リストメイカー×リストバンドメイカー
以前投稿しました短編の続きのつもり。です。
「ねえ」
そう声を発したのは、僕とは異なるクラスの女生徒。
ここは廊下だから、他クラスの生徒が声をかけてきても何ら不思議ではない。
見知らぬ者が声をかけてきたとしても、知り合いを捜しているときならばあり得ることなので気にしてはいけない。
決して彼女が馴れ馴れしいタイプではないと信じたい。
「お~い」
これは、きっと教室にいる誰かを呼んでいるのだろう──今は放課後で、校舎内にいる生徒は文化部の活動中のものがほとんどであり、生憎、僕の背後の教室はどこの部活動にも使われていないが──。
「君だよ?」
この声は、明らかにこちらの方を向いている。
私の向こうの誰かを呼んでいるのであろう。
……私の目の前にはロッカーがあり、声が聞こえたのは右側で、左側には突き当たりにある図書室までの間、誰一人居ないが……。
「無視すんな~!」
ついに我慢の限界を迎えたか、私の肩に指が触れ──そうになった気配がした(視界の端で影が動いた)ので立ち上がり、右側をみないようにしてエナメルバッグを肩にかけながら昇降口へ向かった。
後ろからはパタパタと足音がついてくる。
この学校の上履きはスリッパなので、そういった効果音になるのだろう。
私は癖で、なるべく足音をたてないように歩く。だがやはり、たまには高い音が響く。
「まだ無視すんのか~?」
やはり、現実逃避は役に立たないな。
左手首にリストバンドを巻いた彼女は、なぜか私に話しかけてくる。
私と彼女の接点は、先日の特別教室での出会い以外は何もないはずなのに。
彼女がリストバンドをつけるようになったのは、私の知っている情報が正しければ昨年度から。
それ以前は、たびたび、手首に絆創膏を貼っていたり包帯を巻いていたりといった姿が目撃されている。
リストバンドを巻くようになってからも、その端から、白い──包帯のようなものがはみ出ているのも目撃されている。
一説によると、それはリストカットの痕を隠すため。
他の説では、いじめによってできた痣を隠すため。
それが趣味だと言い張る彼女の言葉を信じる者は、私の知る限り一人もいない。それは教師も含めて。
だから彼女は要注意人物だったりする。
「何の用ですか?」
観念して口を開く。
彼女にあのメモ帳を見せるのは、気が進まなかった。
「へ? ……もう一回、言ってくれる?」
私の声は小さい。
だから復唱要求は慣れている。
もう一度言うが、少し音量を上げたつもりでも、訊ね返される。
だから次は半ば叫ぶ感じになるが、相手の言葉を最後まで聞かず、語尾に少しかぶせてしまうため、やはり理解してもらえないことが多い。
「……何の用ですかッ!」
「あの、ごめん……、もう一回。」
仕方なく、メモ帳を取り出して書き込む。
『用は何?』
それを見て、彼女が呟く。
「きれいな字だねー」
何度か配布物を通して彼女の字をみたことがあるが、そちらの方が整っていて読みやすかったので、個人的には好みだったりする。
それに比べれば私の字なんてミミズが這った痕だ。
『それは今はどうでもいいです。
用件は何ですか?
無いなら付き纏わないで下さい』
自分の余計な思考を振り払うためにも、あえて文字にする。
「え? あ~……」
彼女は頬を掻いた。
5分ほど玄関で立ち止まり、彼女の言葉を待っていたのだが、彼女の後ろを男子生徒が通り過ぎるまで、不明瞭な音を羅列するだけだった。
「きのうのことを謝りたくって」
それでいちいち休み時間ごとに後をつけてくるのか。
というか謝りたいと言ったが、何に対してだろうか。
『何か謝られるようなことを
貴女にされましたでしょうか?』
「覚えてないの?」
『はい。
心当たりが全くありません。』
きのうの彼女との接点は、放課後の、英語の授業でしか使われない少人数教室だけだろう。
そこでメモ帳に勝手に文字を書かれたくらいしかないが、それは謝られるようなことではない。
「じゃあ、怒ってない?」
『何に対して
怒る必要が
有るのですか?』
確かにあのときは苛ついたが、別段怒ることでもないと、振り返ると思う。
感情が高ぶると冷静になるのに時間を要すると自負しているが、一度戻ればまたぶり返すこともないと思っている。
「えっと、でも一応、ごめんなさいでした。」
だからさぁ……と、つい地がでそうになってしまった。
『何に対してですか?』
えと、その……と、不明瞭な断片を口にしながら、指の先をつつきあわせる彼女。
これが自殺未遂を幾度も遂行しているとは、なかなかに信じ難い。
「きのうのこと、わたしのせい──だよね……」
『違います』
昨日のこととは、昨日、私が屋上から転落し、救急車で運ばれたことを指しているのだろう。
「本当に?」
『ただ単に
私が不注意だった
だけです』
「本当に?」
『何故あなたは
それほど
私を疑うのですか?』
屋上の古びたコンクリートを蹴ると、たまたま方向が悪く、四階分の高さを転落した。
いけない癖だ。
つい、感情が高ぶると風に当たりたくなる。
バカと煙は高いところが好きと言うが、あれは本当だ。
バカな私はよく、風に当たりに高いところへ上る。
校舎の周りを囲っている背の低い植木の上に落ち、掠り傷程度しかなかったが、体を起こすと、少し肩が痛んだ。枝によって傷つけられた制服のブラウスには、小さな赤が滲んでいた。
鞄は屋上にあり、今は上履きのまま。いったん校舎に入って荷物を回収してから帰ろうと思ったのだが、目撃者によって救急車が呼ばれ、病院に運ばれてしまった。
足を滑らせてしまったという言い訳を、信じた者は幾人か。
実際落ちたのは偶然で、いつもは着地に失敗して屋上で捻挫したり出っ張った屋根に気付かずたんこぶを作ったりしている。
なんてバカなことをするのだと、担任と父にさんざん言われた。
屋上には簡単に乗り越えられるような背の低いフェンスしかないため、自殺にはもってこいの、要注意地帯だ。
断っておくが、私は自殺がしたかったわけではない。まだそのときではない。ただ、そう思う生徒もいる、というだけだ。
「君はいつも、思い詰めた顔をしているから。」
『何も悩みはありません』
「本当? わたしでよかったら、相談乗るよ?」
貴女の方が悩みが深いだろう……と書くわけにもいかない。
『お断りします』
「ムーッ」
「また明日もいくからね~っ」
そう言い残し、彼女は走っていった。
その後を追うわけではもちろんなく、帰宅するためには校門から敷地外へ出なければならないために僕も同じ方向へ歩いた。
家に着く。
誰もいない。
1人暮らしでペットも飼っておらず、友人もいないため、誰かが居たならば逆に驚くところである。
「……ただいま」
自分の声が、静寂に響く。
誰もいなくても、する事はしなくては。
防犯の意味もかねて、挨拶くらいは声に出している。
返ってくるのは反響音だけで虚しくもなるが。
キッチンでやかんを火にかけ、電気ケトルのスイッチを入れ、自室へ向かう。
火から目を離すのはよくないが、時間短縮のためだ。
鞄を置き、着替え、メモ帳をポケットへ入れて、キッチンへ戻る。
スイッチの切れていたケトルのお湯をカップと大きめのビンにあふれるほど注ぐ。お盆に湯の池ができても構わずに。
すべて注ぎ終わったら棚から浅炒りコーヒー豆とミル、陶器製のドリッパーとペーパーフィルタを取り出し、テーブルの上にセッティング。
豆を多めに、気分で粗めに挽いていく。
挽き終わった豆をドリッパーに乗せたフィルタの中へ。
ドリッパーはお湯を捨ててきたビンの上へ。
やかんで沸騰させたお湯を少しだけ冷まし、少しずつ注ぐ。
時計の秒針が時を刻み、コーヒーのいい香りが部屋に充満する。
最後は少しだけ落ちきらないうちにドリッパーをはずし、なかのフィルタごと豆を廃棄する。
カップとお盆の中のお湯も捨ててきて、お盆の方は軽く拭く。
ビンからカップへ注ぎ、一息に飲み干す。
コーヒーに別段拘りがあるわけでも執着があるわけでもないため、味わいもしない。
カップその他器具を洗い、棚へ戻す。
ビンには中身が残ったまま、軽く蓋をし、放置。
そして、テーブルの上でメモ帳を開き、今日の出来事、明日の予定等を確認する。
これは、ただの習慣。
それ以上でも、それ以下でもない。
コーヒーの淹れ方は、親の真似。飲む習慣も、小学生の頃から。
砂糖を入れなくなったのは、いつからだったろうか。その代わり、とても薄いものを飲むようになったが。
そのためカフェインの目覚ましの効果など、あってないようなものだ。
側に置いてあったノートパソコンを電源につなげ、立ち上げる。
インターネットは契約していないため、この機器で使用することはできない。
メモ帳の背に入っていたUSBメモリを抜き取ってそれに差し込み、ファイルを開き、更新していく。
手元の文字が見え辛くなってきたので顔を上げ、窓の外へ目をやると、橙色の空が青へと移り変わるところだった。
データをUSBメモリに保存し、機器から抜きとる。
元のようにメモ帳の背に差し込んでから、席を立った。
シャワーを浴び、昨日の残り物の夕飯をコーヒーを供に食べ、押入から布団を出して敷いて就寝。
部屋はずっと、暗いまま。
外の世界と同じように明るさが遷移する。
自然が一番だ。
そのせいか、かなり夜目が利くようになっている。
そして、人工光に弱い。
なるべくPCも使いたくないのだが、デジタル媒体に保存するためには仕方がない。
夢を見た。
いつぶりだろう。
あの女生徒が、泣いていた。
彼女が泣く理由は、いくらでも挙げることができる。
だが、今までに知っている限りでは、彼女が人前でそのような姿を見せるとは思えなかった。
翌朝は、いつもどおり目覚まし時計よりも先に目を覚ました。
布団を押入にしまい、トーストを焼き、スクランブルエッグと揚げ餃子を作る。
せっかく作っても、どうせ近くにある公園のグランドを軽く走り、戻ってきてから食すから冷めてしまうのだけれど。
ランニングを終え、シャワーで汗を流してきて髪を拭いているとインターホンが鳴った。
滅多に鳴らない、僕の家の。
こんな朝から郵便ということもないだろう。
隣家の住人も、こんな時間に訪ねてくるような非常識人ではなかったはずだ。
では、誰が。
玄関へ向かい、不用心にも玄関を開ける。
「おはよう、ございます……」
あの女生徒が、立っていた。
僕の家の、玄関の前に。
きちんと制服を身につけ、鞄を両手で持って。
「・・・・・・。」
「えっと、先生に、教えてもらったんだ」
Doubt。
ついそう言いたくなった。
僕の家の住所は学校に届けてある書類に表記されているものではない。そちらにはいとこ夫妻が暮らしており、彼らはこの家の住所は知らないはずだった。
「……──お帰りください」
そっとドアを閉めようとすると足を挟み込み、隙間から腕を伸ばしてきた。
「待って待てっ!」
「──今、何時ですか?」
「もう一回言って」
「今!何時!?」
彼女はスマホの画面を確認し、言った。
「5時18分31秒になるとこ。」
『人の家を訪ねるときは
時間を考えてください』
長い言葉は伝えきれる自信がなかったので、玄関に常備してあるメモパットにボールペンで書いて見せる。
「ちゃんと考えたよ? 今からなら一緒に学校いけるよね」
『早すぎます』
「待ってるよ」
『迷惑です』
「あ、朝御飯は食べた? よかったら作るよ?」
『結構です。』