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「……そうか。息子は最後まで戦ったのか」
「はい」
新潟での戦闘は革命軍が撤退したことにより終結した。それから一週間が経っていた。
桜は戦闘にて散華した水上健三大尉の実家を訪れていた。
軽井沢にある大きな洋館だった。健三の家は代々軍の名家で、彼の父である水上源治郎は、中将で現役を退いていた。退役後の現在、この屋敷に隠居していた。白髪で、物腰の柔らかそうな人物だった。
「本当に申し訳ありません。私の力不足です。健三さんが私の命を救ってくださったようなものです。あの場で彼が敵に銃を向けていなかったら、私はここにいません」
「お嬢さん、それは違う。健三は軍務の中で死んだ。それだけだ」
「しかし、」
「――私には、三人子供がいてね」
窓際に立ち、源治郎が語り始めた。
「一人は優秀な大学に行って、今や政府の高官だ。もう一人は突然家を出て行ったきり、今はどこを放浪しているのやら……二人とも軍を嫌っていてね。これじゃ健三家の面目は丸潰れだ。そんな中、三男の健三が、軍に進んでいった」
「……」
「次男まで軍に所属しないと言って、しかし別に私はそれでいいと思った。だが、健三は自ら私に軍に入隊すると言ってきた。何もしていなければ長男と同じ道を歩んでいただろう。私は止めたのだが、あいつは勝手に軍人の端くれになってしまった」
「そう、なんですか……」
「それで、勝手に死んでいった。それだけだ。軍になんかに入ると、こんなことになる。それを一番分かっていたのは健三自身だ」
語気が荒い。源治郎は感情を昂ぶらせていた。桜は何と言っていいのか分からず、俯いて客間の赤い絨毯を見ているだけしかできなかった。
「あいつは、本当に馬鹿で、……言うことを何も聞かない男だった」
沈黙が流れる。ただでさえ広いこの客間では、その静寂で耳が詰まりそうだった。
「いや、申し訳なかったね。こんな話をするつもりはなかったんだが。とにかく、健三は自分の選択で死んでいった。君が気負いをする必要はない」
「……健三さんが、最期にこれを持っていらしました」
源治郎が目を丸くする。桜は持ってきた荷物から布に包まれた細長いものを取り出した。
健三の軍刀だった。
「代々受け継がれてきたそうで……健三さんから話は伺っております」
「ああ、これは……わざわざすまない。こんなことまでさせてしまって……」
「いえ。当然のことです」
源治郎が桜に近寄り、その軍刀を手にする。装飾の施された銀色の鞘がその光を失っていた。
「いや、心から礼を言う。そろそろお茶が入る頃だろう、よければもう少しゆっくりしていってくれ」
源治郎がそう言うと同時、大きな樫の扉が開き、ティーワゴンを引いた使用人が一人入ってきた。
「失礼します」
入ってきたのは、クラシックなメイド服を着た女性の使用人だった。
「紅莉栖というんだ。うちに一人しかいない使用人でね。自動人形だ」
「自動人形……」
人工知能が搭載されたアンドロイド、ガイノイド類のことである。
紅莉栖というこの自動人形は、ショートボブの髪型で繊細な顔の作り、紅茶を注ぐ自然な動作など、一見すると人間と区別がつかない。
「最近の自動人形は、技術も進んでいるようですね。私の実家にあるのはもう二世代も前のものなので、こんなに滑らかに動きません」
「いや、紅莉栖も最近のものではない。十年ほど前にゴミ捨て場に捨てられていたのを拾ってきて、直したものなんだ」
ポットを持ったまま、紅莉栖が頭を下げる。丁寧に注いだ紅茶と茶菓子が出される。
「では、失礼します。何か御用の際にお呼び付けください」
「ああ、ありがとう」
自動人形が部屋から出て行く。
桜が紅茶を手に取り、一口含む。ほどよい香りと渋みが口の中に広がる。本格的なものはここで飲むのが初めてだが、おそらく完璧な淹れ方であろう。
「そうだ。聞けば君は、機甲少女だったな」
「はい」
「一線から退いた身の老い耄れの言うことだが、是非耳を傾けてほしいのだが」
唐突に切り出されて、少し驚きながら、桜はテーブルにティーカップを置いた。
「君は、何のために戦う?」
「何のため……?」
言われてみれば、そんなこと考えたことがなかった。自分はどうして戦場に立っているかというと、機甲少女に抜擢されたから、としか言いようがない。強いて言うのならば、この国を守るために、ということか。
「国のため、だと自分は思っています」
「……なるほど。軍人らしい答えだ」
源治郎は頷きながら、ティーカップを傾けた。
「だが、国を守るためとは言えど、君にこの国を守る義理はどこにあると思う?」
「……それは」
答えに詰まる。考えてみると、今までそんなことは考えたことがなかった。ただ国のために戦えと言われ続け、自分もそうだと思い続けてきただけだった。
「分かりません。私は、ただ命令されて、それに従っているにすぎません」
「ふむ。その歳で理解しろというのも無理な話だ。君は、今のこの世で、何を思うか。君は君の中で、戦う理由を、その意味を、見つけ出してほしい」
「戦う、意味、ですか……」
そんなもの、自分にあるといえるのだろうか。彼女の中で、疑問を募る一方であった。
桜が屋敷を後にすると、家の中が多少静かになったようだった。
自動人形の紅莉栖は、下げたティーワゴンの上の片付けをしていた。源治郎の家にはよく客人が来るので、彼らが帰った後の処理は手馴れたものだった。機械的に手を動かす。プログラミングされたとおりに手を動かせばよい。
「……あ」
洗おうと手に持ったティーカップが手から滑り落ち、パリンと床に落ちて乾いた音を立てて割れた。手に付いていた水滴で滑ってしまったのだ。
(しまった……これはお父様の大切にしていた)
美しく彩色された花柄のティーカップは、源治郎が保管していた百年ものの陶磁器だった。未だにその美しさは保たれたままだったが、今は粉々に散ってしまっている。
(謝罪に向かわなければ)
紅莉栖は手を拭き、薄暗い部屋を出て、源治郎の部屋へ向かう。激しい叱責を受けるかもしれない、と紅莉栖は思ったが、それで足は止まらない。赤い絨毯を踏みしめ、真っ直ぐ源治郎の部屋へ行く。
部屋の戸が見える。樫の大きな扉が僅かに開いていて、その隙間から部屋の中が見えた。
中には源治郎がいた。独りで、ソファに腰を掛けて。扉に対して背中を向けているのでその表情をうかがうことができないが、小刻みに震えているようだった。
(……!)
耳を澄ますと、嗚咽を漏らしているのが聞こえる。手にしているのは――先ほど桜とかいう軍人が戦死した健三の所持していた軍刀だった。
「……健三……親より先に旅立つとは……」
泣いている。あの源治郎が。
「お父様」
「……おお、紅莉栖か。見苦しい姿を見せてしまったな。どうした」
「申し訳ありません。先ほどお客様にお出しになっていたティーカップを割ってしまいました。淵が金色の、花柄のものです。本当に申し訳ありません」
「……ああ、そんなことか」
紅莉栖は深々と下げた頭を上げた。怒鳴られると思っていたが、むしろ朗らかに笑っているようにも見える。源治郎が怒っていないことに肩透かしを食らったような気がした。
「形のあるものはいつか必ず壊れてしまう。そのティーカップは壊れるべくして壊れてしまった。そういう運命にあったということだ」
「しかし……」
「人の命も然り。私はいつかそのティーカップと同じように死ぬのだ。紅莉栖、お前もそうだ。そして、健三は戦場でその時が訪れた。ただそれだけなのだ」
諦めとも、割り切っているのとも違う。腫らした目の奥には深い悲しみの色がうかがえた。
「……どうして、健三様だったのでしょう。お父様は、納得しているのですか」
「……しているように見えるか?」
何故そんな質問をしたのか、紅莉栖はよく分からなかった。プログラムの奥で得体の知れないエラーが起きている。絡まった糸が解けないような、そんなもどかしさがあった。
「なあ紅莉栖。どうして、健三が死んだんだろうなあ」
「……」
「戦争……いや、内紛と言うのか。健三はその犠牲者になったのだ。世間では戦死するものがいるのは当たり前の話で、私も当たり前だと思ってきたが……当たり前がこんなに苦しいものだとは思わなかった」
軍刀を握りしめる手が震え、カチカチと音を立てる。紅莉栖にはそれを見ていることしかできなかった。
「……長年この仕事に携わってきた私が言うのもおかしな話だが、戦争というものは人の心をすさませ、大切な何かを失わせる行為だ」
源治郎が窓の外を見る。すべての決定権はそれにある。それは部屋の窓からも見えた。
広がる晴天の青い空、その上空にぽつりと浮かぶ――〈揺蕩都市〉。
中空に漂う島。地面を半球状に切り取ったそのままの姿でずっと浮かんでいる。
旧時代に突然浮かび上がった巨大な半球だった。何故そんなものができあがった理由は未だに不明だ。長野県を中心とした半径十キロ圏内がごっそりと浮かび上がった。
人はその上に街を築き、国の中枢機関はすべてそこに移された。それが今の〈揺蕩都市〉である。すべての決定権は〈揺蕩都市〉にあり、そこは文字通り雲の上の存在となった。
(お父様は、今、何を思っていらっしゃるのか……)
紅莉栖の中では、彼は今息子を悼んでいる最中であると判断されている。だが、それは状況判断の事実でしかなく、紅莉栖には源治郎の気持ちは分からなかった。
「なあ、紅莉栖よ」
「はい」
「このままでいいとは思ってはいない。いずれこのままでは、この国はどうなってしまうのか分からない。私は、衰退の道を歩み始めていると思っている」
どこかで、何かが爆ぜる音が聞こえたような気がした。
「この世界を変えられるのは、もう誰もいないのかもしれないなあ、紅莉栖」
「……左様でございますか」
「せめて一度だけでも、争いのなくなった世界というものを、見てみたいものだ――」
そう朗らかに微笑む源治郎が、紅莉栖の人工網膜に強く焼き付いた。
刹那、フラッシュが焚かれたように紅莉栖の世界は一瞬で白く塗りつぶされた。