チャプター72 消失
静かな世界に落ちた言葉はシロの時間を止めた。桐彦や、望月、篠崎、ましてや零花も下を向くばかりだった。わけもわからずシロは桐彦に聞いていた。
「どういうことだよ…お別れって」
「そのままの…意味っすよ…」
そう呟いた死神の体は徐々に塵になっていく。体の末端からその現象は発生し、体の頭部に向けて進んでいく。あまりにも唐突に起こった現象を驚きながらも桐彦の表情はしょうがないと言いたげであった。
「思ったよりも早かったっす…」
「なんでだよ!!悪魔にやられたのか?!!」
「たぶん違うっす…おそらくは…」
なにかを言いかけて桐彦は無言になる。彼が言葉を繋ぐことを避けたのはシロを思ってのことだろう。その先の言葉を言ってしまうことが、どれほど目の前の死神を傷つけることになるかを知っていたから。
シロはまだ気がつかない。自分が何を願い、何をしたのか。
桐彦によって遮られたことに業を煮やしたシロは更に問い詰める。
「おそらく…なんだよ!!」
シロの目の前の死神は現状を突きつけた。
「シロさんの…力っす…」
「な…なん…で…」
世界は再び時間を止めた。頭の中では目の前の現象がどうして、神の遺産と言えるのかを考え尽くしていた。ふと蘇る悪魔の言葉がシロを戦慄させる。
"それは…破壊の遺産…全てを壊す力…"
「うそ…だろ…桐彦…」
「嘘…なら良かったんすけどね…」
シロは自分の行動を思い返す。
俺は何を願っていた?世界を破壊すると願っただけではないのか?
なぜ、仲間が破壊されなければいけない。
いくら頭の中で文句を言ったところで桐彦の体は今も崩れゆく。すでに体の崩壊は肩まで進行していた。
「俺がシロさんと戦った時が最初にこの力に触れた時だと思うっす…だから、俺の体の崩壊がみんなより速いんだと…」
「なんで…言わなかったんだよ!!」
怒りに似た感情が渦巻く中、シロは叫ぶ。
それは桐彦に向けられると同時に自分にもぶつけられる。
なぜ気がつかなかった、と。
「こうでもしなきゃ…守れなかったっす」
「お前がいてこそだろうが!!」
「レイねーちゃんを助け出すにはこれしかなかったっす」
腕のなくなった死神の表情は晴々とし、満面の笑みで笑っていた。
「俺は、俺が守りたいと思ったものを守れた。世界を変えることはできなかったっすけどね」
消滅を続ける桐彦の体は更に崩壊していく。散りゆくことを阻止するようにシロは抱擁した。シロにはそれしかできなかった。
「消えるなよ…桐彦…大事な…大事な仲間なんだ…」
「嬉しいっすねぇ…仲間って言葉聴けただけでも…俺は…」
シロの腕のなかにある桐彦という存在は徐々に消えていく。限界を迎えたことを悟った桐彦は望月の方を振り向いた。
「みなもっち…先に行って勝利祝いの準備でもしてるっす…また…あと…で」
その言葉を最後に桐彦の存在がなくなり、抱きしめていた感触も桐彦という存在を作っていたものも完全に消えたのだった。シロの抱擁は空をきる。とめることができない涙が溢れ出る。桐彦の願いを壊したという事実、そして、望月の思いを考えては涙はさらに零れ落ちるばかり。
「一之宮…じゃあね…ありがと」
望月の体もまた限界を迎えようとしていた。桐彦と同じように少女はただ笑顔だった。
「望月さん…ごめん…ほんとうに…ごめん」
「謝らなくていい…貴方がいなければ…レイ姉を助けることもできなかった」
「でも…俺は桐彦を…」
「謝るなって言ってるのに…最後くらいは笑顔で…じゃあね」
手を振りながら望月の体も消えて行く。体を構成していたと思われる物質が光を伴って天に昇る。また一人、また一人と仲間が消えていく喪失感がシロを襲っていた。ようやく仲間だと心から認めることができた存在が消えていく。まるで心が抉られていくような感覚は留まることはなかった。
震える体を心配する声がシロに届いたのはそんな時だった。
「シロさん…顔をあげて…」
篠崎はうなだれる死神の手を優しく包み込む。少女は気恥ずかしそうにシロを見つめていた。手のひらには彼女の暖かさが浸透する。じんわりと染み渡るその暖かさですら、失われてしまうということに気がついていた死神は謝ることしかできなかった。
「ご…め…ん…このえ…」
「私は…シロさんがいたから…楽しかった」
「俺は…それを…壊した…壊したんだ」
「確かに…壊れちゃった…けどシロさんがくれたものは…何倍も、何十倍もあるんだよ」
篠崎は俯くばかりのシロを下から覗き込む。
シロの体もまた破壊の遺産によって蝕まれ始めていることに気がついていた少女は少し悲しそうな顔をしながら囁いた。彼女は神の遺産の前で吐き出した自分の選択を思い出す。
「だから…つらいとおもうけど…シロさんは生きて…」
篠崎の思いを全て乗せた言葉は、重要なことを隠して響く。”シロさんは”という違和感のある言い方が自分の体が危険な状態であるということを意味していることにシロは気がつき、自分の体を確認する。
体は徐々に崩壊をはじめており、ルシファーとの戦いで神の遺産を発動し、修復した部分から欠損していく。左肩から先はもう無くなりつつあり、シロの体もまた無を迎えようとしていた。
「俺はって…どういうことなんだ…このえ」
「シロさんの力はね…シロさんの体も…壊しちやう…だから…」
「やめろ…俺はこのまま…みんなと一緒に!!」
右手を胸において、少女は願った。
お願い、シロさんの命を…守って…
その願いと共に篠崎の右手が光り出す。彼女の命を守っていたはずの神の遺産がゆっくりと手の中へ移動していた。
彼女の行為が意味することは自分の命を生贄にシロの命を助けるというもの。
当然シロもすぐに気がついた。だが、彼女がその行為をやめるわけはなかった。
今もなお、シロの体の崩壊は進み、右目は再び光を失う。
「だめだ…それがあれば…このえは助かる」
「もともとこれは…シロさんの力…それに私だけ助かったってしょうがないよ…」
「俺だって同じだ…仲間を壊したくせに…それで生きてたって…」
「それも考えた…けど、私は好きな人に生きててほしい…」
その言葉と同時に手を繋いだままの左手を強引に引き寄せて、神の遺産を手渡した。守護の遺産はもとの主人に触れたことで容易に体に入り込む。シロは少女のの手を引く力に対抗することはできずに引っ張られ体勢を崩した。
自分の気持ちを伝えることがもうできない。そんな想いが篠崎に勇気を与えると、彼女の想いを代弁するようにシロの横顔に一度だけ唇を触れ合わせる。
「…私の分まで…生きて…だいす…」
彼女の言葉は完成する事なく少女の体は砕け散る。彼女の体の崩壊を阻止していた守護の遺産がシロに移動した。それが原因であることはシロが一番理解していた。それと同時に彼の体の崩壊は止まっていたが、シロの体は力をなくして地面に崩れ落ちた。
「なんでだよ…このえ…みんなを壊した俺が生きていたって…意味なんかない…」
「そんなことないよ…そう教えてくれたのはシロさんでしょ」
零花もまた体がどんどんと崩壊を始めていた。シロにゆっくりと歩み寄り、手を差し伸べる。うなだれたシロの体がその手をとることがないと知っていた彼女は優しく顔を両手で挟み込み持ち上げる。
「シロさんも自分自身のために存在して良いんだよ。もう…自分を責めないで…認めてあげて」
「許せるわけがない!!…もうすこし俺が…気を使っていれば…こんなことはなかった!!」
「もし…貴方が自分自身を許せなくても…私がシロさんを許すから…だから…」
少女の目には希望が宿る。それは先ほどシロが与えたわずかな希望。
それを分け与えるように零花は呟いた。
「もう…自分を傷つけるのはやめて…」
彼女は目を瞑り、崩れ落ちたシロの体を抱きしめて耳元に言葉を残していた。
「バイバイ…シロさん、好きだよ…ありがとう…」
彼女の存在は言葉を残して消え去った。
仲間の死神たちの存在は光の粒子となって天に昇る。その光が完全に消滅した時、悪魔の世界は静寂に包まれた。
作り出された無音は世界がまるで"お前は一人だ"と言いたげで、シロの絶望に陥れていた。
彼の心は抉り取られ痛み出す。それは涙になって流れ出る。痛みは留まることを知らずにいつまでもいつまでも…
彼の悲痛な涙だけが、その無音を否定した。




