クラスティとレイネシア
「灰姫城」大広間に楽団が奏でる厳かなワルツが流れ続ける。
二百名を超えるきらびやかな衣装に身を包んだ参加者の姿を浮かび上がらせるのは無数の蝋燭、それから召喚された魔法生物によってもたらされる明かり。
〈円卓会議〉と〈自由都市同盟イースタル〉との条約調印を祝う祭典。そのクライマックスとも言える、この大広間での大舞踏会も、もう終盤を迎えようとしていた。
〈冒険者〉までもが招待されるという今までに無い状況に、最初こそ戸惑い尻込みしていた参加者達も、〈円卓会議〉の盟主たる若き英雄クラスティとコーウェン公爵家の美姫レイネシアのまるで映画のワンシーンのようなダンスを皮切りに、大きな盛り上がりを見せている。
きらびやかに踊る若い騎士や貴族たち。この機会に商談を取り付けようとアピールする商人たち。どこか所在なさげに戸惑う〈冒険者〉、対照的におちついた雰囲気で、しかし鋭い目でこの場を見回す老貴族たち。
もちろん全ての問題が解決したわけではない。現に〈七つ滝城塞〉のゴブリン王は未だ討伐されておらず。交わされた条約もまだ最低限のものに過ぎない。
しかしこの日を境にこのイースタルでの〈冒険者〉と〈大地人〉との交流が始まる。それはとても素敵なものになるのではないか。誰もがそう思わずにはいられない、そんなきらびやかさが、この場には溢れていた。
◆
(疲れました。しかし、今日は特に熱いですね。溶けてしまいそうです……)
先ほどまで途切れること無く自分たちの前に訪れていた人の列もようやく途切れ、レイネシアは心の中で溜息をつく。
夏も終わりとは言えまだ気温は高く、この「灰姫城」は古アルヴの技術が残る「エターナルアイスの古宮廷」とは違い、室温を調整する機能などは持っていない。もちろん城に仕える魔術師達は、氷の精霊を呼び出し必死に温度を下げようとはしているのだが、残念ながら今日に限っては、この大広間の熱気を前に効果を上げているとは言えない状況だ。
おまけに数曲ダンスを踊った後も挨拶をしようという人の輪が途切れることもないとくれば、身体に篭る熱もおさまりようがない。
とはいえコーウェン家の娘として衆目の前でそれを表に出すなどという愚を犯す訳にはいかない。周囲の若い騎士たちからは「朝露に濡れた百合のような可憐な微笑」などと云われる表情は維持したまま。その筈だったのだが。
「暑くて何も考えられない、という表情をしていますね。後は“疲れたなぁ”、“眠いなぁ”ってところですか」
「ひっ」
隣でさっきまで一緒に来訪者の挨拶を受けていたクラスティが呟いた小さな声に、思わず身がすくむ。
そうだった。横に居るのは油断のならない『妖怪心のぞき』だったのだと、レイネシアは一瞬でも気を抜いてしまった自分に今更ながら後悔する。
「ク、クラスティ様こそ、お暑いのではないですか? 殿方の衣装の方がずっと暑そうですし」
「ご心配なく。特にバットステータスなどが……いえ、普段から鎧姿ですからね、慣れています」
「わ、私だって大丈夫ですっ」
引きつりそうになる自分の表情をなんとかおさめてレイネシアが返した言葉は、見た目だけは理知的で穏やかなクラスティの微笑みに撃ち落される。汗一つ浮かべない涼しげなその表情が恨めしい。
(うう、これでは何だか私だけが強がってるみたいじゃないですか……っ)
唯でさえこの大広間の熱気に上気していたレイネシアの頬が、より一層赤く染まる。
レイネシア本人に自覚はないのだろうが、取りつくろっていた笑顔と足元が少々あやしくなり始めている。
「これは、そろそろ限界でしょうかね」
そう呟くと、クラスティは懐を探り、ひとつアイテムを取り出す。
楽団が最後の曲の演奏を終え、大広間の舞踏会は終局。皆が広間の中央に目を向け、拍手を始めたその瞬間に、クラスティはそのアイテムをレイネシアの首元へと当てる。
「ひゃうっ」
突然の冷気に声を上げて飛び上がるレイネシア。
「雪の精の涙。まあ本来は中級の防御陣を張るアイテムなんですけどね。見えないように脇あたりに挟んでおくと良いですよ」
非難の眼で睨むレイネシアの視線にも、その穏やかな笑みを浮かべた表情を変えることなく、クラスティはそのアイテムを手渡す。
渡されたそれは、レネイシアの手のひらの中でひんやりと優しい冷気を伝えてくる。
「まだまだ先は長そうですからね……」
そう答えたクラスティの視線の先にあるのは、大広間の風景なのか。それとももっと先のイールタルの進む先を見ているのか。
「そうですね……」
そう答えたレイネシアにも、その心の中は見通せはしないのだが、この『妖怪心のぞき』と自分との付き合いはこれからも続いてしまうのだろう。
そんなことだけは確信しながら、レイネシアは広間の喧騒に、クラスティが見ているだろうその目線の先に、作り物ではない微笑みを向けたのだ。