kiss
カチッ。
ライターの小気味良い音がして、浅葱の煙草に火が点く。
「優の寝顔はこの世のものじゃないみたいに可愛い。」
口から煙を昇らせながら、浅葱は恋人とののろけ話をする。 その表情は幼馴染みの俺でも初めて見るほどで、今の生活の充実ぶりをよく現している。
「仕事してる浅葱はこの世で一番格好いいんですよ?」
「仕事してなきゃ駄目か……。」
凹んでみせる浅葱に、恋人は食い気味に反論した。
「いつも格好いいんですけど、仕事中は群を抜いてるんです!」
今月から社内の同じ部署に配属されたことをきっかけに同居……同棲を始めた浅葱と恋人の優。同性カップルの場合も同棲という表現で間違いがないのかは、俺――千景にはわからない。
仕事終わりに落ち合い、駅近くの有名カフェで久しぶりに顔を見て会話をする。勿論浅葱と優は隣、俺は浅葱の前に座っている。
「千景は仕事どう?」
「絶不調。」
だと思った、と言わんばかりに軽く笑う浅葱。こう言うと察して深くは訊ねてこない。優からは元来話しかけられはしないから楽だ。
大手家電メーカーに勤めるふたりと大手出版社に勤める俺。憧れだけで入社したことを後悔している、と言うにはふたりは公私ともに充実しすぎていた。
優のことを妬ましいとすら思う。浅葱には思わない。何故なら、俺はまだ浅葱を好きだから。
「来月入稿終わったら飯奢るよ。」
「ありがとう。」
だから、頑張れ。
煙草をゆったりとしたペースで吸っていく浅葱に、数年前にはなかった色気を感じる。大人になったのだ。
「のろけ聞かされても良い気がしないことくらい、分かってるから。いくらでも愚痴聞くよ」
ありがたい、という前に遠回しに優に釘を刺したのだと思った。当の優は気付かず机上のモカを眺めている。
はたと気付いたと言わんばかりに顔をあげた優。
「千景さん彼女いないんですか?」
無意識な言葉の暴力が刺さる。
27年生きてはいるが彼女が出来たことは一度として無く、失恋した恋を未だに諦めきれずにいる。
「あ、童貞なんですか。」
「いや、こいつ非童貞非処女だよ。」
何故か浅葱が答え、交際経験がないのに経験はあるとはどういうことだと言う目でこちらを見つめて止まず、少し間を置くとぽつりと呟いた。
「不純、ですね……。」
噛み締めるように言われてしまい何とも形容し難い気持ちになり思わず目を逸らし俯いた。
浅葱は笑いながら短くなった煙草を灰皿に押し付けると、片手間に赤い箱からもう一本取り出した。
「吸い過ぎるなよ。」
「分かってるよ。」
俺は喫煙者ではないため、何1つ知識がない。しかし、寿命を縮めるというのが通説だ。浅葱に早死にされては寂しくてどうにかなってしまう。
少し仕事や互いの生活ぶりをはなした後、優がスーツのポケットから煙草を取り出した。ふたりの銘柄は違えど、喫煙者同士だと喫煙者と禁煙者でいるよりも分かり合えることが多いのか。俺と浅葱の些細な違いがもたらした結果なのだと思うと、年甲斐もなく胸が苦しくなった。
優がポツリと言う。
「ライター忘れた……。」
潔く吸うのをやめるかと思いきや、煙草を箱に戻すのを止めたのは浅葱だった。
「え、浅葱のライター重いから使いたくないんですけど……。」
「我が儘だな……。」
「ごめん。」
と言いつつも浅葱は嬉しそうだ。俺の知らないうちにこんな表情もするようになったのか。優に妬く自分を女々しいと言われてしまえば返す言葉もない。
「煙草。咥えて。」
「あ、うん。」
何をしようとしているのか見当も付かず、優の咥えた煙草と浅葱を交互に見ていると。
浅葱は優の首に片手を回し顔を引き寄せる。優は照れと羞恥の入り交じった表情で、しかし拒む様子は一切ない。ふたりの煙草の先端が触れ合い、浅葱から優に火が移された。
煙草を離すと照れくさそうに「ありがとう。」と優が笑い、浅葱は煙を吐きながら優の髪をくしゃりと撫でた。
それはあまりに美しく見え、お似合いだ、と思ってしまった。入り込む隙間なぞない。
嬉しそうにはにかみながらこちらを見てくる浅葱を、それでも、俺はいつまでも好きなのだろう。