チャプター33 晴天の志
現世では夏という季節のため朝は早く訪れる。暗闇の中に隠れたものを太陽が探し出すかのように朝日が世界を照らし始め、空はひどく爽快な青を呈し、雲ひとつなく晴れ渡る。シロの顔に一筋の光が差し込み、不意に意識を取り戻した。シロは横たわる死体をみて、それを校舎の片隅へ運び出す。自身の死力をスコップへと変えると、太陽の光を全身に受け止める葉桜の根元を掘り出し始めていた。地面を掘り終えたシロは青葉透の遺体をそこへ埋葬すると、辺りを見回し全てを終えたことを確認した。
端末の帰還のタグを押す瞬間に、思い出すのは桐彦の願い…。もういない一人の死神の願いも受け止めきれず、衰弱しきった顔でシロは帰還した。
本拠地へと帰ったシロは誰とも目を合わすことなく、自身の部屋にたどり着くことだけを祈りながら歩き出す。ひどく青白くなった顔色を隠すように自分の足元だけをみていた。そんな一人の青年を見つけたのは漆黒の髪を持った少女であった。落ち込む青年に声を掛けるべきか、かけないべきか少女は悩みながらも少しずつ青年との距離を詰めていく。
「シロさん…どうしたの?」
言葉をかけられたことにシロはひどくがっかりしていた。誰にも発見されることなく部屋にたどり着くというささやかな願いも早々に破られてしまい、落ち込みながらも仕方なく視線を自分の足元から声がした方向へと向ける。
「レイ…どうもしてないよ…」
彼女を突き放すことだけで精一杯で言葉に力はなかった。零花は当然、その言葉を信じることはできず、歩みを止めないシロの速度に合わせながら歩いていく。
「大丈夫?何処か怪我したの?」
優しさに満ち溢れた言葉がシロの心を締め付ける。
「無事に戻ってきたんだ…怪我があっても治るだろ?」
「そうだね…じゃあ…何があったの?」
その言葉に反応したのはシロの腕、無意識に動いた手は何かを思い出すかのようにピクンと一度だけ動いた。シロはそれを隠して歩み続けた。
「なにも…なにもなかった」
世界のすべてを拒絶するかのように彼の目は一点だけを見つめている。零花はその表情に見覚えがあった。抜け殻のようなシロにひとつだけ零花は尋ねていた。
「また…自分の居場所がなくなった…?」
零花の放った言葉がシロの歩みを止めさせた。心を掠めた少女の言葉の矢に体は硬直を余儀なくされ、まるで可動部の油が切れたロボットのように関節の動きは鈍くなった。
俺の居場所がなくなったんじゃない…俺が桐彦の居場所を奪ったんだ…
そんな思いがシロの体へのしかかる。そしてシロは自分の罪を告白するかのように零花に語り始めていた。
「桐彦を…俺が殺してしまった…」
「っ…」
零花は驚きの感情を全て飲み込んだ。声にはでなくても零花の鼓動は高鳴る一方だった。
そのあとも続くシロの懺悔を零花は口を挟まず、聞き続ける。零花には事の成り行きが正確にはわからず、それしかできなかったのである。シロが桐彦を殺したという事実の真偽はともかく、零花は目の前で動かなくなったシロの心配だけをしていた。
「とりあえず…今日は休んだほうがいいよ」
少女は自分が呼び止めてしまったことを少しばかり後悔しながらも、宿舎まで送ろうとしていた。石畳のひかれた広場には二人の姿しかなく、静寂が片方の言葉をより鮮明に相手に届けていた。
「あいつはみんなで笑い合える未来を望んでいたのに…それを俺は…」
自分の罪をさらけ出したシロは崩れ落ちそうな表情を手で覆い隠す。零花もシロをみて湧き上がる喪失感のやり場に困っていた。少女は桐彦を失った感情をシロにぶつけるわけでもなく、罵倒するわけでもなく、嘆き悲しむわけでもなく、世界を隠した青年に囁いていた。
「桐彦君は幸せそうだった?」
その言葉がシロに桐彦の最後の表情を鮮明に思い出させる。安らかに微笑まれた表情ばかりが脳裏へ映されていた。
「たぶん…幸せだったと思う…」
確証なんてないが、それが最後の表情の答えのような気がした。永遠に続くように敷き詰められた石畳を二人はゆっくりと歩いていく。急に走り出した零花はシロの数m先で行く手を阻むように立ち止まった。
「桐彦くんがいなくなったのは、さみしいけど…」
立ちはだかった零花は落とした視線をシロに向けながら微笑み語りかける。そこにあった零花の表情はシロには作ることのできなかった笑顔だった。
「きっと、桐彦君は誰も恨んでないよ、むしろ今のシロさんを見たくないんじゃないかな…」
シロはさらに重くなった体を引きずるだけだった。再び視線を落とした彼に聞こえてきたのは桐彦の声。脳に直接流れる彼との会話の記憶は心をさらに追い詰める。記憶に残っていた桐彦との思い出は半年前からゆっくりと再生され始めたかと思えば、すぐさま昨日の夜に起こった惨状を映しだしていた。脳内の時間軸は過去から現在へと変遷し始め、流れていた映像は自身の目の前の映像へと切り替わった。
「どうしたんすか?シロさん?」
目の前に広がる光景がシロの記憶を揺るがした。確かに消えてなくなったはずの桐彦の姿が光を結び網膜へ届く。ゆっくりと眼前を一度暗闇に変えてから、再び自分の目が結ぶ光を見据えた。そこには確かに桐彦の体があった。
「な…んで…」
「やだなぁ…シロさん。覚えてないんですか?」
「何を…」
「大丈夫だって言ったじゃないですか」
「あれは…完全に死ぬ流れだっただろう!!」
あまりのことに驚きと怒りが混じった感情をシロは桐彦にぶつけていた。零花はシロが過去にとらわれている間に桐彦の生存を確認して、ひとまず安堵したようで二人のやり取りをただ嬉しそうに見守るだけであった。シロの怒りは収まらなかったのだろう、桐彦への脅迫にも似た尋問を続けていた。
「お前な…あの流れで”大丈夫”は確実に死亡フラグ立ててんだよ!!」
「いや~そもそも俺の体が消えた時点で安心するとこっすよ?」
「あ?なんでだよ」
「だって死ぬときは死体は現場に残るっす。あれ?知らなかったんすか?」
「え?!!」
そういうと、自分が消えて無くなる瞬間にみたシロの表情を思い出し、桐彦はほくそ笑む。そう言われてふっと頭によぎったのはリヴィアタンとの戦いの前に見た映像だった。確かにあの時、大門と黒田の前には女性の遺体があった。シロは遺体が残っていたことを思い出すと急に安堵と恥ずかしさがやってきていた。安堵はシロの力を奪い、恥ずかしさはシロに体育座りをもたらしていた。
「そういえば…なんで桐彦君は死ねなかったの?」
表情の緩んだシロとほくそ笑んだままの桐彦をみて安心した零花が桐彦に尋ねていた。
「そうだ!!なんでだよ!!」
それに便乗したかのようにシロは桐彦に死にたくなった理由を問い詰めていた。その言葉を聞いた桐彦は急に苦虫をかんだような表情になり、とても言いにくそうにシロに簡単な約束を求めていた。
「あんまり言いたくないんすよね…シロさんだけに教えてもいいですけど…」
「それ、ひどくない?」
「レイねーちゃんには申し訳ないっすけど…ここはお願いっす」
そういうと不満そうではあったが零花は納得したようで一度だけ頷いた。桐彦はそれを見ると体育座りをするシロに零花には聞こえないように小さな声で耳打ちをする。
「実は…自分の部屋にエロ本、開きっぱなしでおいてることに気がついて…そんで今日、みなもっちと約束してたんですよ…」
「…は?」
シロは桐彦が死にたくなった理由を聞いても理解できなかった。正確に言うのならば理解する事すらしたくなくなるような理由であることは容易に想像できた。桐彦はひそひそと理由を耳元で話し続けていた。
「で、もし俺がこのまま死んだら約束の時間を過ぎて、たぶん、みなもっちは俺の部屋に来て…後はもういいっすか…俺…恥ずかしくて…」
「つまりは…そのエロ本が見られると思うと死にたくなった…と?」
「…てへっ」
膝を抱えていたシロはゆっくりと立ち上がり桐彦の肩をポンッと叩くと少しばかり離れたところにいる零花を呼んでいた。肩を叩かれた桐彦は自分の要求を承諾したという意味であると思い、零花にばれることが無いと踏んでか、安堵のため息をついていた。不満そうな零花はゆっくりと近づいてくる。三人が合流したところでシロは突然、桐彦が死にたくなった理由を零花に報告していた。
「レイ…こいつ、エロ本見られそうになって死にたくなったんだってさ…」
エロ本という言葉を当然ながら理解できる零花は顔を真っ赤にして、その恥ずかしさと怒りを込めて桐彦を睨み付ける。安堵しきっていた桐彦はシロの言葉に驚きを隠せず、そして徐々に近づいてくる拳を強く握りしめた零花に恐怖し、後ずさりをしていた。
「ちょっと…シロさん、それはないっすよ~!!」
「誰も言わないとは言ってない、一回死んでこい」
後ずさりを続ける桐彦は自分の体が建物にぶつかったことを背中に感じると零花もまた自身の拳が届く範囲で止まる。より一層力を込めた拳は桐彦の体を貫く勢いで突き出されようとしていた。
「レイねーちゃん、ちょ、まって。男としてはけっこう重要なんだってば…この問題は…」
「うるさい、ごたごた言わずに殴らせなさい!!」
「いやだ~~~」
桐彦の体を襲った衝撃は後ろの建物にも伝わり轟音だけが鳴り響いていた。その光景を見てシロは日常を取り戻したような気がしていた。気分がすっきりとした零花と腹部に深手を負った桐彦は宿舎に向かい歩き出す。桐彦が生きていたという事実はシロの気分を少しばかり晴れやかにしていた。しかし、完全に晴れやかにすることができないのはシロ自身の行いのせいだった。
俺は桐彦の弟を殺している…
その思いがシロを付きまとう。三人が歩き始めて数分が経ち、いつの間にか零花の宿舎へと辿りついてしまっていた。シロの心の中では焦りが感情を支配し始め、徐々に心臓が大きく脈打つ。申し訳が無いということだけでは済まされない。
家族が殺されたのだ、桐彦も笑っているが内心穏やかではないはずだ…俺は桐彦に何ができるんだ…
零花を宿舎の入り口で見送ると取り残された二人は静かに自分達の宿舎に向う。居心地の悪さは尋常ではなく、簡単にその場を去ることができれば苦労は無かった。その場を去ることも、無垢に笑うことも桐彦の気持ちを考えれば考えるほどにできるわけがなかった。シロの表情は次第に強張っていく、同時に体は再び硬直し始めていた。
桐彦はスタスタと宿舎に向けて歩くのをやめなかった。すぐに二人の宿舎に到着し、入り口で立ち止まった。それと同時に彼はシロに声をかけていた。
「…シロさん」
シロは桐彦の呼びかけがあった瞬間に頭を下げた。何も言わずにただ頭を下げた。自分は謝ることしかできないというのがシロの結論だった。
「ごめん」
桐彦はそ目の前で頭を下げるシロに驚きを隠せなかった、なぜシロが頭を下げているのかを考え始めていた。その答えはすぐさま出てきたが暫くはシロの言葉に耳を傾ける。
「俺は…お前の弟を殺した。俺には謝ることしかできない…消えろと言うならお前の目に入らないようにどこかへ行く。殴らせろというのなら気が済むまで殴ってくれ…」
どんなことでもする覚悟はあった。
シロは自分に家族がいた経験が無かったからこそ家族というものに憧れていた。
その憧れは彼に他人の家族を奪ったという事はどれほどの罰を受けても足りないと感じさせていた。
桐彦は罪を背負った彼の言葉を聞き終えて、ため息混じりに右手を握り締める。
「シロさん、頭を上げてくださいっす…」
ゆっくりと頭を上げると左頬に激しい痛みを伴いながら勢いそのままに地面にしりもちをついた。桐彦の一撃をシロは受け入れようとしていた。しかし、桐彦の怒りがこれで収まるわけがないとシロは思っていた。何発でも彼の怒りを受け入れようそう思っていた矢先に桐彦はシロに自分の思いを語り始めていた。
「この一発はレイねーちゃんにばらした分っすよ」
次の瞬間、シロに桐彦は手を差し出した。完全にわけがわからず、シロはフリーズしていた。
「で、この手をとってくれたら弟の件はちゃらっす」
シロの時間は止まったままであった。そんな様子に呆れながら桐彦は言葉を続けた。
「いいっすか?シロさん。俺もシロさんも、もう死神なんですよ?確かに弟を殺されたことに怒ってないって言ったら嘘になります…けどもう俺もシロさんも死んでるんす…死者…いや死神と命があるものは相容れないっす」
「けど…」
「けど、じゃないっすよ。俺は弟がいる過去を引きずるよりも死神になったみんなと笑いあえる未来を作りたいんす」
「過去よりも…未来…」
過去を引きずり続けたシロにはその言葉はすぐには信じれそうになかった。そう簡単に人は変われない、それがシロの意見だった。今もそれは変わっていない。
けれど、弟を殺した人間に手を差し伸べることができる人間がシロの目の前に立っていた。シロは自分の器の小ささを思い知らされながら、差し伸べられた手をとり立ち上がる。
「ありがとう、桐彦」
そんな小さなシロの言葉は確かに桐彦に届いていた。
人は簡単に変われない…けれど変わろうとしなければ変われるものも変われない
そう思いながらシロはゆっくりと空を見上げた。こちらの世界はいつもと変わらず雲ひとつ無い晴天が広がる。心なしかその晴天は朝とは違い、シロに晴れ晴れとした気分を心に与え始めていた。




