チャプター3 神の代行者
「あーあ、辛気臭くなっちゃった」
そう淡々と話す零花がそこにはいた、あっさりと自らの絶望を振り払っていた。
しかし、その少女の前に立つシロは彼女の絶望を垣間見てしまったがために自分の絶望を思い出し、何も言わず立っていた。その状況を察した零花はこれ以上の訓練をしようとは思わなかったらしい。
「さ、今日の訓練はここまでにして、買い物行こうか。気晴らしと説明をかねて」
「説明?」
シロは首をかしげながらそう呟いた。
死神の東京ブロックはあくまでも宿をかねた訓練施設であった。周りを見渡したところで訓練施設と草原が広がっているだけだった。敷地面積的には東京ドーム10個分ぐらいの広さはあるが行楽施設は皆無であった。
「買い物ってどこにいくの?」
シロの問いも当然のことであった。そんなシロにあっさりと、意外な言葉を零花は放った。
「ん?現世だよ。私たちが生きてた世界」
「あーなるほど現世ね…って!!どいうこと?」
「まあ、いいから早くいこ」
そういうとシロの手を握り走り出す零花だった。
「ちょっと待てってば」
つられて走る羽目になってしまったシロであるが、いやいやながらついていく。女性に手を引かれている以上、悪い気もしていないのも事実だった。
東京ブロック本拠地中心に建てられたその建造物は門の形をしていた。その門は石で作られていて大きさは人一人が通る分には何も苦労はしないほどの大きさである。手を繋ぎながら走ってきた二人だがそこで足をとめた。意味もわからず走り、息を切らしているシロは説明を求めていた。
「はぁはぁ…おい、どういうことなの?現世ってのは」
それに比べ零花は息も切らさず説明を始めていた。
「だってここ何もないでしょ?だから現世に買い物に行くの」
「何もないのはわかってるっての、現世に行って買い物ができるものなのか?そもそも普通の人には見えないんだろう?」
「間違いじゃないけど装置をくぐれば話は別だよ。実体を持たせた状態で現世に転送してくれる装置なの」
「こんな石の門がねぇ…」
「神様が作ったんだって」
「天津が?」
「そうらしいよ?天津さんが神様になってすぐ建てたんだって。それ以前にも死神制度はあったんだけどね」
「へぇ…なんでそんなものを作ったんだ?」
「それは息抜きのためじゃない?それまではそれぞれのブロック内で少しの娯楽がなかったらしいから相当感謝されたみたいだよ」
シロは違和感を感じていた。それは零花から聞いた天津のイメージと自分が持つイメージがまったくかけ離れていたことに起因する。突如として天津と話した時のことを思い出す。
神が正しいことをするんじゃない、神のすることが正しいんだ…
そう言っていた天津を思い出せば出すほどイメージがずれていく。
(そんなことをするのか?死神への慰労のために…?)
考え込んでしゃべらなくなってしまったシロに零花は話しかける。
「そんな昔のことを考えても仕方ないから早く行こうよ」
その言葉でシロはひとまず考えることを中断せざるおえなかった。零花が石の門に触れるとゲートが光だした。戸惑っているシロを後ろからぐいぐいと押し、無理やり石の門をくぐらせた。石の門をくぐろうとしたがあまりにも眩しく光っていたためシロは目を閉じたままその門をくぐった。目を閉じてはいたが徐々に眩しさが和らいでいくのがわかったのでシロはゆっくりと目を開ける。そこには並び立つ高層ビルの山々があった。見覚えがある世界であるのはいうまでもなかった。
「ここは…東京?」
とまどいながら零花にたずねると
「そうだよ、東京ブロックから現世に戻ると東京に出るの、東京のどこに飛ぶかまでは設定できないんだけどね」
そういった零花は周辺を見渡すと
「とりあえず、あそこでお茶でも飲みながら話そうか」
零花が指差していたのはビル街から少し離れた喫茶店であった。そう薦めてきたので素直に従いその店に入っていった。店に入ると空席が何席かあった、そのうちの一席にすわると店主と見られる人間がメニューを渡してきた。シロはコーヒー、零花はカプチーノをそれぞれ注文し、まもなく注文したものが届いた。零花が一口飲むとにこっと微笑むと
「ね、実体化してるでしょ?」
そう一言シロに告げた。シロもその言葉に促されコーヒーを一口飲む。口に含んだ液体は生前飲んでいたコーヒーと変わらず心地よい苦味と豆の香りがした。久しぶりの感覚に素直に感動したシロであった。
「確かにそうだね、さて、どこから聞いたらいいのか…」
わからないことだらけであったシロを尻目においしそうにカプチーノを飲んでいた零花から話し始めた。
「そうそう、これ渡しておくね」
そういって手渡されたのはスマートフォンのような機械であった。
「これは?」
「連絡用と自分の借神の状況が確認できる端末だよ」
「これも天津が作ったのか?」
「そうだよ、時々神様から直接仕事の依頼が来るときもあるからちゃんと確認してね」
「ああ、わかった」
手のひら大の黒い装置を見ると日本中の死神の連絡先が登録してあった。そして借神と書かれたアプリを開くとそこには、使用履歴やら、月ごとにグラフ化された借神のデータやら、さまざまな機能があった。そして話は雑談を交えつつ本題に入っていく。
「借神の話からしようか?」
そう切り出す零花にシロは無言で頷く。
「借神を難しく考える必要はないよ。ただの借金と大して変わらないから」
「借金?天津は地獄に行くとしてすべて自分の罪を返すために必要な年数だと言ってたんだが」
「それはそう。だけどあくまでそれは地獄に言った場合だよ。死神として働く場合はポイントになって管理されているの、で、それはお金としても扱われる。一年当たり日本円にして1万円」
「一万円?!!じゃあ借神1000年って1000万円?」
「そうだよ。え?ちょっと待ってシロさん、借神1000年もシロさんにかけられてるの?」
「そうだよ、少しばかり神様を呼び捨てにしただの、命を粗末にしただの言われてね」
「普通、そんな程度のことじゃ1000年なんて年数かけられないよ。どんなに罵倒したの?」
零花は笑いながら呆れていたが、シロには原因はなく少し嫌気さし深いため息をはいて思いふける。
そもそもなぜこの世界に来ることになってしまったのか、どんな理由からそんなことになったのかシロは知らない、知るすべもない。またそんなことを考えていても仕方がないことはシロ自身が一番よく知っていた。
同じなのだ、どんな世界であろうとルールはある。そのルールは否応もなく、抗うことも許さず世界に存在するすべてのものに強制させるからだ。存在してしまってはもうどうにもならないことをシロは生前から知っていた。だからこそ世界に絶望し、世界の構造がどうなっているか自分の中で答えがでているくせに世界に順応しようと自分自身を変えることも出来ない自分に絶望し、絶望の果てに死んでまで死神の世界に縛られる自分に絶望する。
それが今まで生きてきた道であり、これからも続くはずのシロの道である。だからこそシロはあきらめてこの世界の真偽を確かめようとしなかった。真実であろうが偽物であろうがそこに自身が存在してしまっている、それが意味するのは唯一この世界のルールを強制されながら存在する日々である。
シロが深いため息のあと、息を吸い込むときに零花はこほんっと一度咳き込み仕切りなおして説明を再開した。その咳払いは思いふけていたシロを現実にもどすのには十分な出来事だった。
「で、借神は現実世界で現金として使えるの必要なお札をイメージすれば出てくるから、やってみて」
「ん、わかった」
そういうとシロは2千円をイメージする。少最新の偽造防止措置をとられている長方形の紙切れを、なんのことはなく手には2千円が存在していた。
「これで、君の借神は1001年だよ」
「こんなことで?1年も増えたの?」
「そうだよ、イメージして出したお金は2千円でも一万円以下の金額はすべて切り上げ計算になるの。いったでしょ?ただの借金だって。さ、それで会計してきて」
「俺が払うのかよ、おごってくれてもいいんじゃないの?先輩?」
「こんなときだけ先輩呼ばわりされてもおごりません。それにお金を出した時点で君の借神は1001年です。」
「ちぇ、まあいいや。会計行ってくるよ」
そういうとレジの前に立ち、会計をおえるために一万円を店員に差し出す。二人の会計は合わせて1200円、2千円で払ったため800円のおつりが来る計算だ。店員はシロから紙幣を受け取ると、おつりをレジから引き出し、シロへと渡す動作を行った後、ありがとうございましたというだけであった。おつりを求めようとしたが零花がシロの手を引き、店を出てしまった。
「まだ、おつりもらってないんだけど…それとも新手のいじめか?」
「違うよ、こっちは実際に存在しているお金で払ってるわけじゃないの。だから現実に作られたおつりをもらったところでシロさんの借神が1000万円2千円から1000万1200円になるわけじゃないよ。そもそも切り上げ計算だしね」
「そういうもん?」
「そういうもの、店側は神様が干渉してこっちで支払われた紙幣に関しては記憶が改ざんされて、さっきみたいな反応になるの。あ、あと現実のお金で神様が補填してくれるから大丈夫」
「便利だけど、もったいない気がするなぁ…」
喫茶店を出た後歩きながらそんな話をしていると男の声が二人の会話に入ってきた。
「そんなこと言わずにどんどん使ってよ、これシステム開発するのと実運転するまでの準備で3日ぐらいかかったんだから」
どこから聞こえてきたその声はどこかで聞いたことがある声だった。会話に入ってきた人間を横目でみると白いスーツを着ていることだけはわかった。
「3日しか、かかってないのかよ、てかこのシステムを作ったようないいぶりだな…って天津、お前かよ!!どうしてここにいんだよ」
「やっほー、一之宮君、久しぶりっていってもまだ4日ぐらいしか経ってないか…どうしてって神様はどこにでもいるよ。君たちの心の中にね」
そんなあざといことを言いながら天津は表面上だけ笑っていた。
「そんなことを言うためにわざわざつけてきたのか?このストーカー野郎が」
「またそうやって神様を馬鹿にする…いつの間にか君の借神が100年ぐらい増えてるかもしれないよ?」
「うぐぅ…ずるいぞ、天津…」
そんなやり取りをして二人に置いてけぼりを食らっていた零花だが突然の神の来訪に感動しているみたいだった。シロにとっては気に食わない奴に分類される天津だが、死神たちにとっては少なくとも零花には畏敬を抱く存在であるようであった。それは零花の反応を見てすぐにわかった。
「お、お久しぶりです。天津さん、私のこと覚えていますか?」
「もちろん覚えているよ、レイちゃん。死神のことは全員ね」
「あ、ありがとうございます!!」
その光景をみてむすっとしたシロを茶化すかのように天津は
「あれぇ、どうしたの?一之宮君?前から狙ってる女の子に彼氏がいたことに気づいてしまったような顔して?」
「してねーよ、てめぇ殴るぞ」
「冗談だよ、本気にしないでよ。あはははー」
「ほんとに何しにきたんだよ、お前は」
「あ、危ない危ない、忘れるとこだった。伝え忘れたことがあったから言いにきたんだよ」
「わざわざ?」
「そうだよ。これを神から説明しないと死神としていろいろ不具合が生じるからね」
「で、その内容はなんだよ?どうせろくなことじゃないんだろ?」
「まあ、たいしたことじゃないんだけどさ、君が借神返さないかぎり死ぬこと、存在を消すことが出来ないのは言ったでしょ?でもひとつだけ死ぬ方法があるんだ」
「ほんとか?教えてくれ、神様」
「こんなときだけ神様呼ばわりか…さっきのレイちゃんへの態度も含め、ちょっと度が過ぎるなぁ…」
「さっきのみてたのかよ…いいから教えろよ」
そうせかすシロにとって死は希望である。ここ数日は零花と一緒にすごしていたため対面上、無意識に愛想よくしていたが、これまでの彼の表情は作られていたものである。
天津の情報をちらつかされたシロは本来の表情であった。シロが願うものへとつながっている、だからこそあせってしまう。それを見た天津はすぐさま教えてやることにした。また、その言葉がシロを絶望させることになると知っていたからである。
「心から死にたくないと思うことで死ぬことができるよ」
「え?死にたくないと思うと死ねる?」
その言葉の意味をすぐさま理解できないほどシロの頭の中はこんがらがっていた。そんな彼を置き去りにして天津は説明を続ける。
「そう、死にたいと思っている以上はどんな状況になろうとも死ぬことは出来ない。心臓を貫かれようが、頭をぶち抜かれようが、毒を飲もうが、首吊りをしようが死なない。死ぬ寸前で本拠地に転送される。死にたくないと心から思うことが出来ている状況で致命傷を与えられれば死ねる」
シロにとってどんなにその条件クリアが難しいものかわかっていた。そしてその条件をクリアしてしまっているということはシロにとってこの世界が大切で失いたくないものになっている中ですべてを失わなければならないことを意味していた。
「いやいやいや、矛盾してない?」
「全然」
「じゃあ何か、お前はどSか?」
「ううん、どM」
「さらっと性癖ばらすなよ、気持ち悪いな」
「君が言ったんだろ、まったく」
シロは完全にパニックだった。
「そんなのおかしいだろ」
「なにがおかしんだい?」
そう答える天津の表情が険しいものになっていた。納得のできないシロはゆっくりと頭の中を整理しながら天津へ答える。
「だって…死にたくないと思うってことはここの生活で満足して、ここで死神として生きていくことを望んだってことだろ?じゃあ、嫌々働かせるより進んで働いてくれるってことじゃないか。お前にとってもそっちのほうが使いやすいに決まってる。なのになぜわざわざ消す必要があるんだよ」
「一之宮君、君たちの力は絶望する力に比例する。それは過去のつらい出来事であったり、トラウマであったりに起因する。死にたくないって思うことは生きていたいってことだよ。言っていることがわかるかい?」
天津は物事の解を伏せながら説明を続ける。
「生きていたいと思える人間ということは、もはやトラウマを乗り越え恐怖が待っているとも知れない未来へ自分の歩みを進められる人間ってことだ。もはやその死神は絶望抱いていないんだ。希望を抱いているんだ。そんな奴が絶望を死力に変えることが出来るか?希望もったらもう役立たずなんだよ。だから始末する。それだけさ…」
その語尾に含まれた思いは何だったのだろうか…事態を横で冷静に見ていた零花はそう感じていた。妙にやさしく、切ない感情だけは読み取れたが天津の本当の心のうちまではわからなかった。しかし、シロは思わぬ神の返答に怒りでそこまで気がついてはいなかった。そんなシロをみて天津もまた苛立ちを隠せずに次の言葉を発していた。
「君はひどいと思っているのかもしれないがな…そこまで生きたいと願う死神に対してなら借神を返しきれればそれ相応の権利を与えているんだ、私は。実体を持ち死神の力を失わず死神として生きる道をね、ならそこまで死にたくないと思いながら生き抜くしかない、出るかもわからない死神の力を使って」
そう告げたところでシロは激昂するわけでもなく、静かに自分の怒りを押さえつけながら呟いた。
「てめぇは、どれだけ人の存在を、希望を壊せば気が済むんだ…」
「そもそもこれは僕が設定したルールじゃない、当初から存在していたルールだ。僕に出来たのはあくまで借神返済後、実体を持ち死神として働く力を維持させることと、そのまま消え行くことの選択権を与えてあげることだけだよ」
そう告げたところでシロの怒りは少し和らいだようだった。が、シロにとって解せない点はいくつかあった。ならなぜこいつはそのルールを反故にしないのか、こいつが神である以上そんなことはたやすいはずなのである。
「神様は全知全能なんだろ、何とかしろよ」
「残念ながらできない、僕は本当の神じゃないんだ」
「本当の神じゃ…ない?」
「本当に神様が全知全能なら最強無敵に存在し続ければいいだけの話だ。しかし現実はどうだ?僕で天界の統治者は57代目。話は簡単、全知全能なんかじゃないんだよ、僕らは。神の力の一端を使用できることは事実だよ。だからこそルールに後付することぐらいなら可能さ、代価と得られる利益を天秤にかけてつりあっていればね。天界総司令官ってのは神の代行者であるが神ではない。私が神と呼ばれるのは天界を統べる立場であり神の力の一端を使用できるからだけなんだよ…」
そう話を続ける天津は下唇を噛み、握りこぶしをぎゅっと強く握り締める。シロがはじめてみた天津の、神の代行者と呼ばれる一個人の悔しさに満ちた表情であった。
「さて、話すことは話したし、もう帰るよ」
いつもの作った笑顔、作った表情のない天津は静かにそう告げるとすたすたと去っていってしまった。その後姿はあまりにもさびしく神の神々しさはまったくといっていいほど感じなかった。
シロにとって天津は気に入らない奴ではあった。しかしシロは天津自身のことを何も知ってはいない。そして知らないくせにあれこれ文句を言ったことをシロは反省していた。彼もまた神ではないというのに神という立場におかれ力及ばず悔しい思いをしてきたからこそ去り際の表情だったのかもしれないと思い、少し立ち尽くしていた。
「もう帰ろう」
そう零花にいい、零花も承諾しその場を二人も離れた。スマートフォンのアプリから帰還を選択し東京ブロックに戻ってきた二人は宿舎へ歩みを向けていた。もうすでに日は落ち、あたりは真っ暗だった。
「悪いな、レイ。せっかく誘ってくれたのに」
「なにが?」
「なんか辛気臭いままで…今度なんか奢るよ」
「じゃ、こんどは遠慮なく」
そう何気ない話から、訓練の話をしていたらいつの間にか宿舎前についていた。零花は
「じゃ、また明日。訓練場でね」
そう一言告げると宿舎に入っていった。シロも自分の宿舎に戻ろうとしたとき、スマートフォンが鳴った。
画面を見るとそこには新着メールのタグがついていた。メールは天津からだった。
「いきなりどうしたんだ、メールなんかしてきて…」
メールにはこう書いてあった。
「一之宮くん、今日は感情的になってしまって悪かった。けどなんかレイちゃんといちゃいちゃしているのをみてむかついたので借神100年追加しておきます(笑)」
「冗談だろ?」
あまりのことに急いでメールのアプリケーションを閉じ、借神のアプリを開くとそこにはまぎれもなく+100年の文字があった。
「あのやろう…またあったら絶対殴ってやるーーー」
その声は月夜に消えていった。




