後編
「遅い」
「申し訳ございません」
執務室へ入るなり真顔で言われて、気がつけば反射的に謝罪していた。
あの方──光主は、本気でお怒りの際は満面の笑顔になる。それはもう見惚れるほどに美しい笑顔で、目だけが笑っていなくて、そんなときは謝罪をしたとしても赦してはいただけない。
が、今回はそこまではいっていない。真顔ということはそれなりには腹を立ててらっしゃるはずだが、おそらく「ちょっとイラついた」程度の範囲で、真摯にお詫びすればたいていは赦していただける。
……ことが多い。さて、今回はどちらだろう…?
そっと目線を上げてうかがえば、光主はしょうがないなという顔で苦笑していらっしゃった。赦していただける、ようだ。
「…もうちょっとこっち寄って」
「…?はい」
穏やかな笑顔で手招きされて近づけば、
「廊下、走ったでしょ?」
「……いひゃいれすこうひゅ」
頬をつまんで引っ張られた。地味に痛い。
「……。まあ八つ当たりはこのくらいにしとくとして」
「……」
八つ当たりだったんですかと、ついツッコミをしたくなったが、ぐっとこらえた。そこはそれ、もっとも近くに侍る一の側近として、他のものよりも気安い思いを抱いてくださっているからこそ、他愛もない八つ当たりなどもしてくださるのだと、そう思おう。
「まあ拗ねないで。…帰ってくるの待ってたのはホントなんだからさ」
光主のお声が、わずかに変わった、と感じた。
「処理してもらった案件だけど」
まなざしの温度まで変わったと感じて、手のひらに汗がにじんだのを自覚する。
「こっちで起きた騒動の原因がアレだったと判明した」
「え」
「…最初に来た報告だと、こっちに申請せずに勝手に行った実験の結果、次元壁に亀裂が生じて、『生物が』亀裂に巻き込まれてしまった、てことだったよね?」
「そうです」
「『生物』じゃなかったんだよね」
「…はい?」
どういうことだろう、そう思って光主のお顔を見直して、少しだけ後悔した。──笑顔なのに、しかもまだ「怒りの笑顔」ではないレベルの笑顔なのに、なぜかものすごく恐ろしいのだ。
「『生物』じゃなかったんだよ。『生物』じゃなくて、『生物』だったの」
思わず耳を疑いたくなってしまう。が、さらに光主は、もっと信じたくない情報をつけたしてくださった。
「…しかも《セ》の界の人間」
その瞬間の光主のお顔を直視するのがあまりにも恐ろしくて、私は急いで目を伏せた。
ああ、気の毒に。
私は自分が対処したほうの問題の当事者たちを待つ未来の出来事に、心の中でこっそり同情した。
光主が浮かべていたのが、紛うことなき満面の、「怒りの笑顔」だったからだ。
微妙に続きます。…が、続きがR15なことになりそうなので、ここでいったん区切りに。
………つか、ナニする気だ光主……側近が怯えるってどんくらい( ̄◇ ̄;)