チャプター59 思いの伝え方
ため息混じりにシロは望月に話しかけていた。依然として変わらず、シロは砕け散りそうな心を繋ぎ止めようと身を丸くした。彼女はどんどんとしぼんでいく彼の背中を睨み続ける。そこには彼女なりの想いが込められていた。
「…話って?」
「私はひどい人間なの…他人の気持ちも思いも無駄にして今を生きている。そんなのはいけないと思っていても変えれなかった…」
望月は目を伏せ、自身の絶望を思い返す。だが彼女の言葉には悲壮感はなかった。
「そんな時…手を差し伸べてくれたのが、桐彦だった。桐彦は私を見捨てないでくれた。私が望む距離を保ってくれた…一之宮もそうしてくれた。…そしてレイ姉も…」
「…俺は人と関わるのが嫌なだけですよ…レイは…」
そういいかけたところで彼は言葉をやめた。零花は違ったかも知れない、そんな言葉を望月に与えたとしても望月みなもが救われるわけでも零花が裏切った事実は変わるわけでもないからだろう。
「レイ姉は…一之宮が思っているほど強い人じゃないんだよ…レイ姉も今まで苦しんできた…だからお願い…」
彼女の語尾が強まると共に、シロは拳を握り締めた。ギリギリと音を立てて握り締めた拳を振りかざしたくなる感情を押さえ込む。
「ううん、私たちと一緒にレイ姉を助けに行こう?」
「…できねぇ…できねぇえよ!!」
シロは拳の変わりに怒りの感情を伴った言葉を振りかざす。その言葉には怒りの感情以外も込められていることに望月も、シロ自身も気がついていた。
「あいつは…レイは…俺たちのことを仲間ではないと言った…」
「レイ姉はそんなこと言わない!!」
望月も自分の不安を吹き飛ばすように声を張る。いつも冷静な彼女が声を荒げたことに驚きながらも、零花の言葉を直接聞いたシロも引くことはできなかった。
「言ってたんだよ!!…それを…嘘だと…誰が言えるんだ…」
振り向くこともせずに一之宮は彼女と悪魔の言葉を思い出す。そして押切零花に与えられた絶望を望月に与えるように言葉を続けた。
「仲間じゃない!!知り合いですらない!!五月蝿かった!!そんな言葉を使ってまで、レイは…俺たちを…」
「一之宮!!」
そう怒鳴りかけた瞬間に望月は口を閉じる。彼女を制止するように桐彦は肩を叩いていた。桐彦は彼の思いを受け止めながら自分の言葉を口にした。それが彼にどう受け止められるかはわからない。けれど、桐彦は自分の願った未来には彼も、彼女も必要なんだと心の中で叫ぶ。
「シロさんっ!!俺は行きます…レイねーちゃんがどういうつもりで仲間じゃないといったのかわかんないっす…でも俺にとってはレイねーちゃんは大事な仲間なんで」
桐彦の言葉を受け止めきれず、シロは桐彦に問いかける。
「それが…悪魔たちの罠かもしれないのにか?」
「はい」
「本当にレイが俺たちを仲間と思っていないとしてもか?」
「…はい」
「助け出しても…絶望が続くとしてもか?」
「……はい」
きっと桐彦はどんな制止の言葉を投げかけても無駄だろう。そう思わせるほど彼の言葉に強かった。シロはなにも言うことができなくなりただ小さく呟いた。
「そう…か」
「言ったじゃないっすか…俺はみんなと笑いあいたいって…」
桐彦の言葉はシロには眩しかった。彼の心の強さをそばで感じ、自分の心の弱さを嘆いた。その言葉を最後に桐彦と望月はその場を後にした。
「桐彦、望月さん…本当に…強いんだな…」
二人がいなくなったことを感じ取り、心のそこから吐き出された賞賛の言葉を送り、座り込んだままシロは再び空を見上げた。
どれほどの時間が経過しようとも彼の心を覆う霧のような感情は消えることがなかった。疑心暗鬼はいつまでも彼に付きまとい全てを拒絶し始める。何度も何度も蘇り絶望を重ねていく悪魔ルシファーと零花とのやりとりは彼を動くことのない石のように変えていく。一体どれほどの時間がたったかもわからなかったが、ただ一つだけいえることはここに座り始めてから何も変化していないということだけだった。
また…俺は…誰も信じられなくなった…
存在を認めてくれたレイですら、俺の存在を否定した…
俺には生きる価値も、死神としての価値も…なかった…
シロはそう考えるたびに泣きそうになる自分が情けなかった。そう思っていても手には力が入らず、零花の言ったことに怒りすら訪れないようになってきたのだった。
感情を吐き出すところがあるならば人は生きていける。しかし、彼には生前も死後もその場所がなかった。渦巻く感情を押さえつけて、自分の思いを押し殺し、絶望をひたかくし、そうして自分の心を殺してきた彼はため息を吐き出し、世界に落胆するしかできずにいた。
そんなシロを見つめていた一人の少女はそっと近づき、シロに声をかけていた。
「…シロさん」
「このえ?!!体は大丈夫なのか?」
篠崎が無事であったことにシロは素直に喜びを感じて、思わず立ち上がる。少女はどこか悲しげな表情だったが、シロの表情に感化され微笑み返した。
「うん…なんとか…シロさんのおかげだよ」
「俺は何もしてないよ…」
シロは彼女を助けることができたという事実を素直に喜びを感じつつも、先ほどまで自分の心を覆い尽くす疑心暗鬼の霧が再び体を地面に導いた。篠崎もまたシロの横にちょこんと座り込む。篠崎はあえて言葉をかけることは避けたかった。彼女も絶望がどれほど心を抉るのかわかっていたからだろう。けれど彼に言葉をかけずにはいられなかったのもまた事実だった。それは絶望に駆られたときほど仲間の言葉がどれほど心を満たしてくれるかを知っていたから…
「…大丈夫?」
「大丈夫…だよ」
いつものシロがそこにはいないことを篠崎は瞬時に感じ取る。もともと口下手な彼女ができることは少なかった。辺りは静寂に包まれて、時間が無作為に過ぎていく。どうしても伝えなければいけないことはいくらでもあった。けれど篠崎が選んだ言葉は裏切りの少女を助け出す決意宣言。
「私もね…助けに行くよ…レイちゃんを」
「…どうしてだよ…なんでみんなは…」
シロにはもう理解ができなかった。篠崎はシロの言葉をかみ締めてゆっくりと自分の気持ちを吐露する。
「…今までずっと友達だったから…」
「レイは俺たちを裏切った…俺たちの心配だって要らないと…俺たちとは仲間ごっことさえ…このえだってレイが姿を消したとき心配だったろ?それすらもレイは否定した!!彼女を助ける理由なんてないだろ!!」
「…シロさん…」
全てを信じられなくなった死神の声は自然と大きくなっていく。そんな死神をみて篠崎は悲しそうな表情を作り出しながらも、必死にわかってほしいと願うことを呟いた。
「私はね…こう思ってるんだ…言葉にのせて自分の思いを伝えることは大事なこと。私はそれができなくてここに来たけどね…」
彼女は自分の絶望を思い出しながらも前を向く。その姿すら今のシロには眩しくみえる。少女の言葉続いていた。
「言葉じゃなくても…伝えられることだっていっぱいあるんだよ?」
「言葉じゃなくても?」
「うん…自分の気持ちを伝えるのに言葉が絶対に必要なわけじゃないと思うんだ…」
シロは下を向いたまま彼女の言葉を反芻し考える。考えれば考えるほどわからなくなっていく。そんな彼に訪れたのは暖かな体温。
篠崎はシロを包み込むようにして抱きしめていた。
「これが私の気持ち…きっとシロさんは受け取ったはずだよ?レイちゃんもきっと…」
素直に嬉しさを感じながらも、彼の心には霧がかかったままだった。そして思い返されるのは篠崎が行った行為と酷似した零花が行った行為、そして絶望。
「ごめん…俺にはわからないよ…」
「私…行くね…」
彼女は一度だけシロを抱きしめる力を強めるが、すぐさま体を引き離し立ち上がる。彼女の体が震えていたことに気がついていながらもシロはその場にとどまり続けることでしか自分の心を保つ方法がなかった。
篠崎がその場を離れたころにはあたりはもう暗くなっていた。普段であれば本拠地からはわずかながら生活の光は漏れて草原にすら届く。しかし悪魔の襲撃によってその光は皆無だった。空には星たちが一番を競い合い光り輝いていた。
「君は助けに…行かないのかい?」
先ほど自分を友人だといってくれた悪魔の声に思わずシロはその友人の名前を読んでしまっていた。
「サレオス…」
「僕は君がどんな選択をしようとも、友人だよ…」
その含みのある言い方にさすが悪魔だと関心しながら彼は下を向く。シロの表情は緩むことなくただ自分が抱いた感情を呟いていた。
「俺は…わからないんだ…俺は他人を信用しないと心に決めたはずだった…けどいつの間にかその気持ちは薄れていく。そして信じた結果がこれだ…」
「そしてまた他人を信用しないと誓うわけか…」
「ああ、そうだ…自分でも思うよ…滑稽な人間だってね…」
「滑稽?」
「…だってそうだろう?人を信じて、裏切られて、裏切って、信用できなくなって、やさしさに触れて、また人を信じて…そんな繰り返しを何度も、何度も、何度も…」
俯く死神が過去の絶望を思い出しながら言葉を吐き出す。
「死んで、死神になってまで同じことの繰り返し…学習能力なく、無駄なことの繰り返し、そのたびに相手を傷つけて、自分を傷つけて…ハハハ…バカだよな…」
乾いた笑いに悪魔は同調することはできなかったし、彼が無駄だと言い放ったことに異論を唱えていた
「僕はそうは思わないよ…シロ」
俯いたままの死神に悪魔は話を続けていく。
「君は人を信じるために何度も何度も自分の心を犠牲にした…もしかしたらそれは、この先も続くだろうさ…」
悪魔は上空に輝き続ける星たちを見上げていた。星は流星となりひとすじの光の線を空に書き足していく。
「少なくとも僕は君を裏切らない。ほら、これだけでも君の繰り返しは無駄じゃなかったでしょ?そして、君を心配してくれた死神たちも同じ気持ちだと思うよ…」
「その言葉すら信じれないのに?」
「君はそれでも信じようとするだろう?今までやってきたようにさ…そしてその中でめぐり合えた裏切らない仲間たちが集まっていく…そうして…」
サレオスの指先は天に昇り、星同士を線を引くようにして動いていた。
「君はかけがえのない仲間を手にするんだよ…裏切らないと思っていた仲間でも君はまた裏切られるかもしれない…」
「そのたびに俺は絶望するんだろうさ…」
「でも、そのときにはもう君にはいるじゃないか、かけがえのない仲間たちがさ。何度も繰り返すことは無意味なんかじゃないよ、何度も繰り返したからこそ得られるものだってある。言っただろう?ようは考え方だってね」
サレオスは星を線でつなぎ、そこに完成したオリジナルの正座を見て満足げに笑っていた。シロはサレオスの言葉を鵜呑みにできるほど心に余裕はなかったが、彼が放った”裏切らない”という言葉に安心感を抱いていた。
シロは少し顔をあげて自分の愚かさを嘆く。
「ただ単にバカなだけさ…信じた結果殺されてんだしな…」
「何度繰り返したっていいだろう?どうせ君は…僕たちは不死さ」
少しばかり死神の表情がまともになったことを確認した悪魔は再び空を見上げていた。悪魔サレオスは襲撃の時、姿を隠しシロの動向を逐一監視していた。監視というと聞こえが悪いかもしれないが、サレオスにとってはシロは大切な友人である。今回の襲撃を知ったサレオスは同属である悪魔との戦闘を覚悟していた。もしも、一之宮シロが死にたくないのにも関わらず、その命を落とすような事象に出会ったとしたらサレオスは間違いなくシロを助けるつもりだった。
しかし、実際のところシロは絶望を抱かされ、殺された。つまりは死ぬことはないということである。意味がないとは思いつつもサレオスはその疑問を口にした。
「でも零花って子もわかってたはずなのにね」
「なんのことだ?」
「ん?だって死神を殺す上で必要なのは死にたくないと思わせることだよ?それをしないで殺しても意味ないでしょ」
「…!!」
シロはその言葉を聴いて何かを感じ取る。そして思い出したのは篠崎の言葉だった。
”思いを伝えるのは言葉だけじゃない…”
そうだったのか…なんで…なんで気がつかなかった!!
このえの言うとおりだった…
「サレオス…みんなは…もう悪魔の世界に行ったのか?」
「まださ、僕が明日みんなを連れて行くことになっているけど?それがどうしたの?」
「零花を…助けに行く…」
「急にどうしたんだい?」
「俺は…レイの思いを受け取っていなかった…彼女が裏切ったことにして自分が傷ついたと思った…けどそれは間違いだったのかもしれない…」
「そこには絶望があるかも知れないのにかい?」
「…ああ…確かめなければいけない…彼女の思いを…」
シロは立ち上がり拳を握り締めた。先ほどまでとは違い自分の心には彼女を助けたいという気持ちが満ちている。シロの眼光は鋭くひかり、覚悟を決めた表情にサレオスは安堵した。サレオスが一言だけ”また明日”と呟くと闇に消えていく。サレオスを見送ったシロは自分の手を星空に伸ばす。その手は希望にすがるために伸ばされた手ではなく、希望を掴むために伸ばされた手であることをシロだけが知っていた。




