チャプター41 魔法の詩
久瀬の歓迎会を行ってから一週間が経ち、零花と桐彦、そしてシロは久瀬に呼び出されていた。歓迎会のときに約束した久瀬の実力を確認するための準備が整ったため、久瀬を含めた4人は現世に降りるため石門に集まったのだった。実力を確認するといっても久瀬が仕事を要求しただけで、天津の用意した仕事の指示書に4人は目を通す。そこには今まで見たことがないほどの情報が書いてあり、シロはそれを見た瞬間に天津がどれほど久瀬と関わりあいたくないかを示しているようで少しばかり面白く、にやりと笑う。
現世に降り立ってすぐに死神たちは今回の対象となる人間の家へと着いていた。
「あ、言っておくけど手助けはいらないからね」
久瀬はそんなことを呟いていた。対象の家へと乗り込むとそこには50代の男性が寝息を立てて眠っていた。久瀬は何の躊躇もなく男性へ近づくと男性を宿主とする守護霊が姿を見せる。現れた姿は馬のような4足歩行で頭には一本の猛々しい角を有していた。体は馬といえど一般的な大きさの二倍はあり、死神たちを圧倒していた。
「これは、これはなかなか強いやつが出てきたもんだなぁ…」
「コイツは?」
「霊獣、麒麟だよ。中国神話にででくる上位の霊獣さ」
久瀬がシロたちの疑問を解決していると宿主の周りがうるさいことに腹を立て始めているようだった。
「なにゆえ、貴様らは私の宿主の前にきた?」
「いやぁ、僕の後輩たちが僕の実力を見たいっていうじゃん?そんな期待にこたえてあげなきゃいけないからさぁ…君を消しにきたんだ」
「私の力を知っていて、戦うというのか…」
「君ぐらい強くないと面白くないしさ~力比べしようぜ」
「よかろう、我が力、思い知るがいい!!」
麒麟はただ一歩踏み出しただけだったがその場には体が吹き飛ばされそうになるほどの風が吹き上がる。どこかに向う麒麟を死神たちは追いかけ移動するとそこには公園があった。その公園は一般的な公園の大きさの何倍もあるようで端から端まで約3kmほどあるようだった。時間は午前0時を指し示し、麒麟と久瀬は広い場所に立ち、互いに向き合う。その後ろでは見学しに来た3人が戦いの様子を伺っていた。
「さて、改めて名乗るよ、僕は久世狩夜、死神さ」
「そうか、ではお相手しよう…これだけの数を相手にできるかはお前次第だがな」
麒麟が気味の悪い笑い声をあげると霊獣の周りを取り囲むように霊獣の部下たちは現れ始めた。その数は300体をゆうに超えていた。
その光景にシロと桐彦はさすがにまずいと思ったのだろう。その身を乗り出し、久瀬を助けようとしていたが、それは零花が制止していた。
「シロさん、桐彦君、師匠のことはほっといていいよ」
「でもさ、魔法は前衛がいないとほぼ発動できないんだろ?」
「あの人は変態だから大丈夫」
その会話が聞こえていた久瀬は遠巻きに叫んでいた。
「零花ぁ!!間違えるな!!私は天才だ!!」
そう叫ぶと久瀬は自分の右手の指を噛み、指先から血を出した。それと同時に死力を開放し臨戦体制を整える。霊獣の部下たちは容赦なく久瀬へ襲いかかっていた。
その光景はリンチというべきほど圧倒的な数の暴力だった。しかし、久瀬は焦ることなく一体一体の攻撃をよけながら、指先から流れる血を使って魔法の発動に必要になるであろう呪文を地面に書き始めていた。久瀬の死力を含んだ血は地面に書かれるとぼんやりと光を発し始めていた。
彼の戦闘はどこか零花に似ていることに気がついたシロは師匠という言葉を納得した。
久瀬は自分の立っていた場所に呪文を書き終えたようで瞬時に次の場所へと移動していた。六角星を形どるように六つの角に同じように呪文を書き終わると再び中心へ戻る。
準備が整った久瀬は一つ、深呼吸をした。
「ふぅ…さて、いこうか」
はじめに書いた魔方陣で集中し始めた久瀬をシロたちは息を飲み込んで見守っていた。最初に書いた魔方陣の中で死力を徐々に強めると久瀬の死力は他の魔方陣に彼の力を伝達するように一直線に地を這い向っていった。その力を受けた魔方陣は久瀬に呼応するように光り始め六角星を結ぶ線を作り出していた。
「あれは?」
「今から魔法発動のための詠唱をするの。その間、最初に書いた円から出ないようにしなきゃいけないの」
「この数相手にしながら?!!」
「やっぱり無理っすよ!!助けましょう」
「桐彦君、あの人は人間じゃないから大丈夫だよ、ほら…」
そう言われ久瀬のほうをみるとすべての攻撃を小さな円の中でよけきりながら、向ってきた敵の攻撃を受け流し、蹴りや打撃で応戦する。不思議なまでに敵の攻撃は久瀬には通用しなかった。魔方陣の中で応戦しながらも彼は誰かに語りかけるようにやさしく詩篇を読み上げる。
消えた消えたの大喝采
全てのものを亡き者へ
消え行く魂 止めもせず
地獄の業火は全て焼き
恐怖の冷気は時を止め
怒りの雷 なぎ払う
宿した力は 地獄の業火
地を焼き 身を焼き 恋焦がれ
焼かれた地平はどこへ行く
焼かれたその身はどこへ行く
焼かれた思いはどこへ行く
道化の民は語り継ぐ
消えた地平の行く末を
消えたその身の行く末を
消えた思いの行く末を
あがる喝采 何故に
烏合の民の 行く末は
誰も知らぬが 面白い
全てを焼けや 地獄の業火
全てを読み終えた久瀬は手を地面につけて静かに最後の言葉を放っていた。その表情は穏やかで
「”送り火”」
久瀬がその言葉を発した直後に六角星の外周を取り囲むように、その範囲の地面が浮き出ていた。浮き上がった地面は1メートルほどの厚さがあり、それらは敵を乗せた地面はどんどんと空に近づいていく。えぐられた土地はどこまでも続くような覗き込むことすら拒まれる深淵が広がっていた。ビルの屋上を見下ろすまで上昇した地面は突如として、ひび割れ、砕け散った。当然、上にいた約300体の敵はなすすべもなく、深淵へ落とされていく。一方、久瀬を乗せた地面は崩れ落ちずに空中にとどまっていた。全ての敵が落ちることを確認すると久瀬の乗った地面は移動を開始した。深淵の上空垂直方向から完全に離れた久瀬は窪んだ土地を見下ろしていた。ぽっかりと開いた穴の中が次第に明るくなっていき、突如として天に届くほどの火柱が上がったのだった。
天高く昇った火柱を見ていたのはそれに巻き込まれた者たちを従えていた麒麟である。先ほどまでの意気込みは消え、一言だけ久瀬狩夜に言葉をかけていた。
「これまでとはな…ワシも運が悪い。わしはまだ消えたくないのでこの場は引こう…ではな」
麒麟は前足を高く上げ、その場を疾風のように駆け抜けてその身を消したのだった。
目の前に広がる光景に言葉を失うのはシロと桐彦もまた同じであった。ゆうに300体を超える敵に対しての身のこなし、魔法の異常なまでの攻撃力、全てが彼らのイメージを圧倒的に凌駕する。しばらく言葉を失い続けた二人は久瀬の声で我にかえるのだった。
「もうちょっと短めの魔法でよかったな」
「師匠にしては案外無難に終わらせましたね…安心しましたよ…」
「いっつもわかんないんだよねぇ…力加減って」
何かに危惧を感じていた零花はこの程度の被害で済んだと心から安心しているようで、そのやり取りに再び驚かせられたのはシロたちだった。
「あのさ…あれで無難ってどういうこと?」
「さっきの魔法を威力的な意味で分類すると中くらいなんだよ」
「は?」
零花の端的な回答に耳を疑うことしかできなかったシロは再び言葉を失っていた。零花は再び先ほど述べた師匠が放つことができる魔法がどれほどまでの威力を持っているのかを二人に説明していた。
「魔法には大まかに分けて、対象が単体か全体かの二種類があるのね。…で、さっきのやつは対象が全体、威力が中くらい。もしもこの人が、全体魔法で特大の威力をもつ者を放ったら…地球が削れちゃうの」
「削れる?」
「そう、富士山くらいなら簡単に平らになっちゃう…」
「いやいやいや、この人おかしいって」
シロがそういいながら久瀬を指差すのも無理はなかった。今までの死力開放によって得られるものとはまったく異質なその力に納得がいかなかったのだ。桐彦は先ほどから動きを忘れていたが、無性に気になったのであろう、彼の手を握って魔法について聞いていた。
「久瀬さん、これ俺にも使えるっすか?」
「いいねぇ…その尊敬の眼差し…たまらない…じゃあ、特別に判断してあげよう素質があるかどうか」
「お願いするっす!!」
「じゃあ、人差し指だけを上に突き出して…僕の後に続けて言葉を続けてね…」
「はいっす…」
シロには彼がここまで力を求めたり理由がすぐさまわかっていた。あえて口にすることでもなかったために彼は黙って魔法使いの素質があるかを見守っていた。すべて準備は整ったようで久瀬は一度やさしく声をかけると死力を開放する。桐彦もそれに続くのだった。
「闇は光を、光は闇を…照らせ、照らせ…”蛍火”」
久瀬がそう唱え終わると彼の人差し指は柔らかい小さな光に包まれていた。その光景を驚きながら見ていた桐彦も久瀬と同じように呪文を唱え始めていた。
「や、闇は光を…光は闇を、照らせ、照らせ…”蛍火”…」
桐彦の指先は久瀬の光に劣りながらも、確かにそこで光り続けていた。その光景をみて一番喜んでいたのは零花だった。
「桐彦君!!すごいよ!!魔法使えるよ!!ですよね、師匠?」
「ああ、そうだね。今度一緒に修行してみるかい?」
「はいっ、お願いしますっす!!」
その誘いに思わず嬉しさを爆発させる桐彦がそこにはいた。こうなるとシロにもその機会が与えられるのは当然の流れだった。零花は桐彦が成功したことを素直に喜んでいながらも、シロに気づかれないように自分の視線をシロに移動させていた。彼女が魔法を使える人間が増えることを望んでいるのは事実だ。しかし、それだけではなく再びシロと修行ができるかもしれないと期待が胸を躍らせていた。
(これで、シロさんも魔法の素質があれば…また一緒に…)
そう考えながら彼女はシロの結果を見守っていた。シロは人差し指を突き出して拳を握り、先ほどの呪文を口にしようとしていた。久瀬は注意深くその光景を見守る。
「じゃあ、やってみる…闇は光を、光は闇を…照らせ、照らせ…”蛍火”」
しかし、桐彦とは違い何一つとして変化の起こらない様子をみて久瀬は言葉を発していた。
「無理ぽ」
あまりにもしらけた表情の久瀬に苛立ちを隠せないシロがいたことは言うまでもなかった。零花は先ほどまでの高揚感を失い、残念そうにしたを向くしかできないのであった。その感情を隠すように無理にでも声をはりながら、とりあえず桐彦が魔法の素質があることを前面に押し出す。
「まあ、でも桐彦君が素質があってよかったよ!!魔法が使える人が一人でも増えて」
「魔法使える人って、そんなに少ないんっすか?」
「そうだよ、師匠と私とこのちゃんしかいなかったからね」
その言葉に素直に驚いていたのはシロだった。
「え?天津も大門さんも使えないの?」
その問いには久瀬が答えていた。
「そうさ。いうなれば”美”というものがわかっている死神にしかつかえないのさっ。でも、最近は使える死神を増えてきたよ?もともと僕が東京ブロックから離れたのは魔法を普及するためだしね…全世界の死神の半分ぐらいは使えるんじゃないかな?」
「そうだったんですか…案外ちゃんと仕事してたんですね。師匠も」
零花にとって魔法を使える死神が増えたことが嬉しかったようで、その嬉しさが冗談を口から零れ落ちる。
「零花、一度地球の裏側までぶっ飛ばしてあげようか?」
久瀬の言葉に身震いし、すぐさま謝る零花がそこにいるのだった。
今回、対象となった人間の存在の結晶を壊した久瀬は帰る準備をし始める。久瀬がその場から去るときのことだった。そのときシロは零花と桐彦が帰り支度を済ませるのを待っていた。帰り支度といっても二人は今後の修行の日程に関して話し合っているようで、その会話に入ることに何にも意味を持たないシロは何をするわけでもなく、辺りを見回すだけであった。久瀬はシロにすれ違いざまに他の二人に聞こえない音量で話しかけていた。突然、近寄ってくる変態にシロは身構えていたが、それよりも久瀬の発した言葉に彼は心臓は大きく脈打っていた。
「シロ君…パンドラの力は使いこなせているかい?」
今もまだシロの心臓は焦りとも、驚きともわからない感情が彼の体を駆け巡る。妙に違和感のある久瀬の言葉に何も言葉に出来ず、立ち尽くすしかない。
(ちょっとまて…俺はコイツに一度も名前を名乗ったことはないぞ…それにパンドラの力があることも…)
彼の抱いた疑問は些細なものであったが、その言葉によって頭が何かを思い出そうとしているような痛みが伴い始めていた。心臓はさらに大きく鼓動し始めたところでシロは大きく息を吸い込んだ。
(コイツは俺を知っていた…?そして…俺もコイツを知っている…?…いやありえない。俺はこんな変態を見たのはこの前が始めてだ…それに名前と力ぐらい天津や大門さんに聞けばすぐわかることだ)
そう思いなおして、話が終わった二人とともに彼は端末の帰還タグを押して現世から離脱するのであった。
久瀬は仕事を終えて死神の本拠地には戻っていなかった。彼が立ち寄った場所は天界、神の部屋だった。久瀬は一呼吸おいてその部屋のドアをノックしていた。ノックの音は、その中にいるであろう天津にも確実に聞き取れる強い音で響き渡る。それと同時に部屋から聞こえる天津の部屋へ入ることへの許可を聞き取った久瀬はドアをゆっくりと開けて、その部屋に入った。
「やぁ、仕事は一部始終見ていたよ」
久瀬の方向には天津の後ろ姿と椅子の背もたれしか見えていなかったが、天津の言葉が聞こえると椅子はゆっくりと回転し、天津の表情を彼は捉えていた。
続けて天津は何かを確認するかのようにシロと接触していた過去を問いただす。
「いいのかい?以前から知っているんだろう?」
「ああ、けど、シロ君にはまだ秘密だよ?」
「君が嫌だと思っているなら、秘密を漏らすようなことはしないさ。君こそ気をつけないと、ばれるよ?あの子、勘がいいからね」
久瀬は自分の体をまさぐると、どこから出したかわからない煙草を一本口に咥えていた。
「…知ってるよ」
天津の意見に同意すると、簡単な呪文を唱えることで人差し指に宿った火で煙草に点火していた。天津は彼がわかっているのならと、それ以上の言葉を放つことはなかったが、久瀬が突然吸い始めた煙草に驚くのであった。
「君、煙草吸ってたっけ?」
「少し前からね…ここ禁煙だったか?」
「いいや、灰皿を持ってこさせるよ」
天津が自分の部下を呼ぶ中、久瀬は自分の表情を隠すように天津に背を向けていた。天津には久瀬が笑っているように見えたため、自分の心配が不要のものであることを再認識したのだった。
煙草がゆっくりと短くなるさまを見ながら久瀬は確かに笑っていた。




