チャプター32 暗闇の中へ
青葉透にも同じ光景が見えているのだろう。けれど速度のついた彼の体は桐彦の体を貫くまで止まることを許さなかった。一瞬違う未来が見えた青葉透は何かの間違いであることを祈りながら瞼を一度閉じていた。再びあけられた目に飛び込んできたのは自分の爪が兄を貫いている状況であった。
望んだものとは違う未来が訪れたことと兄を刺したという事実が彼の体を力なく後退させていた。それと同時に桐彦の体はその場に崩れ落ちる。染み出した赤い液体は爪が引き抜かれるのと同時にその量を増していた。流れ出る血はようやく乾いてきたグラウンドを再びぬかるみへと変えていた。擬似的な死の感覚が現実に襲い始めて、彼は思わずうずくまる。
その光景を瞼を閉じることなく見続けたシロもまた桐彦とのやり取りを思い出す。
シロさんにもできるっすよ…この現状でもお前は過去を笑い飛ばせるのかよ…桐彦…
お前の体はもう…
思考をおいてシロは彼のもとへ走っていた。瞬間、叫ばれた彼の名前は何度も校舎に反射して、夏の暑さが作り出した熱帯夜を壊すかのように響き渡る。
「桐彦!!」
「あぁ…シロさん…」
「いいから死にたいと願え、願い続けろ!!」
「俺は…大丈夫…っすよ」
「なにが大丈夫だ!!お前はもうこの世界に希望を…」
駆け寄ったシロを突き放すかのように冗談交じえて彼は途切れ途切れの音を発していた。
「シロさん…俺のこと…仲間だって、思って…くれてたんすね…」
その言葉を認めてしまえば彼は満たされてしまうかもしれない。その不安がシロにはあった。選んだ言葉は消えそうな存在には辛辣なものだった。
「お前のことは…仲間なんて思っちゃいない。ずっとバカだと思ってた…」
そんな言葉を言いながらシロは幼少の頃の体験を思い出していた。徐々に弱る桐彦の動きをどうにかとめる術を考え尽くす。そんな方法を考える間にも桐彦の体は冷たさを伴い始めていた。周りの空気が嫌に熱く感じながら桐彦のひどく小さい声に耳を傾ける。
「俺は…死神になったとき…過去を笑い飛ばすなんて、過去を乗り越えるなんて…無理だと…思ってたんす…けど…生活して、遊んで、仕事して、本当に…楽しかったっす…死ぬ前にできなかったことを…俺は」
その言葉の途中で桐彦の体は分解し始めていた。空中へ塵となって舞っていく彼の体をとどめることもできずにシロは桐彦の手を強く握っていた。消え行く彼の存在を留まらせるかのようにシロは言葉を繰り返す。
「死にたいと思え!!思えよ…桐彦」
桐彦の手を強く握っていたはずの自分の手が空を切る。それと同時に限界を向かえたかのように彼の体は空に舞っていった。最後に見た桐彦の表情はシロの情けない表情を笑うかのように、にこやかであったがどこか悲しそうでもあった。シロの手は湿り気を残したままの地面へ着地した。
一人の死神が消えた事実は青葉透にも衝撃を与えて、それは悲痛な叫びとして表されていた。
「僕が…殺した…兄ちゃんを…唯一の希望である過去を…そんなの…いやだぁぁぁーー!!」
自分が兄を刺したという事実を青葉透は隠すかのように頭を抱えていた。その際、自分自身の爪で頭は傷つき血を流していた。流れた血は額を経由し、目から涙のように流れ落ちた。完全に自我を失ったことを自ら嘆くかのように血の涙は目を更に赤く染め上げていた。青葉透の意識は完全になりを潜め、悪魔アロケルの人格が体の主導権を握り表層に現れる。
「やっと、体を奪えたか…」
一人の死神を失ってうなだれるシロをみて、この好機を逃す術はないことに悪魔は気づき、ゆっくりと近づいていた。当の本人はそんなことに気づきもせずに桐彦の幻影を頭の中で追い求める。
俺にとってあいつの存在はなんだったんだ?
迷惑をかけられた記憶のほうが多い。関わってロクなことなんてなかった、それにあいつは馬鹿だった。
けれど、桐彦が嫌いって思ったことはなかったっけ…こういう存在はなんて言うんだ?
…そうか…これが友人か…
じゃあ、この言葉にならない喪失感はどこからやってくるんだ?
ああ…友人を失ったから…
もう…悲しくてどうしようもない…
シロはとめどなく両目から流れる透明な涙を止められなかった。彼の悲しみは更に思考を加速させる。
あいつは笑い合いたいと言ってたのに…無関係な仕事に巻き込んで辛い思いをさせてしまった…
俺があいつを巻き込んだ、弟に殺されるような…違う…俺が殺したんだ…
シロの感情は負の螺旋階段を降り続け、最下層へ向かい続ける。夏の夜の暑さとは裏腹にシロの体は冷えていく。止まらない負の思考回路が選び出す結論は変わらない。
友人ができたと思えたのに…それすら、自分のせいで失って…また人を殺して…死んでまでこんな人生かぁ…クズだ、カスだ。生きる価値なんてないな…俺…
そんな思考の海に飲まれた死神の前に立つアロケルは自身の爪を振りかざす。振りかざされた爪がシロの体に届く前に、一足先に風が届いていた。それはアロケルの爪の軌道を予測するようにシロの体に届いた。シロに風が届いたとき、感情は最下層にたどり着いていた。
もういやだ…
なんだろう、この感じ…どうにもならない感情…思考…存在…
…絶望だ…
シロに届きかけた爪は強い光に巻き込まれ軌道の存在を消した。実際に消えた爪の先の違和感を抑えきれなかったアロケルは一度、その身をうなだれる死神から遠ざけていた。
「なんだ…この力は…」
黒い光を自分の体から放出しながらシロはゆっくりと立ち上がる。全てを飲み込むような彼の光は周りに広がる暗闇よりも深く暗くシロの体を覆い隠す。それはシロの目の光をも飲み込み、生気を奪うように更に大きく彼の体を包み込んでいった。
「…お前誰だっけ…」
友人の死は彼の記憶を交錯させ、アロケルの存在を忘れさせていた。自身の存在の意味すら忘れそうになりながら彼は目から流れた涙の痕跡を拭っていた。アロケルは目の前に存在している死神に恐怖を感じていた。アロケルは目の前の死神の存在理由を忘れていなかった。
「アロケルだ…銀髪の死神…お前が俺の命を取りにきたのなら殺してはじめて自由になれる…だから殺すぞ」
「そういえば俺は死神か…」
そんな魂が抜けた目の前の存在に容赦なく襲いかかる。しかしアロケルの攻撃はシロの体に届かない。強く光り続ける暗闇に全て飲み込まれていった。そんなことを気にもとめずアロケルは爪を振り回していた。
「死ね!!死ねぇぇぇ!!」
空を切り続ける自身の攻撃に苛立ちながら、悪魔は何度も何度も自身の腕を振り回す。
「俺が殺した死神と何が違うってんだ!!」
その言葉に暗闇を発光することしかできなかった死神が反応する。
「お前が…殺した…?」
「ああ!!そうだよ。攻撃が当たる瞬間に体を乗っ取ってなぁ!!宿主が絶望すれば俺に限らず、悪魔と呼ばれる存在たちは外に出やすくなるからなぁ!!」
「そう…か…」
「俺の宿主は寸前攻撃を止めかねなかったからな、確実に絶望してもらうためにも兄と呼ばれてた死神を殺せば出れるはずだった!!」
「じゃあ…桐彦を殺したのは…」
「何度も言ってるだろ!!俺だよ、俺!!アロケル様だ!!」
アロケルのとめどない攻撃は依然シロには届かない。何度でも爪を再生し銀髪の死神の存在を消そうとする。そんな攻撃をされながらシロは抱いている絶望の原因が自分にないことを交錯した記憶の中から取り戻し、沸き立った感情を表面に出した。その感情を表すかのように彼を纏っていた死力は急に爆発し、アロケルの体を十数m吹き飛ばす。
「はははっ…そうか、そうだった。そうだよ…」
シロは全てを思い出し、不気味に乾いた笑いを見せていた。全てを飲み込んだ暗闇から自身の目の光をシロは取り戻し、目の前の悪魔を睨みつける。
俺が殺したんじゃなかった…けど…
そのあとに続く言葉をシロは今は考えないようにしていた。その先を考えてしまえば、再び絶望に飲まれてしまう。自分が抱いた感情に身を任せてしまおう、シロは自分が直接的な原因でないことを表したいかのようにシロは怒りを振り回す。
「もう…死んでくれ…」
「いいのか?この体は死んだ奴の弟なんだろ?」
まるで自分は殺される対象になるわけがないと言いたげにアロケルは大いに笑ってみせていた。そんな悪魔に容赦なく一つの事実を宣言しながら、足元に落ちていた大鎌を拾い上げた。
「だから…殺せないと?」
「人間ってのは血縁者だから親しい人だからとか変な理由つけて殺せないだろ?」
「悪いが…俺は人間じゃない…死神だ!!」
アロケルはたかをくくっていた。青葉透の体を利用していた時、シロが優勢だったが本来の悪魔の自分を取り戻していたためにアロケルの力は大きくなっていた。それに伴いアロケルの態度は大きくなる。
数秒後、アロケルは自分が抱いた考えを改める必要があった。戦闘の意思を伝えたシロの死力はアロケルの体を火で炙るかのような感覚を与えていた。シロの攻撃は予告もなく悪魔の体を襲い始める。拾われた大鎌はなんもためらいもなく投げられ、瞬時、シロは移動する。移動した先にあるのはもちろんアロケルの体であった。アロケルはシロの速度についていくことができていなかった。明らかな実力差の前に存在を消されかけている悪魔はシロの攻撃を避けつつ、戦闘の意思がないことをわめきたてる。
「ちょっ…待てよ!!俺が殺される意味なんてないだろ!!」
そんな言葉が届くほどシロは冷静ではない。表面上に現れた、怒りという感情をただひたすらに刃に込める。人間の身体能力を超え、完全な悪魔となったアロケルは度重なる連撃を避けることだけに集中していた。避けることだけに集中している悪魔に攻撃を当てることが難しいことをシロは痛感していた。
「…面倒だ…なっ!!」
そう叫ぶシロは大鎌の柄の先で突きを繰り出す。当然その突きはアロケルの手でそっと軌道を反らされる。だが柄の先からシロは鎖を瞬時に作り出し悪魔の体を拘束する。シロの死力をまとった鎖はアロケルの皮膚を溶かし始める。それはまるで高温に熱された鎖であるかのようにアロケルの体をただれさせていた。
「ぐぅ…あぁぁあああぁ!!」
悲痛なアロケルの叫びは木霊した。うつ伏せ状態で動けないアロケルを確認したシロは鎖に最低限の死力だけを込め、拘束を維持したまま横たわる彼の顔が見えるように体を蹴った。余りにも力の差を感じたアロケルは、自分に殺される理由がないことを必死にシロに伝えようと試みていた。
「待ってくれよ、何も殺す必要なんてないだろ?こんな弱い悪魔なんて…な?」
シロはそんな悪魔の言葉に耳を貸す訳もなく鎌を持つ手に力を込めてその場に立つ。シロはアロケルの命乞いには答える気がなかった。鎌が持つ刃の部分を死力を込めて変更する。三日月のように弧を描く大鎌の部分を刃に変えてアロケルの首元にゆっくりとあてがう。
「アロケル…お前は自分が殺される理由を聞いていたな…」
その言葉はアロケルにとって予想外であったことはいうまでもなく、驚きを与えていた。捕らえられてしまった悪魔は問答無用に殺されても仕方ないと諦めていた。
「あぁ…で、なんでだ?」
「それは俺の質問に答えたら教えてやる」
その手には渾身の力で握られた大鎌があった。シロの質問、それは自分の前で消えていった死神、桐彦についてだった
「お前が刺した死神…桐彦が殺される理由はなんだったんだ…」
あてがわれた大鎌の前にアロケルは素直に答えることにした。素直に答えることで助かるという保証はなかったが、自分の中にある動機を言葉にしていた。
「俺の…復活のための捨石…だな」
「そうか…」
シロは小さく納得すると一度自分が持っていた大鎌に込める力を弱めていた。そして横たわる悪魔が殺される理由を手短に告げていた。
「お前が殺される理由は神の依頼…存在の結晶を集めている悪魔を殺せっていう命令だ」
「そんなもん…集めてねぇよ」
アロケルの証言は間違いなく本物であった。それは彼が今の今まで青葉透の体から出てこれなかったことが証明していた。告げられた理由が自分には適用できないことを聞いた悪魔はそれをよしとし、自分の命を守るためにシロを揺さぶる。
「この場合…俺を殺す意味なんてないんじゃないか?」
ほくそ笑む感情を押し殺し、アロケルは忠告してみせた。シロの手に握られた大鎌に再び渾身の力が込められていた。
「まぁ…そうだな」
「なら、見逃してくれよ…な?」
シロは自分自身のもつ死力を全て大鎌に注ぎ込む。その力を振るう前にシロは悪魔にこれから行う行為の動機を説明し始めた。
「俺は桐彦を殺したお前が憎い…だから殺す。ただの憎悪、ただの怨恨、ただの殺意で殺す」
ゆっくりと握られた大鎌に力を込めながらアロケルの首元を滑らせていく。焼き切られるかのような痛みが悪魔を襲う。
「あぁがぁぁ!!やめろぉ!!」
切れたのはアロケルの体の表面から5mmほど、ゆっくりと苦痛を与えるように首を引き裂くシロがいた。首元にある傷口は切られたそばから焼かれ、大量に流れるはずの青葉透の血は最小限に抑えらえていた。悪魔の断末魔は徐々にますばかりだった。
「があぁあぁぁぁ!!どぉっ…ちがぁぁ悪魔か…わからねぇ…ああぁぁ!!」
意識が遠のくと同時に消えゆく自分の命を感じていた。その瞬間、アロケルとシロは目があったが、アロケルにはシロの死の感覚はもう見えなかった。シロの刃はアロケルの声帯を傷つけ叫ぶことを許さず、気道と大気を直接つなげていた。悪魔は息を吸い込もうにも、穴があいた気道から入ってくるのはシロの憎悪とも呼べる熱だけだった。
「全てのものに…平等を…」
その瞬間、シロは一気に頭と胴体を切り離した。頭と体が分離したアロケルはそこに横たわる。アロケルの体はいつの間にか青葉透の体に戻り、横たわる無残な姿は依然として変わらずそこにあった。周辺のグラウンドは戦闘が終わる頃には完全に雨の痕跡を消していた。
一人佇むシロは自分の言葉や行動を思い出していた。
傍若無人に振舞った殺意の中に自分自身に対する絶望がぶり返す。偶然とはいえ自分の仕事に関わらせてしまったことにより、彼の命はなくなってしまった。その事実に打ちひしがれ、暗闇の中に体を預け続けた。
俺が殺したわけではない…けど、俺が殺した…
自分の憎悪から一人の悪魔と一人の人間を殺したシロはさっきまで生きて横たわっていた悪魔となんら変わらないという考えが頭をめぐる中、再びシロの目の光は暗闇に飲まれ消えていった。




