チャプター39 光の行く末
あたり一面を湖に変えるほどに雨は振り続ける。ずぶぬれになりながらも悪魔を撃退した望月と桐彦はすべてが終わったことに胸をなでおろす。天津はそんな二人を労っていた。
「お疲れ様、桐彦君、望月さん」
望月は自身のトラウマを乗り越えたといっても完全にというわけでもなく、桐彦を助けたいという想いだけが先走った結果となったが彼女にとっては大きな一歩であった事は間違いない。
桐彦は自身の体の現状が今までで一番ひどいということに気づいていた。少しでも動かせば激痛が走り、動かそうとしても右肘や右肩は今にもとれてしまいそうだった。
とりあえず桐彦は自分たちが倒した悪魔である元人間に近づいて存在の結晶を抜き出そうとする。まだ動く左手を横たわる男たちへ伸ばした。
大きな突風とがその場に吹いた。その風に乗って大きな雨粒が桐彦の目に入り、一瞬彼の視界を奪うと同時に桐彦は使っていないはずの左腕に痛みを感じていた。彼の視界が復活したことで自然と新たに痛みの走った左腕のほうへ視線が移動し自分の現状を映し出したのだった。そこには先ほどまで伸ばしていた左腕がなくなっている光景が広がっており、驚きのあまりにそっけない反応しかできていなかった。
「ん?」
その傷口からは徐々に血が染み出してきていた。それとともに痛みが深く伝わってきたため桐彦は自分がどんな状況にあるのかをいまだに理解できず彼は笑いながら振り向いた。
「シロさん…腕無くなったっす」
先ほどまであったはずの左腕に集まる視線とシロは現状がどれほどまずいのかわかっていない桐彦に一喝する。誰一人桐彦の腕を切り取った犯人を目撃することができない。つまり同じ方法で攻撃され続けても最悪の場合気付かないことだってありえるのだ。
「笑いながら言うことじゃねぇだろ、バカ!!」
「って、言ったってどこにいったかわかんないっす」
「とりあえず、お前は動くなよ」
そんな桐彦に呆れながらシロは彼の無くなった左腕を捜すために辺りを見回す。しかし周辺に彼の左腕は見つからなかったが、あることに気がついた。望月を襲った二人の男たちの体がその場から忽然となくなっていたのだった。その時点でシロは嫌な予感がしていた。
突然、聞き覚えの無い声が遠くから聞こえてくる。
「存在の結晶、いただきますよ…」
その陽気に満ちた声質にシロはなぜか寒気を感じ、鳥肌が立つ。天津もまたその声を聞いてから纏う空気が一変させ、戦闘態勢をとっていた。
突然、一同の前に一匹のカラスが舞い降りていた。そのカラスは一歩また一歩と一同に近づいてきていた。
「これはこれは…ニセモノの神様ではありませんか…」
その挑発するような声は間違いなく目の前のカラス発せられていた。そのカラスは死神たちの目線の上へ一度上昇すると黒い影がカラスを取り囲み、まったく違う姿に変えていた。メガネをかけ、全身を黒いコートに身を包んだ人間のような存在は先ほどまで桐彦が相手にしていた悪魔もどきとは別格であることを風格が示している。
天津はその存在が顕現した時点で考え始めていた。自分とシロの力を合わせれば如何に上級悪魔でも殺すことは可能であろう。しかし、ここでシロの情報を与えることはしたくなかった。天津の考えを無視した形でシロは飛び出していた。
シロは自分が思っているよりも冷静ではなかった。それは桐彦と望月の戦闘をみて感化されたのだろう。今回の戦闘で二人の距離は一気に縮まったように思えたシロは二人を邪魔してほしくないと心から思っていた。
その想いはシロに力を与える。
桐彦も、望月さんもこれから始まるんだ…桐彦に神の遺産の力がないことはしょうがない…俺が…この二人を見守る!!
そのためにできることなら、何でもやってやる
瞬間、シロは神の遺産を発動させていたが、そんなことは関係ないといわんばかりにシロは力の発動を確認することなく悪魔に向かっていた。シロの渾身の右ストレートを冷静に受け止める上級悪魔はすぐさまシロの力が神の遺産であることに気がついていた。
「ほう…これは神の遺産の力だね?しかも、知らない顔だなぁ…ああ、わかった。君がアロケルとリヴィアタンを殺した死神か」
一瞬のうちに多くの情報を読み取られてしまい、天津は焦っていた。すぐさま天津も”神の遺産”を発動し攻撃に参加する。焦りは怒号に変わり、自身とシロを鼓舞していた。
「シロ!!こいつは確実にここで殺すぞ!!」
その呼びかけに反論する理由もないシロは怒鳴り声をあげ、同意の意思を叫ぶ。
「あたりまえだ!!」
天津の発した雷は、悪魔めがけて何千何万と上から降り注ぐ中、シロは悪魔に向って大鎌を振り回す。
”神の遺産”を有する二人の攻撃を上級の悪魔は避けきれず、頬を掠めていた。
「さすがに二人相手は厳しいねぇ…」
そういうとあっさりとその姿を闇夜に同化させ、姿をくらませていた。辺りを見回す二人だったが悪魔を探し当てることにはつながらなかった。しかし、声だけは聞こえてきた。
「今回は引かせてもらうよ…僕の名前は”マンモン”覚えておいてくれよ…」
天津は完全に悪魔を見失ったことに苛立ちを隠せず舌打ちをしていた。
「ちっ…逃がした…」
自分の失態を悔やみ続ける天津は悪魔が名乗った名前を思い出し、さらに後悔していた。
”マンモン”…強欲の悪魔か…えらいものに知られた…
大きくため息を吐き出すと天津はひどく疲れたようで、考えることをやめていた。
「もー…やだー…とりあえず、みんなと合流するよ、そして帰るっ!!」
「おい、ちょっと待てよ…いいのかよ」
「だって、もういないもん…あーもう、帰るったら帰る!!」
完全にやる気の無くなった天津を見たシロもまたドッと疲れが襲ってきていた。歩き出す天津の後ろを黙ってシロはついていくのだった。桐彦もまた満身創痍な体を無理やり動かして望月に声をかけていた。
いつの間にか雨はやみ、星空が垣間見える。外灯がないその場所では星空が都心よりもはっきりと見えるため、普段、星を見ない桐彦も目を奪われるほどの輝きだった。彼は今日一日を思い返し、みんなが無事で本拠地に帰れることに安心していた。何よりも望月に何事もなかったことが彼にとっては一番良かったのかもしれない。その思いは自然と表情ににじみ出ていた。
「みなもっち、俺たちも帰るっすよ~」
そうやさしく微笑む桐彦に少女は駆け寄った。桐彦が数メートル先を歩く天津たちを追いかけるように歩き出そうとしたときだった。だらんと垂れる壊れた右腕を望月はそっと握り締める。歩き出そうとしたはずの彼の足は自然と止まっていた。驚きで振り向くこともできない桐彦は後ろからそっと聞こえる少女の声に耳を傾けた。少女は少女でどうにもできないほど自分の感情が膨れあがってしまっていることを今になって気付かされてしまい、自分の思いを伝えずにはいられなかった。
「…桐彦……いつも…ありがとう…」
どんなに感謝しても、足りないほどの感謝の気持ちは彼女の行動で示されていた。桐彦は手を握られるという単純な行為に込められた気持ちを受け止めた。しかし、それ以上を望むことは彼はせず、今まさに放たれた彼女の気持ちを受け止めることだけに集中する。望月から聞こえた言葉は聞き取ることができないほどかすれていた。しかし、彼女の気持ちは握られた右手から直接伝わってくる。
「なーに言ってるっすか。俺でよければ…ずっとみなもっちのこと、守りますよ」
初めて望月に対して口にするその言葉は桐彦の誓いとなり、望月の心に再び大きな光となったのだった。
その誓いは望月の握る力を強めさせていた。二人に流れる時間は悠久となり、再び桐彦は空を見上げ、先ほど見たときよりも晴れ渡った空に満足げであった。
桐彦の右手には止んだはずの雨が暖かさを伴って舞い降りた瞬間だった。




