第一章1 『遮断機の音はうるさい』
俺こと天守テルマは、家から近くの学校に通う高校一年生だ。
自己紹介……といきたいところだが、名前がちょっとキラキラしていること以外、俺という人間で特筆すべきことはない。
無個性なのが個性というような、どこにでもいるフツーの人間が俺だ。
――季節は冬。
入学してから半年以上の月日がたち、新しい人間関係にも慣れ、クラス内のポジションが定着して久しい今日この頃。俺は通学路で一人、長年自らを苦しめる病と格闘していた。
『こんなクソったれな現実から逃げ出したい病』
それが俺が抱えている持病の名称だ。
この病は誰しもが一度は発症すること必至の、言うならばはしかのようなものなのだが、どうやら俺はそれを少しばかりこじらせてしまったらしい。
「あー……ファンタジー世界に行きたいなー……」
そう、俺は中二病も併発している中々の重篤患者なのだ。
口から漏れ出た痛々しい言葉は誰の耳にも届くことない。
俺の胸には虚しさとやるせなさだけが残り、そんな内側に溜まったモヤモヤをかき消すように俺は歩くペースを一段と上げた。
ああ、寒さが肌に染みやがる。
…………まー、要するにアレだ。
嫌になっちゃったのだ。うんざりしちゃったのだ。
スクールカーストとか、テストの成績とか、そんなくだらないもんに一喜一憂しなきゃならない、世の中に。そしてそんな世の中では何一つ輝けないみすぼらしい自分に。
高校に入学して、周囲の環境や人間が一新すれば何か変わるんじゃないかという希望も、非常な現実の前に打ち砕かれ、俺は今こうしてうなだれている。
「はぁ…… 憂鬱すぎる……」
かと言ってそう簡単に学校を休むわけにはいかない。実はちょっとした家庭内の事情により、俺はそういった甘えが許されない状況下にあるのだ。
まあその話はさておき、学校は本当に嫌な場所だ。
あ、そういえば学校と言えばアイツがいたな。
『アマモリってその名前、ほんっと辛気臭いあんたにお似合いよね~www』
そう言って、ことあるごとに俺を馬鹿にしてくるあのクラスメイト。
奴とは幼稚園からの付き合いで、俗にいう「幼なじみ」というやつだ。
ここで勘違いして欲しくないのだが、アイツとは一般に「幼なじみ」というワードから想像されるような仲睦まじい関係では一切ない。
幼いころ一緒にお風呂に入っていただとか、結婚の約束をしただとか、そんなエピソードももちろんなく、アイツとの思い出とはすなわち戦いと血の歴史である。まあ血はすべて俺のものだが。
ともあれ、そんな奴が十数年近くにいたのだ。
そりゃ二次元世界の彼方に逃げ出したくもなる。
――カン カン カン カン……
おっと、あれこれ悶々と考えているうちに、踏切に差し掛かったようだ。
運悪く降りてきた遮断棒に、俺は少しばかりのため息をついた。
もうここを超えれば高校は目と鼻の先だ。
無理をすれば横断することもできるのだが、そんなに焦る時間帯でもないし、そんなテンションでもない。ここはおとなしく電車が過ぎ去るのを待つとしよう。
――カン カン カン カン……
甲高い遮断機の音が鼓膜を激しく叩く。
日常茶飯事のこととはいえ、早朝に聴くにしてはひどく耳障りであることには違いない。
俺は音楽プレイヤーが入っているカバンに手を伸ばす。
すると、次の瞬間だった。
『ドン!』
突然、胸に激痛が走った――
「ぐう…っ!」
不細工なうめき声を上げて、地面に崩れ落ちる。
心臓の動悸が耳で聞き取れるほど大きい。それに
――熱い。
一体なんなんだこの痛みは。まるで内臓を直接火で炙られているかのような痛みだ。
熱が体の芯から全身に広がっていくのを感じる。
「だ、か…!誰か……っ!」
――カン カン カン カン……
必死のSOSも、けたたましい遮断機の音にかき消されてしまう。
焼けるような痛みについには呼吸さえもままならない。そんな状態でもう一度声を上げようとしても、空気のない肺がそれを拒絶する。
周りを見渡しても人気が全くない。――死、そんな言葉が頭をよぎった。
「フーッ……フーッ……」
――カン カン カン カン……
痛みで鋭敏化された聴覚は無情に鳴り響く騒音を変わらず拾っている。
全身を覆っていた激しい熱が引いていくのと同時に、意識が遠のいていく。
もう痛みは感じない。それどころか窮屈な肉体を飛び出して、魂だけが宙に浮かんでいるような穏やかな気分だ。
そして遮断機の音が消えた。
※※※※※※※※※※
強い日差しに顔を焼かれ、俺の意識は半ば強制的に呼び起こされた。
「――んっ」
目覚めた視界にいっぱいの青空が映る。
気が付くと俺は仰向けになって地べたに寝転がっていた。
「俺……気を失ってたのか……」
う、なんか体が鉛のように重い……。
心なしか目まいもする。
でも、あの原因不明の動悸はもう治まったみたいだ。
あれ程もがき苦しんだのがウソのように痛くもかゆくもない。
本当によかった。
それにしても随分眠ってた気がする。
俺は一体どれだけ長いことここで倒れていたんだろう。
俺は気だるげに上半身を起こした。
ん?
地面についた手のひらの感触に何か違和感を覚える。
「……石畳?」
急な動悸に襲われ、俺がもがき苦しんでいたのは、きちんと舗装されたアスファルトの上だったはずだ。額を地面に擦り付けながら、ゼロ距離で地面と睨めっこしていたため、そこは間違いない。
おれが違和感に対し、一瞬眉をひそめた。
その瞬間だった。
「動くなッ!」
突然の怒号。
野太い男性の声だ。
俺は肩を跳ね上げて驚き、その声の主の方を見た。
「……え?」
頭の中が真っ白になった。
それは目に飛び込んできた光景が、俺の脳の許容量を軽くオーバーしていたからだ。
「あ、あ、あ……」
俺が住んでいた街が跡形もなく消えていた。
代わりにそこにあったのは粗く舗装された石畳の道路と、石材と木材で組み立てられた建物たち。
そう、まるで中世のヨーロッパのような世界が俺の眼前には広がってい――
……いや、ちょっと待て。
なぜか俺は見知らぬ土地にワープしている。
うん、それは分かってる。
本来なら「どこだ、ここは!?」とか言ってリアクションの一つでもとるべきなのかもしれない。
いや実際したいんだけど。
でも無理だ。
今の俺にはワープだとかそんなことどうでもいい。
「あ、あ、あ……」
酸欠の魚のように口をパクパクと開閉させる。
俺は震える指で目前に立つ『声の主』の方を指した。
声の主の正体はトカゲだった。
二本足で立つ、人間のような体躯をした巨大なトカゲだ。
甲冑を着込み、むき出しの長い尻尾と甲冑の隙間からみえる体は深緑色の鱗でびっしりとおおわれている。
大きく見開かれた眼からは知性が感じられ、被り物というにはそのどれもがあまりに生っぽい。
俺はこの異形の存在を知っていた。
なぜなら俺が愛してやまない書物に、こいつらが必ずと言っていいほど登場していたからだ。こいつらは書物の中で「現実には存在しない架空の生物」として、こう呼ばれていたーーリザードマンと。
そう、俺の目の前にはリザードマンが仁王立ちしていたのだ。
頭で考えるより先に、俺の体は恐怖に支配される。
「で、でたぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
気が付くと俺は絶叫していた。
身をひるがえし、俺はクラウチングスタートに似た姿勢をとる。そしてリザードマンがいる方角とは逆方向にそのままスタートを切った。
「いやいやいや!なぜにリザードマン!? てか、どこよここ!学校は!?俺の家は!?」
クエスチョンで埋め尽くされるの脳内とは裏腹に、ほとんど反射で行われた一連の動作は自分でも驚くほどスムーズだった。
極限状態まで追い込まれた人間の底力が垣間見えた瞬間だ。しかし――、
「包囲しろォッ!」
リザードマンの号令が響く。
すると俺の行く手の先の物陰から、甲冑を着た男たちが一斉に飛び出してきた。
しかも結構な数だ。
「ちょっちょっちょっ……!」
彼らの手には長槍が握られており、そんなモノを向けられては丸腰の俺はブレーキを踏む他ない。
俺史上最高のロケットスタートもあえなく失敗に終わり、屈強そうな男たちに360度完全に包囲されてしまう。
「ハァ……ハァ……」
「動くなと、そう言ったはずだ」
リザードマンのただでさえ恐ろしい顔面がますます険しくなる。
「クソッ、一体なんだってんだ……」
意味が分からない。
俺の脳内は今まさに混沌としている。
突然の激しい動悸に意識を失って、次に目が覚めたらどこか知らない場所に飛ばされていた上に、空想上の怪物率いる一団に刃を突き付けられるなんて、何もかもが非日常的すぎる。
「……」
しかしこんな状況にあって、俺は自分の中で一つの答えを出していた。
突然の意識の断絶。
いきなり出現した中世ヨーロッパ風の街並み。
そして目前の異形の存在。
それらの情報全てを統合し、俺の持てる知識を総動員させて導き出した答えだ。
……まあ最初から直感していたことなのだが。
これってどー考えても『異世界召喚』じゃん……




