チャプター73 少女の願い
悪魔の世界でたった一人の死神は叫び続けていた。断末魔にも似たその叫びは悪魔の世界を破壊しながら響き渡った。ありったけの怒りをすべてぶつけるようにシロは神の遺産を発生させる。
「壊れろっ!!壊れろよぉ!!」
自分の右手にありったけ神の遺産の力をこめていく。どんなに怒りに任せて力を込めても、懇願しても、光はたちどころに弱くなり消えていく。
「壊してくれよぉ…俺の存在なんて…頼むから…俺もみんなのところに…行かせてくれよぉ…」
悪魔の世界で一人うずくまって、両腕の袖はあふれ出る雫を溜め込んでどんどんと重くなる。手足を縛る枷のように動きを鈍化させていた。ここに留まりすべての繋がりを遮断するという選択も彼にはある。その選択肢を選んでしまえば何のためにここにきたのかすら、あやふやになってしまう。彼は自分に向けた破壊の剣を鞘へ無理やり押し込んで立ちあがっていた。
「みんなが…望んだことは…俺がそれを最後まで成し遂げなきゃいけないんだ…」
シロはサレオスが用意したゲートに向けて歩き出した。彼の心は当然穏やかではなかった。
世界は俺を否定する。
自意識過剰なだけなのかもしれない。
だけど、そう思えてしまうほど存在することが…苦痛だ。
無理やり押し込んだはずの自分自身への破壊衝動は抑えきれず、破壊の遺産は燃え上がる。それは時折、火の粉のように体を覆う。吹き出た火の粉は彼の体を破壊することなく周囲の地形を破壊していく。
一歩、また一歩
彼の歩みで生まれる風は火の粉を大きく舞い上がらせ、散りゆく桜のように世界は枯れていく。
彼がゲートに到着するころには悪魔の世界は原型を留めていなかった。
サレオスが作り出したゲートは来たときと変わらない。一変の淀みなく死神の世界を繋ぎとめていた。シロはゆっくりとそのゲートに足を踏み入れる。
まもなく歩いていくとそこは死神世界の石門にたどり着いていた。死神の世界にたどり着いた時、見慣れた風景とともにサレオスが目に飛び込んでくる。そこには安堵の表情を浮かべるサレオスがいた。
「よかったよ、シロ。無事に終わったみたいだね」
「ああ、終わった。大罪の悪魔はすべて…」
「本当、君には驚かされるよ。大罪の悪魔を4人も倒しちゃうなんて…」
「俺だけの力じゃない…みんながいたから…」
ふと目を伏せ、思い出される悪魔たちとの戦い。実際のところ彼には神の遺産という絶対的な力があった。思い返していけばいくほど自分ひとりだけでは神の遺産という力にすらたどり着けなかっただろう。それがシロが抱いた思いだった。
伏せた目を開けると考え込む悪魔がいた。なにかの違和感を口に出すべきかどうか迷うような表情。耐え切れず悪魔は恐る恐る事実を確認するように話し始めていた。
「…みんな?今日、君は一人で悪魔を倒しにきたでしょ…?」
ひとつひとつの言葉を分離して噛み砕く。瞬間、体には寒気と悪寒が走り続ける。
「ひとり…何を…」
「そうさ、一人さ。ゲートを通ったのは君しかいない。それは君だってわかっているだろう?」
「違うだろ!!桐彦、それに望月…このえだって!!そもそも俺たちは零花を助けに行ったんだぞ!!」
再び悪魔はシロの言葉が理解できずに首をかしげる。
「零花…?」
シロの心臓は鼓動を大きくしていくと嫌な汗が全身に染み渡っていく。再び悪魔が口を開いた。
「誰だい?それは?」
「サレオス…冗談もいい加減にしろよ…俺たちの目的は零花を助け出すことだった!!」
シロは思わずサレオスの肩を両手で掴み、目を睨み付ける。サレオスの目に淀みはなく冗談をいっているようではなかったのは、その目を見た死神が一番に理解させられた。
悪魔はただ困惑するばかり、自分が勘違いしているわけではないことを再確認するためにも、悪魔の世界に足を踏み入れたときのことを思い返してみたが、サレオスの記憶にはシロが一人でゲートに入っていく様子しか思い出せない。
「君は死神本拠地を襲撃した悪魔たちを刈り取るためにこのゲートを通った。そうだろ?シロ?」
「ちがう…俺たちは…」
血の気が引いていくのが目に見えるようだった。サレオスは自分の認識が正しいことを確認するようにここに来た目的を語り続ける。
「天津神地がいなくなったために、君は一人で悪魔の世界に乗り込むことになった」
「一人じゃ…一人じゃない…」
シロの今まで歩んできた現実がゆがむ。現実を認識しようとすればするほどわからなくなり始めていた。
友人といってくれた悪魔が騙そうとしているに違いない。
そうでなければ…
彼らは…彼らは何のために
「悪魔の世界に行った君は五つの大罪と呼ばれる悪魔を倒しにいった。そして、君はサタンを除く4体の悪魔を撃破した」
「ち…ちがう…嘘だろ…嘘に決まってる…」
シロは掴んでいた手を離し、崩壊した本拠地に向けて走り出す。
悪魔の世界で傷ついた体は修復していない状態のまま。走ろうにも体は痛みを訴える。左手がないことで奪われるバランス。
右目がないことで奪われる距離感。
些細な瓦礫にも躓き転んでしまいながらも、どうにか立ち上がり走り出す。足は震え、今にも力が入らなくなってしまいそうなほどであった。
それでも確認せずにはいられない。
なかったことにしてはいけない。
この戦いはみんながいたから…仲間がいてくれたからこそ…
シロは大きく肩を揺らして辿りついた、壊れかけた宿舎の前に。そこには大門の姿があり、すぐさま駆け寄る。
「大門さんっ!!」
「おおっ!!もどったか、一之宮っ!!」
大門の表情は今までに見たことのないほど穏やかな表情。そして満面の笑み。
「よくやった…一之宮…たった一人で…本当に…」
「たった………一人……で…」
時が凍る。
永遠に溶ける気配をみせない時間。
思い出すのは悪魔の言葉
”全てを壊す破壊の遺産、重さに耐えれるかな…”
シロを支えていたものが崩れ落ちていく。
涙よりも先に自分の無能さに笑いがこぼれる。
「ははは…ははっ…は、そう…いう…ことかよ…なんにも…」
「ど、どうした…?」
無表情のシロの笑いがあたりに木霊した。彼の眼球は一度も動くことはなく、無理に引き上げられた頬の筋肉が強張りを見せている。その表情は大門の記憶に焼きついていく。恐怖にも似た感情とともに。
「破壊の遺産は全てを壊す…悪魔の力も、物質も、死神の体も、記憶も…存在も…」
抑えていた破壊衝動は再び吹き返す。誤魔化しが通用するような微々たる量ではない。本拠地を全て破壊しかねないほど、その力は大門に畏怖の感情を植えつける。
「おいっ!!一之宮なにしてるっ!!」
「そりゃあ…そうだよなぁ…壊せば…なくなる…」
「聞いてるのかっ!!一之宮シロ!!」
「大門さん…青葉桐彦…って知ってます?馬鹿みたいにわらってさ…みんなと笑い会える世界を作りたいって言ってさ…」
「…青葉?!知らないな…そんなことよりも力の発動を止めろ!!」
「そんな…こと?…じゃあ…望月みなもって知ってます?自分のトラウマ乗り越えて、桐彦が好きになったんですよ?必死に隠してるみたいだったけどさ…そんなの見ればわかるってのに…」
「知らんな…なんだというんだ?!帰ってきてから少しおかしいぞ?!」
大門の記憶には彼らの存在が消えている。それがわかっていても確認せずにはいられない。少しでも大門の記憶に残っているなら、彼らの存在がすこしでも残っているなら、わずかな希望を抱いていた。
「篠崎このえ…押切零花…聞き覚えはありませんか?こんな俺をさ…好きだっていってくれて…俺がつらいときは励ましてくれた…」
「ないな…」
「そう…ですか…」
膨れ上がった神の遺産は未だ膨張を続けている。誰にも止められない破壊の力がシロ自身に向けられる。だがそれでも死神の存在は壊れる気配がないことにシロは失望していた。
「やっと見つけたのに…俺は…俺は…」
自分の行為がどれほどひどいことなのか、それを理解したとき、彼の自責の念は自分を破壊することでしか満たされない。
シロ自身がそう感じていたことで、呼応するように蠢く破壊の遺産の発光が彼の影を大きく揺らしていた。
「一之宮、とりあえず落ち着いて話を聞かせてくれ、何があったんだ?」
大門の言葉はもう聞こえていなかった。
シロはただ自分の責任を自分に問い続けていた。
「もう…いい…せめて…俺に関する記憶だけでも…俺の存在を…」
シロ自身を破壊することに込められていた力は薄れていく。それと同時に本拠地は白い霧が立ち込める。
「おいっ!!一之宮!!返事をしろっ!!」
「大門さん…さようなら…ありがとう…」
「どういうことだ、一之宮、おい!!」
白い霧がさらに濃度を強めるたびに視界が悪くなる。シロの力は静かに消えていった。
本拠地にいた死神たちの記憶から一之宮シロという存在の痕跡を消した死神は、名を捨て自分の存在を消すためにその場所を後にした。
少女はゆっくりと目を開けた。春の心地よい風が彼女の目覚めを手助けする。少女は目が覚めるとすぐさま自分の母親に会いに行く。母を見つけたとき少女は勢いよく飛びつき、先ほどまで見ていた夢を話し始めていた。
「おかーさん、またシロお兄ちゃんの夢みたー」
「あら、またみたの?」
「うん!!」
「それはよかったね、あなたを助けてくれた人だものね」
「うん、だからちゃんとお礼、いいたい」
少女は少し悲しげな表情だったことで、母は少し心配だった。
「どうしたの?ユイちゃん」
「シロお兄ちゃん…泣いてた…」
「そうなの。じゃあユイちゃんがガンバレーって言ってあげないとね」
「うんっ!!」
母親は少女を抱きかかえると窓辺に連れて行く。少女を抱きかかえた母親が片手で窓を開けると、桜の花びらが部屋に舞いこみ、母親は一年前の出来事を思い返して、ホッとする。
「じゃあユイちゃん、シロお兄ちゃんにガンバレーって」
「シロお兄ちゃーん、ガンバレーーー」
母親は娘の声が届けばいいなと思いながら、交通事故で失われようとした自分の娘の命を守った一之宮シロに感謝し、目を伏せる。
少女はまだ必死にシロに伝えようと叫んでいた。
少女の声は響き渡り、世界中に反響した。その声がシロに届いたのかは少女にはわからない。だが、彼女の願いに呼応するように桜の花びらはよりいっそう空一面に降り注いだのだった。




