チャプター6 図書館の死神
窓から差し込む光は揺らめいてシロの顔に差し込む。季節は春、日が差し込む時間も早い。目が覚めたシロは時刻を確認すると6時30分とシロにしては早い起床だ。端末の画面には昨日開いたままの天津からのメールが写しだされていた。それを見たシロは朝からテンションを下げる羽目になった。
「+300年…トータル1400年…いや1401年か…はぁ…」
朝一番のため息は彼にとっては珍しくなかった。それに彼の憂鬱の原因は借神だけではない。ここ最近の人付き合いも憂鬱の原因のひとつであったのだ。こちらの世界に来てから他者とのかかわりを多く持つことになってしまったためか、無意識に作る対人関係の表情にも疲れがではじめたことはシロが一番よく知っていた。
そんな彼にも喜ばしいことはある。それが今日の休日である。生きていた頃も休日は嬉しいもので、単純に人と接する機会を自分から調節できるからである。シロはしばらくぶりの休みで本当は誰とも関わることなく過ごすつもりであったが、上半身をゆっくりと起し、ベッドから見渡すとベッドしかない殺風景な部屋であることを再認識した。
「しょうがない、現世にいって買い物でもしてくるか…ん?待てよ…あっちで買い物して持ってこれんのか?」
些細な疑問は持ちつつも、とりあえずベッドから出ることを決意した。
最低限の消耗品は部屋においてあった、それを使ってシロは身支度を整える。予定をたてるほどシロは計画的な人間ではないため何の気なしに自分の部屋をでた。
シロが住むことになった東京ブロックの死神本拠地は約200名の死神が存在するブロックで、他のブロックと比較すると非常に多かった。死神の人数は管轄内の人口によって決まり、世界有数の人口密度を誇る東京には必然的に死神の数は多く配置されていた。しかし現在、死神の本拠地に存在する死神の数は約30名足らずであり、シロにとっては好都合の場所であった。残りの170名は大半が自らの借神返済のための仕事に出かけていた。
そんな東京ブロックをうろうろと徘徊するシロであった。朝早くであることと、本拠地に滞在している死神が少ないことが幸いしシロは誰にも会わずに散歩していた。こちらの世界にきて5日ほど経つが全くと言っていいほど本拠地の構造を知らなかった。はじめに受けた説明である程度説明されていたはずだがシロは真っ白に燃え尽きていたため、覚えていなかった。
「さてと…とりあえず本拠地散策でもしますか…」
そう呟くシロは宿舎から離れ、建物という建物に入っていった。だが大半は訓練場であり目新しいところは何もなかった。次で何もなければ本拠地散策をやめ現世に行こうと思っていた。建物に入るのも10棟目になるとき、そこは他の建物とはまったく違うものであった。
「ここは…図書館…か」
図書館には全くと言っていいほど使われている雰囲気がなかった。しかし、埃ひとつかぶっておらず誰かが手入れしているとしか思えなかった。蔵書数はさほど多くなく、敷地面積はバスケットコートほどの大きさで入り口以外の壁に本棚がびっしりと並び、中央に大きめの机が四つ、それぞれに長いすが二つずつ付属していた。
シロは本のことが好きでもなく、嫌いでもなかったが、図書館は好きだった。人嫌いともいえるシロにとって不用意に話しかけてくる人間がいないことが図書館を好きである理由だった。本棚からタイトルの気になった”死神の活動における現世への影響”という一冊の本を取り出すと、ぱらぱらとめくってみた、内容はそう難しいものではなかった。過去の歴史で起こったありとあらゆる戦争や大地震や津波などを記録しており、それがどこの死神が原因でおこったものなのか詳細をまとめてある本であった。原因といってしまうと起こした死神が悪いようなニュアンスを含んでしまうが、その本には英雄談として記載されていた。
シロには気になる点がひとつあった。それは死者を一万人以上出すような大災害を起こした場合、その死神がいきなりすべてを包む光を発し、その光に巻き込まれた地区には守護霊、悪霊、地縛霊といったありとあらゆる実体を持たないものが存在していなかったという記述が見られたためである。
なぜそんなことが起こったのかはまったくシロには検討もつかず、とりあえず暇なときにでも零花に聞けばいいかと、その本を本棚に戻しその場を立ち去ろうとした。すると入り口のドアが突然開き、眼鏡をかけた少女が入ってきた。
突然のことに驚くシロであったがそれ以上に驚いていたのは入ってきた眼鏡をかけた女の子であった。
「ふぇ?!」
小動物のように鳴いた後は一度部屋を出ていってしまった。数秒も経たないうちに部屋に戻ってきた彼女はやはりシロがいることに驚いたみたいであった。
「ふぇ?!ふぇ?!」
また小動物のように鳴いた彼女はたどたどしくその場に立ち尽くしていた。出入り口は少女の後ろにしかないため、この部屋から出るにも彼女に話しかけなければいけない手間が出来てしまいシロはひどくがっかりしていた。シロは即座に考えた、いかにすばやく、そして会話を少なくこの場から立ち去れるかを。が、それがかなわない願いであることをシロは知らなかった。
シロは対人用の表情を無意識に作りだし、挨拶を試みた。
「えっと…はじめまして。最近きた新入りの一之宮です。よろしく」
普通の人間であれば、いや死神でもここでは自分の名前を名乗るのが普通だと思う。しかしその女の子が返してきた言葉はこうだった。
「ここの……と…かん…し…ですか?」
「ごめん、聞こえなかった。もう一回お願い」
「ここの……としょ……しな……ですか?」
「聞こえないって、もうちょっと大きな声でお願い」
「ここの!!図書館!!品揃えは!!どうですか!!」
いかに人嫌いシロであっても初対面で相手が名乗っている状況であれば自分の名前を言うだろう。だがこの少女は何だ?初対面で品揃えを聞かれる覚えはないぞと思いつつ、こんな面倒な状況から一刻も早く脱出するためにシロは会話を成立させるしかなかった。
「う~んと…悪くはないんじゃないか…」
シロは知っている、自分の趣味を他人に押し付ける人間を。ここでむやみやたらとほめてしまうと相手は趣味について語りだしてしまうため、ほめる選択はすでにない。かといって、けなしてしまえば後日会うことがあった場合、ひどく気まずくなり面倒くさい。よってシロが出した回答はどっちつかずなものであった。
しかし、眼鏡の少女には効果がなかった。
「ほんとうですか?」
不安そうにシロを見つめる少女の目はシロを混乱させてしまったのかもしれなかった。そんな少女に対しシロは
「うん…本当だよ?」
言った瞬間、シロは心の中でしまったと後悔したが、遅かった。
「良かったぁ…今まで誰もほめてくれなくて、というか、ほとんど誰も来なかったんだけど、今日一応誰か来ないかなって思って入り口開けて入ってみたら、人がいるじゃない本当にびっくりしたんだよ~あ、そうだ。新しい本持ってきたんだんですよ。ねぇ読んでみる?これメソポタミア神話に書いてある死神の伝承についてまとめってある本なんだけどね…」
シロは非常に後悔した
完全に地雷を踏んでしまったことに気づいたシロはとりあえず彼女のマシンガントークが玉切れすることを願いつつ、その場に立ち尽くしていた。
~30分後~
「っていう神話なんだ~…そうそう、この本も新しく買ってきたんだけどこの本はね…」
第二ラウンド目に突入。
もはや、止めることは出来なかった。
~30分後~
「っていう世の中の心理を表していたって話しだったんだ…でね、この本はこの男の子と、女の子が世界を旅して…」
第三ラウンド目、突入。
シロは止めることを諦めてはいたが、さすがに疲れてきていた。
~30分後~
「…でこういう世界観が良かったの…」
さすがにネタ切れのようであった。しかし、彼女の様子が少しばかりおかしかった。さっきまで元気にマシンガントークを繰り広げていた彼女が一転、無口になりうつむいてしまったのである。すこし心配になったシロがやさしく話しかける。
「大丈夫?どうかした?」
よく見るとうつむいていた顔は真っ赤に染まっていて体は震えていた。すると彼女のかすかな声は聞こえてきた。耳を澄まさなければ全くと言っていいほど聞き取れないが、ようやく聞き取れたシロであった。
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい…」
呪文のように繰り返し少女は唱えていた。
「落ち着いて、とりあえず名前教えてくれない?」
1時間30分前に聞きそびれたことを聞くと彼女は静かに答えてくれた。
「このえ…篠崎このえ…」
「篠崎さんね、改めまして…はじめまして僕は一之宮 白です」
そういうと少し落ち着いてきたのか彼女の声はだいぶ聞き取りやすくなっていた。しかしそれでもだいぶ小さく、会話をするのが大変そうだった。
「本当に、ごめんなさい。本のことになると夢中になってしまって…つい語ってしまうんです」
「謝る必要はないけど…篠崎さんはここによく来るの?」
「はい、毎日来てます。一之宮さんは初めてですか?」
「うん、そうだよ。ここにはあんまり人がこないみたいだね」
「いえ、一週間に一度くらいはくるんですが…皆さん、私が本について語ってしまうといつの間にかいなくなってしまうんです。でも、今日は私が話し終えても一之宮さん残っていらっしゃったのでびっくりしちゃって…あの…なんで一之宮さんは残ってくれたんですか?」
「まあ、時間的に今日は余裕があったから、帰る必要はないかなって思って」
本当のことを言えばシロは途中何度か帰ろうとしていた。初対面で相手がいきなり1時間30分もマシンガントークで心をへし折りにきたのはシロも初体験の出来事だった。話すと地雷を踏みやすい相手はこれまで何度か相手していたが、ここまで低予算でしかもここまで高火力な代物はいまだかつていなかった。もはやシロの表情の筋肉は目元がピクピク動いていて限界が近かった。
だが、ひとつ彼女の言葉で気になった点を聞き出すために社交辞令的な会話を続けていた。
「ここの本は全部、篠崎さんが持ってきたの?」
「は、はい。ここの本は大体は私が集めたものです。いくつかは神様から寄贈されたものも混じっていますが…」
「へぇ…そうなんだ。一つ聞きたいんだけどさ、その本ってどこから手に入れてきたの?」
「えーっと、現世から集めてきましたが…どうかしましたか?」
「やっぱり現世から買ってきたのか!!」
予想通りの返答がきたため、シロはつい大きな声を出してしまった。その声に異常にびっくりする篠崎がそこにはいた。
「ひぅ!」
それに気がついたシロはすぐさま、謝り、話の続きをした。
「ごめん、現世で買ったものって何でも持ってこれるの?」
「大体は可能です。けどテレビやラジオといったものは電波が届かないので買っても意味ないですよ」
「それって買ったらどうすればこっちに持ってこれるの?」
「えっと…死神に配られている端末は持ってますか?」
「ああ、持ってる」
「その中の借神のアプリから物品転送ってタグは見つかりませんか?」
「あったあった。で、これをどうするの」
「購入した物品に対して物品転送画面を出したまま端末を触れさせれば大丈夫です。でもその前に転送場所の指定をしておかないと送れないので注意してくださいね」
「わかった。ありがとう。篠崎さん」
聞きたいことを聞き出せたシロは限界のきている表情で篠崎の目を見て笑った。
そんなシロを見て、頬を赤らめながら篠崎は下を向いてしまった。そんな篠崎をシロは不思議そうに見ていた。
そろそろいろんな意味で限界だったシロはこの図書館を後にするため篠崎に別れの挨拶を始めていた。
「篠崎さん、今日はありがとね。今日はこれから用事があるからもう行くよ」
下を向いたままの篠崎のことは気になったが、シロはシロで余裕はなかった。帰ろうと出口の前に行き、ドアを開けて立ち去ろうとすると服が何かに引っかかりつっかえてしまった。
ドアノブか何かに引っかかったのだろうと振り向くと後ろには裾をつかんでいる篠崎がいた。ずっと下を向いたままの彼女は静かに呟いた。
「あの…また来てくれませんか?私の話、聞いてくれるの一之宮さんだけ…だから…」
その言葉を口にした篠崎は顔を真っ赤にして、シロの返答も聞かずに図書館に入り、勢いよくドアをしめてしまった。
シロもその言葉を聴いて、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちに駆られ頬を赤く染めた。
少し遅れたがシロは先ほどの問いに返答する。
「ああ、また今度、時間があるときにでも行くよ」
そうドア越しで言うと、シロはその場を後にした。その後姿をドアの隙間から篠崎は後姿が見えなくなるまでずっと見ていた。
後姿が見えなくなってしまいドアを再びバタンと閉じると、ドアに寄りかかった。自分がなぜあんなことを言ってしまったのかわからなかったからだ。いつもの彼女は対人関係を得意とせず一人の時間を優先する人間であった。そこで彼女が出した結論は長年続けた一人の時間が寂しくなってしまい誰かと話したかったのかもしれない、というものであった。
彼女は過去に一度止まってしまった心臓が、再び激しく高鳴っていることに本当の意味で気づいてはいなかった。