チャプター38 紫と紅の共演
夏といえど夜は肌寒さを感じさせる。死神達はアクシデントにあいながらも夏を楽しんでいた。完全に落ち着きを取り戻した望月だったがいつもよりどこか元気がなかったのも事実だった。海風が流れる浜辺ではバーベキューの準備のため天津と零花が世話しなく動いていた。
「御飯の準備はオッケイ…あとは食材切って、終わりかな?」
「天津さん、そういえば大門さんどこいったんですか?さっきからぜんぜん見えないんですけど」
「大門?あーそろそろくるんじゃないかな?」
その時だった。
「ぎゃあああぁぁ」
悲鳴をあげたのは桐彦だった。
みてはいけないものをみてしまったような悲鳴は海辺全体へ響き渡る。
「今度はなんだよ!!」
シロが駆け寄ると腰を抜かし、後退りする桐彦がいた。
「い、今、海から女の頭が…」
「女の頭?」
シロが周りを見渡してもそんなものは発見できず、疑いの眼差しは当然桐彦に向けられた。
「なんにもいないじゃないか」
「本当にいたんすよ!!」
「って言われてもなぁ…」
そうぼやきながら桐彦を見ると彼の表情はどんどん青ざめ、再び後退を始めていた。シロもまた自分の耳元に聞こえてくる音の違和感に気付き始める。何かが海から這い出てくるようなジャバッジャバッという音と砂浜を引きずるようなザリッザリッという音が徐々に近づく。恐る恐るシロが振り替えると人の形をしたものが近づいて来ていた。その光景にシロは悲鳴をあげなかったが、恐怖に耐えるように唾を飲み込んだ。
後ろで腰を抜かした桐彦はすでに物陰へ隠れ、あっているかもわからない念仏を唱えていた。
そんな念仏が通じるわけもなく、人の形をした何かは体を横に揺らし、再び近づいてくる。体は成人男性よりもひとまわり大きく、頭には腐ってしまってヌルヌルしていそうな髪の毛をたらしている。
近づいてくる何かはシロに網のようなものを差し出したが、当然、受け取るなんてことはできず、シロもまた後退を始めた。すると近づいてくる何かは声をあげる。その声に驚きながらもシロはその声をよく聞いてみると聞き覚えのある声に、恐る恐る近づいてみる。
よく見るとそれは大門だった。
「大門さん…脅かさないでくださいよ…」
「お前らが勝手に驚いただけだろ?」
「そうですけど、桐彦なんてあんな調子ですよ?」
そういいながら物陰に隠れている桐彦を指差した。
桐彦は耳を塞ぎ、目を瞑ったままで念仏のようなものを唱え続けていた。シロは桐彦に近づくと彼の肩をたたき、大きな声で幽霊などいなかったことを伝えようとした。
「桐彦!!もう大丈夫だぞ!!」
「もう幽霊いないっすか?」
シロの言葉を信じていなかったわけではないのだろうが、桐彦は恐る恐る海の方向へ目を向けた。シロの背後からヌルッと大門が頭を出すと桐彦は再び悲鳴を上げる。
「シロさん!!憑いてる憑いてる!!」
「はぁ…これは大門さんだよ…」
「へ?」
シロが幽霊の正体を明かすと大門は自分の頭にのっている海藻類をとり、自分の顔が見えるようにした。桐彦は大門を見るやいなや、安心したようで胸をなでおろした。大門は二人の反応を見て、大いに笑っていたが、シロと桐彦はどっと疲れがきたような気がしていた。三人はみんながバーベキューの準備をしている調理場へと向かった。
三人が調理場へ姿を見せると待ちわびたように天津が出迎えていた。
「大門、ちゃんと獲ってこれたかい?」
「あぁ、大漁だ」
そういうと持っていた網をシンクへ乗せた。重みを感じさせるドンッという音にみんなの視線が集まっていた。網の中にはたくさんの魚介類が入っていてそこにはサザエやアワビなど高価な食材も混じっていた。少しばかり法に触れそうな匂いがしたシロは思わず口に疑問を出していた。
「これ、密りょ…」
その言葉がシロの口から離れる前に天津は言葉を挟んでいた。
「大丈夫!!漁業組合には言ってあるから!!」
ひどく心配になる一同だったが、天津を信じバーベキューを始めたのだった。
バーベキューの食材はたくさんあったがいつもより彼らの食は進んでいた。夏とバーベキューという組み合わせがそうさせたのだろう、食材はあっという間になくなったのだった。バーベキューを終えたシロたちはその余韻を楽しむようにそれぞれに語り合い、夜空を眺めていた。星が見えれば雰囲気的にもよかったのかもしれないが空は徐々に雲に覆われてきていて、空気は湿気を帯び始めた。
それを感じたみんなはいそいそと片づけをはじめる。シロは片づけをしながら望月の様子を気にしていた。望月の様子を遠目から見ていたシロだったが、その心配が必要ないことをすぐに悟っていた。桐彦はそれとなく望月の近くで彼女の手伝いをしていたからだ。彼女の心が壊れない距離感を桐彦は心得ていたようで、望月はどこか安心しているようだった。その光景をみてシロは望月のことは桐彦に任せても大丈夫だろうと思い、自身に与えられた片付けに集中することにした。シロの隣では篠崎が食器を集めていたが、どこかいつもの雰囲気とは違っていることにシロは気づき、自然に話しかけていた。
「このえ?今日はどうだった?」
突然話しかけられた篠崎は少し体をビクつかせたがゆっくりとシロの顔をみてシロの問いに答え始めた。
「うん、楽しかった…」
そういうと篠崎は片付けの手を休め、同じ質問をシロに返す。
「一之宮君はどうだった…?」
「最初はいやだったけど遊んでるうちに夢中になっちゃってたよ」
そう笑いながらシロはテーブルの上に残ったごみを集め終えていた。彼は篠崎が自分のこと苗字で呼んでいることに気づき軽く注意する。自分と彼女の関係性がどうであれ、フェアではないような気がしていたからである。
「てか、シロでいいよ。俺だけ名前呼び捨てはだめでしょ?」
そういうと篠崎は黙ってしまい、二人の間に沈黙が流れた。しかし、シロは篠崎との会話で沈黙が訪れることに慣れていたため、彼女の返答を片づけをしながら待っていた。篠崎は恥ずかしさを押し殺し、覚悟を決めたようでうなずきながら”うん”とだけ言うと
「シロ…さん…これで…いい?」
今にも火が出そうなほど真っ赤になった篠崎の顔をみたシロは、彼女の頬の赤みが移ったようでそれを誤魔化すように片づけをしながら囁いた。
「かまわないよ。このえに呼ばれるのは初めてだからちょっと恥ずかしいけどね」
「私も…恥ずかしいよ…」
そういいながら二人は周辺の片づけを終え、食器を集めてシンクへ持っていった。
あらかた周辺の片づけが終わると、大門と零花はレンタルしていたバーベキューセットを事務局のほうへ返却しにいっていた。望月はごみを捨てるため砂浜から少し外れた場所にあるゴミ捨て場へとゴミ袋をもち歩いていく。
望月がごみを捨て終わるところで上空からポツポツと雨が降り始め、彼女は急いで戻ろうと自然と小走りになっていた。そんな彼女の前に人影が立ちはだかる。見覚えのあるその顔は昼に望月に近寄ってきた二人組みだった。望月は恐怖を感じ、思わず足を止めてしまっていた。ゆっくりと近づく二人の男たちに望月の恐怖は徐々に膨れ上がっていった。どうにも彼女の体は動いてくれず、男たちとの距離は腕を伸ばせば届いてしまうところまで縮まっていた。
耐え切れなかった望月は再び悲鳴をあげる。
その悲鳴は砂浜にも届いていたが雨脚がその音量を下げていた。
望月は助けを求めるように叫び続けていたが、男たちは表情を変えることなく望月の体に触れようとする。
そのときだった。
望月の叫びを受け取った桐彦とシロが彼女と二人の男たちの間へ割って入っていた。
「大丈夫っすか!!?みなもっち!!」
「また、こいつらかよ…」
ため息混じりに遊んで疲れきった体を強引に動かして彼女をかばう。桐彦はあることに気がついたようで雨の中でも確実に伝えることができるように声を荒げた。
「シロさん!!こいつらちょっとおかしいっす!!」
「昼はこんな感じじゃ…なかったんだがっ…」
男二人は徐々にその力を強め、死神たちと同等の力を発揮していた。桐彦もそのことに気がつき始め、何よりも望月の安全を優先させる。
「ここは俺が二人を相手するっす…みなもっちを避難させてください」
「おいおい…それで泣き叫ばれても知らんからなっ!!」
「いってくださいっす。シロさんなら大丈夫っす」
そういうとシロは望月をかばう形で二人の男たちに背を向ける。その状況をみた二人の男たちが見逃すわけもなくシロに襲い掛かろうとしていたが、それは桐彦が防いでいた。
シロは望月に小声でこれからすることに許しを求める。
「ごめん、ちょっと触るぞ」
そういうと望月はコクンと頷き、それを確認したシロはすぐさま彼女を抱え十数メートル後退し物陰へ隠れさせた。シロが周辺の安全を確認していると天津がいつの間にか合流していた。桐彦が相手している二人をみて天津はなにかを悟ったようだった。
「あー…悪魔に憑かれてる」
「憑かれてる?普通だったら姿見えるはずだろ?」
「憑かれてるっていっても色々あるからねー…あれは操り人形っていったほうが適切だね。それでも普通の悪魔くらいの力は出せると思うよ」
「なんにせよ、悪魔が関係しているなら桐彦じゃ厳しいだろ。手助けしてくる」
そういうとシロはすぐさま戦闘へ戻ろうとしたが、予想していた状況とまったく違う現状に驚きを隠せなかった。桐彦が悪魔の力を退けていたのだった。シロは桐彦が弱いと思っていたわけではなかった。悪魔に対抗できる力が現状、禁忌しかないと聞かされていたため、その力をもたない桐彦では荷が重いと考えていたからだった。シロは予想外の現状を天津に情報の真偽を確かめるために尋ねていた。
「なんだよ、別に禁忌じゃなくても戦えるんじゃないか…天津俺に嘘、言ったな?」
少しばかり怒りのこめられたその言葉を天津は冷静に受け止めていた。
「いいや、禁忌だけが悪魔に対する力ってのは事実だよ」
「じゃあ、桐彦が負けるってか?」
「確かに、今の桐彦君は強い」
「強いなら大丈夫だろ」
「あれは上級の悪魔じゃない…それに僕が必要としている力じゃないんだよ」
シロには天津が言いたいことが伝わっていなかった。天津もまたそれを感じたようで簡単な質問をしていた。
「シロ君…6分の1の確立で町を壊滅させることができる拳銃と殺すことができないが絶対に相手を痛めつけることができる拳銃、どっちが武器として優秀だと思う?」
「は?!こんなときに何言ってんだよ!!」
「大丈夫だよ、あれに今の桐彦君が負けるわけがないから」
桐彦の力を信じていないかと思えば、絶対的なまでの信頼をしている天津が解せないシロだった。しかし、天津の言うとおり今の桐彦に負ける要素が微塵もなかったのはシロも見ていて感じていたことだった。そのためだろうかシロも少しばかり落ち着きを取り戻したため天津の質問を考えてみる。
「まぁ…6分の1の方じゃないのか?」
「違うよ」
「じゃあ、絶対にあたるほうか?」
「それも違うんだ」
「じゃあ、なんなんだよ…」
あきれながらも天津が言いたいことが気になってしまっていた。間髪入れずに天津は自分の求める力を説明し始める。
「今の桐彦君の力は確かに強大だよ。それこそ町を壊滅させる拳銃のようにね…けどそれは偶然の力なんだ。いつもの死力ではせいぜい悪魔にデコピンをする程度のダメージしか与えられていないだろうさ。僕が求めるのはいつどんな時でも確実に町を壊すことができる力なんだよ」
その言葉にシロは黙るしかなかった。死力にムラができることは死神として働き始めてからすぐに気がついていた。戦闘中に死力が途切れそうになったこともあった。
しかし、禁忌についてはそんな気配はなかったのだどんなに力を使えども枯渇することがないように思えるほどの安定した力を感じていた。
天津にしてみれば確かに不安定な力よりは安定している力を求めるに違いなかった。いや、天津でなくても自分もまた安定した力を望むに違いなかった。
天津とシロが話している間も桐彦は戦闘を続けていた。その姿を心配そうに見つめるのは望月。
桐彦が戦うことになってしまったことを後悔していたようだった。
震える体をどうにか動かそうとしても体は言うことを聞いてくれなかった。
震えたままの望月は自分の気持ちと向き合っていた。
私のせいで…桐彦に迷惑かけた…もういやだ…変わることが怖いよ…
望月のトラウマは彼女の心に深く深く根を張っていて簡単には取り除けなかった。
桐彦は男二人相手でも臆することなく向かっていく。望月を守りたいという思いが彼を突き動かす。それゆえに目の前に立ちはだかる二人の男が殺したいほど憎く感じていた。
「みなもっちを苦しめるやつは…絶対に許さないっすよ…」
桐彦が抱く根本的な感情は望月への好意である。しかしそれを取り巻く感情はほめられた感情でないことだと知りつつも桐彦は取り巻く感情をさらに肥大化させていく。
こいつらはみなもっちを泣かした…だから、俺は…こいつらを許さない。憎い、憎イ、ニクイ……
ひどく汚れた負の感情に支配された桐彦は見たことがないほど死力を開放し、彼の体は自らの死力で包まれていた。彼の死力は紅蓮の炎のように燃え滾り、彼の心を表しているようだった。
桐彦の死力は彼の拳を金属でコーティングされ、与えるダメージを強力にしていた。悪魔に操られている男たちも桐彦の攻撃を受けるたび動きは鈍っていた。彼は基本的にこの技を使うことはない、それは相手に対しての配慮ではなく自分の体への配慮だった。桐彦は腕全体を金属で覆うとともに自分の腕の骨もまた金属で補強させていた。しかし関節を金属で覆ってしまえば当然ながら敵を殴打することが不可能になるため、関節だけは補強することができない。それゆえに一度殴れば、関節は悲鳴をあげるのだった。本部に帰還すれば傷は完治するとはいえ、続けて戦闘は不可能になる。自分自身なぜこんなリスクしか伴わない技にしてしまったのかわからなかったが、桐彦は相手を傷つけることはリスクを伴わせるべきだと考えていたのも事実だった。
だからこそ桐彦はこの技を自分のものとして認めていた。
今の桐彦にもまた男たちを殴るたびに関節の軟骨は潰れていた。痛みも当然あったが完全に怒りで我を忘れ、痛みを感じさせなかった。数十、数百の拳を繰り出し、確実に二人の動きが止まったことに安堵すると彼の関節は痛みを思い出し、その場にへたり込んでいた。
悪魔に操られた男の一人はまだ動けるようで、桐彦がへたり込んだところを襲い掛かる。桐彦はその男に気づかずに自分の関節の痛みに必死に耐えることしかできなかった。
桐彦に近づく悪魔の攻撃をコマ送りされるように望月は見ていた。桐彦を助けたいと思っていてもトラウマがそれを許してはくれなかった。
桐彦!!
こっちに来たばかりのころ、すべての男性を私は拒絶した。そんなのはよくないって思ってても男性を拒絶することしかできなかった。けど、初めて会ったときから距離感を探してくれた。今でもそうしてくれる…
どんなに無視しても、どんなにひどいこと言っても彼だけは私との距離感を探し続けてくれた。それなのに…私はまだ…お礼も言ってない…そんなのいやっ
そう思った瞬間に彼女の体は束縛が解かれ、精一杯の声を張り上げた。
「桐彦!!!」
彼女の声よりも早く、彼女の死力が作り出した針が桐彦に襲いかかろうとした悪魔の四肢を道路の崖に固定した。
「みなもっち…大丈夫…なんすか?」
「大丈夫じゃない…」
「なら、引っ込んでるっす…」
「い、いやだ!!私も戦う」
桐彦は望月の表情から揺らぐことのない決意の眼差しを受け取ると、自分の提案は引っ込めざる終えなかった。敵は自分を固定していた針を無理やり抜くと再び手負いの桐彦に襲い掛かろうとする。
二人は目を見合わせると望月は針を何本も作り出す。作られた針は男の体を先ほどよりも強く固定する。男の手、足、肘、膝、体の動きを司る関節という関節を針で封じる。
「桐彦、もう一発だけ撃てる?」
「問題なしっす。それよりもみなもっち、俺の心配よりも自分の心配するっすよ」
桐彦の同意を得られた望月は悪魔の体を固定した針とはまったく大きさの違う針を作りだしていた。杭というにも大きすぎるそれは、先を尖らせた金属製の丸太というのが正しい。その金属製の丸太の尖った先は悪魔へ向け、丸太の平らなほうへ桐彦が位置する。
狙いを定めたところで金属製の丸太を固定し、後は桐彦にゆだねる。
桐彦は大きく息を吸い込むと、渾身の力で丸太を打ち抜く。関節が完全に潰れていく音とともに丸太は悪魔に飛んでいく。
瞼を閉じること一回。
丸太は悪魔の体を貫いていた。




