チャプター1 落ちてくる新鋭
嗚咽にも似た声が空から降ってくる。その声の主はシロであった。上空には雲はなく、落下しているシロにとっては自分がどれほどで地上へ激突するかを理解するには最高のコンディションである。しかし、シロはそんな余裕は持ち合わせていなかった。
「おぁぁああぁぁあぁ~~~」
シロが落ちてくるであろう地上では彼の声を聞きながら、慌てふためく少女がいた。地上には少女の他にも、約50人ほどの人々がいて、落ちてくる声と少女をみて楽しそうに話している光景が広がる。観衆の興味はどちらかといえば慌てふためく少女に傾いていた。そんな観衆の中から余りにもソワソワしている少女を気遣う声が飛んでくる。
「レイ!!落ち着けって!!どうせ死にゃあしないって!!」
レイと呼ばれた少女にも、周囲を取り囲む人々も上空から落とされた経験があったために、地上に叩きつけられたダメージを知っていた。
「そんなこと言っても…結構、あれ痛いじゃない!?できれば衝撃を少なくしてあげたいんだけど…」
少女の優しさが見え隠れするも観衆たちはその優しさを否定していた。
「あれは洗礼だっての!!」
「でも…」
少女が心配そうに見つめた先にはさらに速度を上げ、落ちてくるシロの姿があった。シロは自身の体が落下している現状を変えることはできず、ついに地上へ激突していた。
「いっっっっ…たぁぁぁーーーー」
その光景を見ていた観衆たちはドッと笑い声をあげ、落ちてきた新しい死神を観察するかのようにマジマジと見る。そんな笑い声と視線を気にすることもなくシロは神に対しての文句を痛みの言葉に乗せて吐き捨てる。
「ふっっざけんなよ…天津のヤロウ…」
「大丈夫…?」
そう声をかけてきたのは先程まで地上でアタフタしていた少女だった。あまりの痛さに体を起こすことをしていなかったシロに対して少女から手を差し出され、シロはその手の差出人をゆっくりと目線を上げて確認する。シロの目の前には自分よりも一回りも若い、女子高校生がそこにいた。シロが目を奪われたのは漆黒とも言える髪であった。視覚に入ってくる自身の銀髪とは対照的な黒髪は艶やかな光をシロに届けていた。余りにも美しい髪に見惚れ、シロは差し出された手の存在を忘れてしまった。
少女は動かなくなってしまったシロに自己紹介混じりに、安否確認をしていた。
「初めまして、私は押切零花っていうの。どこか怪我したところはない?」
その言葉を聞いたシロは零花が自分に対して手を差し伸べていたことを思い出す。差し出された零花の右手を掴むと、彼女の力を借りて少々痛む体を起こしていた。
「えっと…大丈夫みたい。初めまして、俺は一之宮白って言います。押切さん…ここはどこ?」
シロの眼前には広い草原が広がっていた。正面に立つ零花の後方には建物が50件ほど建っている様子が伺える。しかし、シロは眼前にどこまでも広がる草原を見たことがなく、自分の知らない場所であるという確信を与えていた。苗字で呼ばれることに慣れていない少女はむず痒さを前面に出していた。
「私のことは、レイでいいよ。ここは死神の本拠地だよ」
そう言われたシロは自分の後ろに広がり続ける草原を再び見渡していた。彼は自分が落ちてきたであろう上空も見回してみる。シロの知らない世界が広がり続けていた。面倒なことに巻き込まれている現状に溜息を吐き出したくなりつつもシロは零花に自分の置かれている状況を確認しようと話しかけた。
「レイも…死神?」
「そうだよ、ここにいる人たちは全員死神で…」
説明を始めた零花に一つの低い声が割って入ってくる。零花の説明を中断した声は徐々に二人へ近づいていた。
「零花、その先は俺が説明しよう」
二人の前に立つ男はプロレスラーのように膨れ上がる体を黒いスーツで押さえ込んでいた。シロはその男の声はどこかで聞き覚えがあったが、思い出せずに首を傾げる。
「すいません、あなたは…?」
「俺は大門雅嗣だ。とりあえず、ついてこい」
そう言うと彼はシロに背を向け、草原をあとにした。シロは生まれたばかりの子供のアヒルのように大門の背中を追いかける。大門の進行方向には50棟ほどの建築物があり、そこへ向かっているようであった。二人が草原をおぼつかない足取りで15分ほど歩くと、さして歩くことに苦労しない石畳に切り替わる。レンガを敷き詰めた石畳の広場をホテルのような建築物が囲い込む。一際、大きい建造物へ大門は入っていったため、シロも後を追いかけるようにその身を運んでいた。
建物の中には広いロビーがあり、中世の貴族屋敷を思い起こさせる。ロビーの中央にある幅の広い階段を上がり、すぐさま正面にある扉を開ける。そこにはプロジェクターから発生される光を受け止めるスクリーンやホワイトボードが用意されていた。部屋の一席に座ることを促され、シロはホワイトボードに近い席へと座る。
「さて、じゃあ説明していくか…」
そういうと大門は今まさに自分たちがいる場所、自分たちの存在理由を話し始めていた。
シロが落ちていきたところは日本にいる死神たちの本拠地、東京ブロック。東京地区には約200人ほどの死神が在籍している。現世においても圧倒的なまでの人口密度を誇る首都圏に国家の機能が集中しているの同様に、死神の世界でもまた東京ブロックは日本の死神を統括する立場にあった。大門は東京ブロックのトップであり、日本の死神の代表でもあった。
大門から教えられた死神の仕事は死神のイメージそのものであり、シロはさして驚くこともなく説明を受け入れる。シロは人を自らの手で殺したことなどない。だからこそ、これから従事していくことになる死神の仕事を正確に理解はしていなかった。
淡々と説明してきた大門にも疲れが見え始めた頃だった。最後の説明となる死神に求められることを大門はシロに教えていた。
「死神にはそれ相応の強さが求められる、しばらくは戦闘訓練を怠るなよ」
大門の説明はシロにとって予想外のものであった。シロがイメージしていた死神には出てくることのない戦闘という言葉の意味を聞くためにシロは声を出していた。
「戦闘?死神って生きてる人間を殺すことが仕事になるんですよね?生きてる人間に俺たちが見えるんですか?」
「いいや、見えない。だが、俺たちの仕事はほぼ100%邪魔される」
シロには理解できなかった。生きている人間本人が死ぬことを恐れ、死神たちを排除しようとするのであれば戦闘も起こり得るかも知れない。見えないのであれば対象の人間が寝静まったあとにでも殺せば仕事は邪魔されることもなく終わる。大門の放った言葉は生きている人間を死神が見える”何か”が守ることを意味していた。シロには”何か”がなんなのか考えつかなかった。
「邪魔って…誰に?」
「守護霊だ」
シロはそんなものが存在していることに驚きを隠しきれない表情で、生唾を飲み込む。自身が死神であることもまだ実感できていないシロには常軌を逸脱している話であったが、いないと言い切れる根拠を持たないシロはひとまず納得するほかなかった。
「守護霊ってそんな強いんですか?」
「ピンからキリまでだな。死神は対象の人間と守護霊を殺して初めて任務が終了となる。だから死神にはそれ相応の力が必要なんだ」
死神としての自覚を持つよりもはやく、面倒なことに巻き込まれている自覚を持たされたシロは深くため息を吐く。いつになれば自分は自分自身を消すことができるのだろうか、そんな考えが彼の頭を巡るばかりだった。そんなシロに大門は説明が長くなったことを詫びるかのように雑談を交え始めていた。
「ところで一之宮。お前、天津から借神は何年と言われた?」
「えっと…地獄で過ごすと何年になるってやつですか?」
「そうだ。何年なんだ?」
「1000年って言われましたけど…」
「1000年!!?」
何事にも冷静な対処をしそうな大門が驚きの表情を見せたことにシロがびっくりする。自身が持つ借神が以上であることは大門の反応から察することができたが、詳細のわからなかったシロは大門に訪ねる。
「それって少ないんですか?」
借神が他者よりも少なければいいという淡い希望をシロは言葉にしていた。だがその期待に大門の回答は答えてくれなかった。
「異常に多い。普通は200年ぐらいだ…それでも全てを返し終わるには早くて50年、遅ければ200年以上かかることだってある」
「え…マジっすか…?」
シロは自身がどれほど異常な状態で死神になったのかを思い知らされていた。通常の借神の五倍、早くても250年、遅ければ何年かかるかわからない現状に絶句する。何処か遠くを見つめながら意識が遠のく。大門とシロがいる部屋に突然、ノックがされていた。大門が部屋の入り口に近づいてドアを開け、要件を聞いていると納得したかのようにどこかへ立ち去ろうとしていた。
「一之宮、俺は用事ができたから後の説明は零花に任せるからしっかりと説明受けろよ」
そういうと大門は会議室を後にした。それと入れ替わるように零花が会議室に入る。しかし、そんなことにも気づかないほどシロは呆然自失としていた。零花の説明もシロの耳を駆け抜けて、脳にとどまることはなかった。
大門は会議室をあとにして天津のもとへ向かっていた。天津からの呼び出しだった。大門がシロに対して説明を終えてからでも問題なかったが、シロに与えられた異常な借神の与え方たが気になっていた。大門が天津の部屋に到着すると天津の側近との話し声が聞こえてくる。
「神様、これ以上奴らの好き勝手にはできません!!」
「わかってるよ。だからこそ、あいつを死神にしたんだ。八鳥君」
大門は自分が到着したことを知らせるかのように話に割って入っていく。
「あいつってのは、一之宮のことか?」
「そうだよ…大門。ノックくらいしてくれたらいいのに。八鳥君下がっていいよ」
側近の八鳥をその場から離れさせようとするも八鳥は鬼気迫る表情で神との会話を求めていた。
「まだ話は終わってません!!神様!!」
「いいから、下がれって言ってるだろ…八鳥…殺すぞ…」
天津は作っていた笑顔を瞬時に怒りの表情へ変化させる。ただならぬ神の怒りに恐れを抱き、八鳥はすぐさまその場から消えていた。八鳥がその場からいなくなったことを確認すると天津は大門を呼び出した用件を済ませようとする。大門はその光景を見慣れたかのように天津をからかっていた。
「そんなことばかりやっているから敵を作るんじゃないのか?」
「まぁ…そうかもね…それよりも、問題は一之宮シロ君のことだよ」
天津の出した溜息は自分の状況に呆れているという感情を大門に告げるのに十分だった。そんな天津の溜息を無視するかのように大門は一之宮のことを聞いていた。
「一之宮に借神1000年もかけたらしいな。そこまでする必要があったのか?」
「それが彼の中に禁忌があるのがわかった。もともと持っているだろうという予測はあったんだけどね…」
「禁忌があることは予想されていたのは知っている。そこまで驚くことじゃないだろ。脅威であることに変わりはないが…」
「いや、それが二つあったんだ」
「二つ!!?ありえないだろ、あれはひとつだけでも東京全てを壊滅させるだけの力を持っているんだぞ!!?」
驚愕の表情をあらわにする大門に天津は現状やらなければならないことだけを伝える。
「だからこそ、呼び出したんだ。今、面倒事を起こされると非常にまずい」
「奴らの動きが活発なのか?」
「あぁ、もう5年以内には戦争が起こるって予測さ…こちらの戦力は知られないようにしなければならない」
「一之宮シロか…」
大門はすべてを理解したかのように自分の言葉を止めるように自分の口を片手で抑え考え込む。
「一之宮君は貴重な戦力だ、戦力になる前に暴発してもらっては困るからな…監視を頼むよ」
用件を済ませた天津は大門を帰らせた。天津は自分の抱えている問題の重さが限界に達したかのように机に付属している椅子を引き、腰掛ける。神が座るとは思えないほど椅子の背もたれは軋み、天津の背中に振動としてやってくる。
一人になった彼は表情を緩めていたが、決して安堵からくる表情ではなかった。未来を危惧する表情を自分自身に隠すように俯いていた。天津の両手は神に祈るように顔の前で組まれ、うなだれる頭を支えている。
神という立場は彼の絶望を覆い隠した。隠された絶望を知ることができるのは天津ただひとりであり、自分自身の絶望を希望に変えることができるのもまた自分だけであることを天津は理解していた。
組まれた手を解きほぐすと、神に祈ることが無駄だと言わんばかりに机にその手を打ち付け、その場を後にした。