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空は塵と煤で覆い尽されている。辺りは太陽の光が届かず、薄暗く映し出されていた。まだ時刻は午後の三時過ぎである。
「……では、速やかに回収するように。くれぐれも失敗は許されない」
「了解です」
無線を切り、息を吐くと、その男――水上健三大尉は顔を上げた。
一般に言われる北緯三十七度線――新潟県をちょうど二分する戦場の最前線。新潟市にはどんよりとした重苦しい空気が停滞していた。
乱暴に砕かれたアスファルト、崩壊した高層ビル群、一台も車のない交差点、光を失った信号機。まるで死んだような町の中で、それらは不気味な容貌をたたえていた。
あちこちに張り巡らされた罠の数々。この町を歩いていくのは自ら虎穴に入っていくようなものだった。だが、上は健三にそう命令する。
自分たちは撤退したくせに身勝手なものだ、と健三は息を吐いた。
と、唐突にドッ、という低音が町の静寂を打ち破った。
「!?」
健三は空を見上げた。
続けて、ヒュー、と笛を吹いたような甲高い音が響き渡る。
その音源は、向こうの高層ビルの頭上を越えたところでようやくその正体を現した。緑色の煙の尾を曳いた小型巡航ミサイル〈鏑矢〉である。
すると、今度はその〈鏑矢〉に向かって鋭い光が飛び出していった。ミサイル迎撃レーザーである。何十条にも及ぶ光線が〈鏑矢〉に殺到し、その胴体に命中した。
が、〈鏑矢〉は淡々と目標へと足を進めていく。
地上から再びレーザーが放射される。見事そのすべてがミサイルに命中した。しかし、やはり〈鏑矢〉は止まる素振りを見せない。焼け石に水、迎撃レーザーはあえなく散り、高度を上げていく〈鏑矢〉は、緩やかに高度を落とし始めた。
そして、突然カクン、と角度を鋭くし、猛然とラストスパートをかけ始めた。推進力を上げて加速し、〈鏑矢〉は人間魚雷の如く自身を滅ぼすことも厭わず目的であるビルに突っ込んでいく。その弾頭がビルの側面に近付いていき――
腹部の内側が震える爆発音が弾け、太陽のように眩い光が爆ぜた。衝撃波で窓ガラスがすべて割れ落ちた。大きく周辺の地面が揺れ、ビルの側面から炎が吹き上がった。
さながら火の玉が膨れ上がっているさまを見ているようだった。質量感のある火の壁がビルを蹂躙していく。胴部に詰め込まれたありったけの高性能爆薬が文字通り爆発的に反応していき、瞬く間にビルは灼熱の炎に包まれ、支柱を折られて崩壊を始めた。
そして中にいた人間――国防軍の兵士たちは、一瞬にして蒸発した。高性能爆薬による炎の温度は数千度にも及び、人間の体を干上がらせるには十分すぎる威力だった。
そして炎の被害を運よく免れた人間も、倒壊して崩落してくる瓦礫に押し潰されて死んでいった。建物はごうごうと未だに激しく炎を噴き上げる。
(これは……)
壊滅した第三中隊長を担っていた健三は、燃え落ちる建物を呆然と見上げていた。本部の伝令を受けた健三は、〈鏑矢〉による被害が出るより先にビルを出ていた。からがら一命を取り留めた兵が数人、扉から吐き出されるようにして出てきた。
第三中隊の中枢は壊滅した。
状況報告ができないので、味方は迂闊にこちらへ近付くことができない。一番近くにある、五キロ離れた第一中隊はおそらくこちらへ来たりはしないだろう。
しかも中隊、とは名だけで、各々にはたいした迎撃装置はおろか、まともな装備もなく、戦車など咽喉から手が出るほどだ。
無情にも、国防軍は不利だと判断するや否や、自分たちを置き去りにして撤退していったのであった。孤立無援、政府はここを反体制派に明け渡そうというのだ。ここに残った兵士たちを犠牲に、何とか退けるところまで退いて被害を最小限に留める。
この絶望的な状況下で、健三は今自分が何をするべきなのかを必死になって考えていた。正直そんなことを考えていられないほどのことが目の前で起きており、彼はパニックに陥らない自分が不思議でならなかった。
そして彼が結論を下す前に、彼の隣で立ち往生していた国防軍の兵士数人が悲鳴を上げて倒れた。健三は驚いて右へ振り返った。視界を拡大する。数秒視界がぼやけると、処理が完了して百メートルほど離れた場所が鮮明に見えるようになった。
銃器で武装した反体制派の集団が見えた。健三がそれをそれと認識している間にも、更に味方が道端に倒れ伏した。
(こっちにはまともな武器が……!)
彼が身に付けている武器といえる武器は、自動拳銃と腰に携えた軍刀だけであった。ほかの兵士も似たり寄ったりで、まともな武装をしている者は誰一人としていなかった。
健三は物陰に隠れ、腰から自動拳銃を引き抜く。
彼は緊張のあまり息をすることを忘れ、白む視界に映る拳銃を見つめた。これから、自分は人を殺すことになる。人を殺したことはあった。逃げ遅れた反体制派の人間を撃ち殺した。合計で十五人。刑務所に入っている凶悪殺人犯より数が勝っている。むしろ自分が刑務所に入れられるべきだと時々思う。人を殺すことに慣れた自分がいる。
そう考えている間に、また味方がやられた。これで残っているのは健三を含めて五人だけとなった。もはや勝ち目はない。健三は自分の死に場所はここだと悟った。
彼は自動拳銃のスライドを引き、グリップを握った。
『指紋検証、健三正純大尉、承認。照準機能オン』
無感情な女性の声が彼の頭に響き、視界に三重になった同心円が表示された。拳銃を構えると、赤いポインタが動く。システムは正常なようだ。
ふう、とひとつ息を吐き出す。同時、燃え盛るビルが爆ぜて大きく音を立てた。それを合図に、健三は物陰からから体を低く出し、発砲している敵に向けて自動拳銃を向けた。
視界を拡大させる。同心円の中心が敵の首筋に合う。赤いポインタをそこに絞ると、健三は引き金を引いた。
「いいか、奴らの弱点は首筋だ! よく狙えよ」
パンッ、と乾いた音がして、狙った敵がもんどり打って倒れた。衝撃はほとんど手に残らない。狙って撃つまではほんの三秒もかからなかった。慣れた動作だった。
湧き出る罪悪感を無視する。心を殺す。そうしないと戦場で屍の一つとなり果てるのは自分である。躊躇いは死に直結する。健三はそこを理解していた。
隣の男に照準を合わせる。同心円の中心に額を合わせ、ポインタを重ねる。発砲すると、彼はさっきと同じように電源を切った自動人形のように脱力し、道端に倒れこんだ。
視界を縮小する。自分を狙っている者がいた。彼は反射的に頭を引っ込めた。さっきまで自分の頭のあった場所を銃弾が駆け抜けていった。
反体制派の集団がもう目前に迫る。健三は機械的に敵を撃っていったが、もう隠れて撃つのは限界に近い。その間に味方も次々とやられていき、残るは健三と、もう一人だけだった。
「大尉! 逃げてください、ここは俺が!」
「馬鹿野郎、そんなことできるか、ってんだよ!」
健三はそう叫ぶと、足に力を込めて物陰から飛び出した。意表を突かれた反体制派の集団は一瞬反応が遅れ、そしてその一瞬が命取りとなった。
一秒も経たないうちに前にいた二人が首をおさえて吹き飛んだ。健三が射撃したものと、もう一人残っていた兵士が撃ったものが命中したのだ。覆いかぶさってくるように前のめりに倒れこんでくる男をかわし、健三は後続の兵に照準を定めた。
「!?」
が、健三が銃を向けたとき、既に敵が彼に肉薄していた。焦って引き金を絞るが、弾丸は防弾ベストに弾かれ、敵が健三に銃を向けた。
しかし次の瞬間、健三の体は左へ弾き飛ばされていた。即座に起き上がって見ると、味方の最後の一人が健三に体当たりをして、弾き飛ばしたようだった。
「大尉ッ――」
彼は健三を見据え、安堵と恐怖の入り混じった表情をしていた。そしてドンッ、とくぐもった音がして、彼はその体を銃弾に貫かれた。あっけないものだったが、それだけだった。
健三はすかさず敵に照準を合わせ、その頭を貫いた。自分の命を張ってまで、健三を助けた兵士を悼んでやる暇はなかった。彼は更に敵をただ殺す作業を続行するまでだった。
しかし健三が銃口を敵に向けた刹那、手に衝撃が走り、その自動拳銃が弾き飛ばされた。目の前の敵が彼の銃を手で振り払ったのだ。武器を失い、しかしまたもや健三にはそれを絶望している暇などなかった。後ろに回りこんだ兵が自分を撃ってくる。咄嗟に健三は腰の軍刀を引き抜き、目の前の敵の右腕を切り落とした。そのまま流れるように身を翻すと、予想通りそこにいた敵兵の咽喉元を刀で突き刺した。
咽喉から刀を引き抜くと、真っ赤な鮮血が切っ先の流れをなぞるように舞う。それは美しく、だが見るものを恐怖させた。
健三はその勢いで敵を切り倒していく。だが、所詮は刃物と銃器、前者が後者に敵うはずがなかった。敵に間合いを取られると、健三の左腕が弾丸で貫かれて、だらりと垂れた。
(ここまで、か……)
彼はよろめき、肉を抉られる痛みで霞む思考の中で、ぼんやりと死期を悟った。
しかし右手にはしっかりと刀が握られていた。これだけは死んでも離さない、と健三は思った。十九世紀から代々ずっと受け継がれてきた軍刀。父親からこれを受け継ぎ、そして自分もこれを受け継がせるはずだった軍刀。
銃口が自分を殺すべく自身に向けられている。健三はそのどこまでも深い黒を見つめた。
「――おおおおッ!」
刹那、健三の脇を猛然と何かが通り過ぎていった。何か、と思ったときには目の前の敵が大きく吹き飛び、同じように他の敵兵が次々と蹴散らされていった。敵兵の銃弾などものともせず、瞬く間に敵を掃討してしまった。
アスファルトを砕き、身の丈ほどもある大太刀を地面に突き刺す。
燃え盛る炎の明かりに映されるのは、二メートルはあろうかという真っ白な影。
――第五機甲〈長門〉。
流線型の機甲外装を纏う者。通称、機甲少女。
その戦闘力はまさに一騎当千、白兵戦における最強の切り札である。
頭部装甲が外れ、滑らかな黒髪が滝のように広がった。その白い機甲外装を纏うのは、年端もいかない、日本人形のような繊細で美しい顔立ちの少女だった。