらお受けいたしますけど、呼び捨てはいかがなものかと思いますわ」
コーデリアの小言も聞き流しオダリスの目は腰だけを眺めていた。
腰が好きなのは婚約をしているときから知っていたから、その視線が不快であっても指摘することは避けた。
「コーデリア、良かったら食事でもどうだろうか?」
「お断りしますわ」
「何を言っているんだ?君は嫁いだのかもしれないが元の身分は伯爵令嬢だろう?俺の誘いを断ることはできないだろう?」
「そういえば結婚してから挨拶状を送っておりませんでしたわね。わたくしは、コーデリア・マンドですの」
「はっ?」
「マンド公爵家に嫁ぎましたので、公爵夫人ですわ。それでも元の身分を出されるのでしたら夫よりお断りのお返事を差し上げますけれども」
「いや」
一瞬にしてオダリスの顔色が変わった。
コーデリアが自分より下の身分であると信じていたオダリスは自分の失言にようやく気付いた。
「わたくしの夫をご存知なかったようですので、ご説明差し上げますわ。マンド公爵当主で近衛軍の総隊長を務めておりますの。基本的にサロンはホストの方の爵位より上の方はご参加されないのですけど、マシュー・オファレル侯爵は夫の右腕とも言える副総隊長ですのよ。そのご縁で今回のサロンに呼んでいただきましたの」
「そ、そうか」
「クレッグ侯爵とは浅からぬご縁がありますもの。わたくしも二人目の子が一歳になりましたので、サロンを開こうと思いますのよ。ぜひとも、ご夫婦で参加していただきたいわ。あっでも今、奥様は妊娠中でいらしたのでしたわね」
「あぁ」
「それは残念ですわ。参加されるのは二年後になりますわね」
「子どもが産まれるのは、あと数か月だが?」
「何を言っていますの?子どもが一歳になるまでは社交界もサロンも免除されますのよ。それとも子を産むという大役を果たした奥様を酷使しますの?」
「そんなことは言っていないだろう!」
コーデリアが自分より身分が上だということが分かっても婚約者であったときの態度は抜けなかった。
声を上げたことで注目を浴びたがオダリスは気づいていなかった。
「それでしたら構いませんわよね?」
「いや、だが」
出産したあとにアラセリスの体型が戻っているとは思えないオダリスは断りたかった。
だがコーデリアはそんな思惑すらも見通して言葉を続けた。
「あら、わたくしの誘いを断りますの?これでもわたくしの夫は公爵家ですのよ。それだけではありませんわ。奥様の元の身分はたしか子爵令嬢でいらしたわね?わたくしの元の身分は伯爵令嬢ですもの。断るなんてされませんわよね?クレッグ侯爵?」
たしかに上の身分の者は下の身分の者に何を言っても何をしてもいい。
だが、それでも礼節というものは存在する。
ここまで来てオダリスはようやく五年前に往来の中で婚約破棄を言い渡したことをコーデリアが怒っていることに思い至った。
「あぁよろこんで参加させていただくよ、マンド公爵夫人」