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花の女

作者: ろく


 私に花を生けてくださいまし。

 現れるなり、女はいつも同じ言葉を口にする。

「花を生けろと言ったって、どうすれば良い」

 私がそう尋ねても、返ってくる言葉はいつも同じだ。

 私に花を生けてくださいまし。

 女は今宵も枕元に膝をつき、言う。花を生けてくださいまし。

 私はもそもそと布団から這い出て、女を見やった。

 差し込む月明かりを、女の死装束がぼんやりと照らし返している。まるで女そのものが光っているようだった。

 女の髪は癖が強く、お世辞にも美しいとは言えない。色も薄く、黒と言うよりは茶に近い。

 何よりも目を引くのは、女の瞳の色だった。

 女の目は、濃い緑色をしている。

 その目がじっと私を見る。

「お前は、私にどうしてほしいんだ」

 やはり返ってくる答えは同じ。

 私に花を生けてくださいまし。

「私は華道の作法など知らない」

 女は無言で私を見ている。私は寝乱れた髪を更に掻き乱し、もう一度布団に潜り込んだ。

 このやりとりを、もう何度繰り返しただろう。私が何を言っても、女はいつも同じ言葉しか口にしない。それに飽き、私は女をうっちゃり惰眠を貪ることに決める。そして朝になれば、女の姿はどこにも無い。

 眠りに落ちていく意識の片隅、私は考えた。きっと次の夜も女は現れるだろう。そしてまた同じ言葉を口にする。私に花を生けてくださいまし。




 私に花を生けてくださいまし。

 やはり現れるなり、女は同じ言葉を口にした。

 眠い目を擦り、私は体を起こす。大儀だった。今日はいつもより多く血を吐いたからだ。

「お前が望んでいる事とは違うかもしれないが」

 と、私は枕元の花瓶に手を伸ばす。花瓶には椿の花が生けてあった。昼間、義母が置いていったものだ。

 私は椿の花を花瓶から抜いた。茎の先から滴る雫を舐め取ると甘いようだった。

 その椿の花を、女の髪に挿してやる。黒髪ならば椿の白はさぞ美しく映えただろうにと、私は少しばかり残念に思った。

 女は椿に手をやり、笑った。初めて見る女の笑顔だった。

 何だかとても良い事をした気分になった。女は満足げに「ほう」と息を吐くと、夜闇に溶け込むようにして姿を消した。




 その次の朝の事だ。

 私は指先に違和を感じた。右の人差指がむずむずとこそばゆい。

 どうする事も出来ずに放っておくと、そのうち指先から小さな黒い塊が生まれだした。

 ぽろぽろ、ぽろぽろと、塊は次から次に生まれてくる。

 種だった。朝顔の種に似ている。

 私は袂にそれを入れ、縁側から庭におりた。庭は妻が死んでから手入れをする者もおらず、荒れに荒れている。

 その庭の賑やかしにでもなればと思っての事だった。この種がいずれ発芽すれば、荒れた庭も多少は華やぐだろう。

 指でぷすりと土に穴を開け、種を埋める。土を被せて、種を隠す。

 水をやれば良いのだろうが、井戸まで汲みに行くのは億劫である。小便でもかけてやるかと思ったが、それが種に良いのか悪いのか分からなかったので止めることにした。そのうち雨が降るだろうから、無用の心配なのかもしれない。




 それから女は現れなくなった。

だが私の日常は変わらない。私は相変わらず血を吐き、義母は相変わらず椿を持ってくる。時折縁側に猫がやってきては、私の目を楽しませてくれる。変わらない、いつもと同じ日常だった。

 いや、少し変わった事があったか。

 あの時の種が芽を出したのだ。水もやらずにうっちゃっていたのだが、いや中々に逞しいものである。

 芽はぐんぐんと伸び、深い緑の葉を空に広げている。蔦は周囲の草木にぐるりぐるりと巻きついている。

 やがて花が咲いた。

 やがて花は枯れた。

 そして実をつけた。

 白い花が枯れ、白い実が生った。

 最初は小さな実だった。私の指先から生まれ出た黒い種ほどの、小さな実だった。

 それが育った。爪ほどになり、拳ほどになり、今や顔ほどの大きな実となった。

 実はでこぼことしていた。その凹凸はまるで眼の窪みであり、鼻の隆起であり、口の合わせ目のようだった。

 私はふと思い立ち、爪先で実を傷つけてみた。流れ出す汁は赤く、覗く実は濃い緑だった。

 日に日に実は大きくなり、陰影をくっきりとさせてくる。私が傷をつけた場所はそのままで、実の中の濃い緑は私をじっと見つめていた。

 やがて実は落ちた。

 ぼた、とも、べちゃ、とも取れる音をさせて地面に落ちた。

 その様子を私は見ていた。

 落ちた実が形を成す様子も見ていた。

 実は最初に手を生やした。次に足。徐々に女の形を成していく実を、私はじっと見ていた。

 実は完璧に女になった。

 月明かりを、女の死装束がぼんやりと照らし返している。まるで女そのものが光っているようだった。

 女の髪は癖が強く、お世辞にも美しいとは言えない。色も薄く、黒と言うよりは茶に近い。

 何よりも目を引くのは、女の瞳の色だった。

 女の目は、濃い緑色をしている。

 その目は私を見ない。

 女はゆっくりと歩き出した。どこか別の家に行くのだろう。

 そしてきっと言うのだ。


 私に花を生けてくださいまし。


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