1.事の始まり
平成23年6月10日。
恭輔の指示によって集まるように言われた者たちが、初夏の京都へと集った。
「来ぬのではないかと心配していたが」
最初に清水寺へとやって来たのは駿と葵の二人だった。
「駄々を捏ねるのを、無理やり引っ張って来たんです」
「誰が駄々を捏ねた!」
「あれが駄々じゃないならなんなのよ」
胡坐を組んで立ち上がろうとしない駿の腕を掴み、ずるずると引き摺りながら廊下へ出たのだが、駿は廊下で寝転がってしまい、手足をバタつかせて葵の強行を阻止しようとしたのだ。
「大人かと思えば、なんだそれは」
醜態をばらされた駿の顔は、これでもかと言う程、真っ赤に染まっている。
「かつて、新撰組において【鬼の副長】と呼ばれた男の名が泣くではないか」
「関係ねぇだろう!」
「確かに。そう言われればその通りだ。が、魂は同じと心得よ」
だが駿にはそんなものは通じない。
「ここではなんだ、中へ入りたまえ」
清水寺は、京では有数の観光場所である。
人通りの多い表向きの場所で話しは出来ないと、恭輔は二人を奥へと案内した。
「一般には知られて居ない奥本堂だ。関係者である人間も、ここを知る者は少ない」
事が起きた時に使えるよう、代々内密にされて来たと説明する。
駿と葵が部屋へ通された少し後、二人の男が姿を見せた。
「君たちも中へ」
そう言われて入って来たのは、朔月兄弟である。
「よもや、君たちと席を共にする日が来るとは思ってもみなかったよ」
爽やかな笑みを浮かべた惣太郎が、対面に座る二人を見て言った。
「俺もだ」
亮介も不機嫌極まりない表情で駿を見ている。
「やれやれ。これでは先が思いやられる」
恭輔は一人にこやかに座る葵に笑いを向けた。
「てめぇ・・・」
足音と一緒に言い合う声が近づいて来る。
「空気を読めん奴らだ」
次に現われたのは、寝坊の原因を追究している達也と、必死に言い訳をしている真人だった。
「起こせと言って起きなかったのはお前だろうに!」
「起こし方が悪い!」
部屋へ一歩入った二人の視線が、じっと自分達を見上げている視線にぶつかる。
「これは、失礼した」
直ちに姿勢を直したのは達也の方だっだ。
「誰が来たか解り易くて助かるが、もう少し静かに来る事は出来なかったのか?」
「こいつに言って下さい」
「俺のせいにするか!?」
駿と惣太郎が火花を散らしていた事など知る由もなく、二人は畳に座ったがまだ言い合いを続けている。
「いい加減にせんか!」
恭輔に一喝されて、達也と真人はようやくその口を閉じた。
「相変わらずと言おうか、何と言おうか」
「失礼しました」
二人は同時に頭を下げた。
「空気を読めない事、今は助かったと言ってこう」
ちらりと駿を見流す。
「遅くなりました」
夏月は達也たちの後ろからやって来ていたのだが、出るタイミングを損ね、場が落ち着いたのを確認してからそう声を掛けたのだ。
「大丈夫、まだ皆が揃った訳ではない」
何処に座ろうかと躊躇ったのがわかったのか、恭輔がここへと、自分の左手前を差した。
「失礼します」
駿の横に座り、藤川夏月ですとお辞儀をする。
口を開きかけた葵は、また慌しい足音がしてその口を閉じた。
「ほんとうに騒がしい奴が多い」
滑り込む様に部屋へ入って来たのは京子と泰助である。
「間に合いました!?」
そう叫びに近い声を上げた後、そこに集まる面々を見て一瞬で姿勢を正した。その横に泰助も座る。
「なぜこうも賑やかな連中が集ったのか、私は天に問いたい気分だ」
だが、そう言う顔はどことなく嬉しそうではある。
「さて。一応これまでに私が招いた者たちは全て集まった。これで終りではないと思うのだが、今はまだ報せが下りてはおらぬゆえ、残りの者には後でまた説明するとしよう」
「一つお訪ねしたい」
惣太郎が恭輔の言葉の間に入った。
「天命が下りた者の縁は、この場に居る者を見る限り解りますが、何故彼らまで居るのですか?」
「なにが言いたい?」
結局そこへ戻るのかと、恭輔は苦笑する。
「あの時代の続きをさせる為に、天命が下りたのではないと、まず言っておく」
「それはそうでしょう」
「ならば古き縁を今は置かれよ。大事はそれではない。これから起こる事に大事がある」
「・・・解りました」
助かる、と一言だけ言うと、恭輔は立ち上がり、後ろの襖を開いた。
白いモノがそこに在った。
「お初に御目にかかります」
小さな少年だった。まだ16か17歳くらいだろうか。
「本来ならば16日までに全ての者を引き合わせたかったのだが、これも理であろう」
「左様にございます」
今にも消え入ってしまいそうなほど、少年の存在が希薄に感じられる。
「一つ一つ、話しをさせて頂きたいと存じます。しかし、今の私にはそう長く語る時間が在りませぬゆえ、理の始めをまずはお話させて頂こうと思います」
そして少年は、静かに平安の都で起きた事を語り始めた。
平安京は延暦13年(西暦794年) 、飢饉や疫病の流行などの災難や、身内の不幸が相次ぎ、桓武天皇により長岡京から移された。
延喜元年(西暦901年)。
出世の一途を辿っていた菅原道真は、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったとして、大宰府での生活を余儀なくされるが、その3年後、この世を去ることに成る。
「東風吹かば 匂ひをせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
京を発って大宰府へと向かう折、道真が謳った有名な句である。
朝廷への権力集中を嫌った藤原氏の陰謀により、平安京から追われる事となった道真は、国の安泰を憂いつつ、いつか自分の罪が晴れる日が来る事を祈願していたが、享年59歳、生まれた日と同じ2月25日に失意のまま息を引き取った。
大宰府の北東にある三笠郡へと道真の御遺体を運んでいた牛車が、突然安楽寺の前で動かなくなる。
推しても引いても牛車はぴくりとも動かない。
困った道真の弟子味酒安行は、その近くに遺体を埋葬し、祠を建て祭った。
この頃から、藤原家に厄災が起こり出す。
陰謀に関わった中納言藤原定国が急死した事が発端となった。
道真を安京から追う陰謀を巡らせた張本人である藤原時平の両耳より、蛇に化けた道真が現れ、祈祷も空しく時平は狂死してしまう。
集団職務放棄をした中心人物、源光は、狩りの途中、乗っていた馬ごと底なし沼に落ち行方不明となるなど、不可解な死が多発したのである。
道真が、恨みを晴らすために御霊となり舞い戻ったと噂が流れた。
死人を出してもなお、御霊の力は緩まるどころか、さらに増して行った。
醍醐天皇の皇子保明親王が21歳で薨去。後、皇太子となった慶頼王(保明親王の子)はわずか5歳でこの世を去った。
「これだけにございません。道真公の御霊はその力を保ったまま数多の災いを起こしてしまったのです」
布袴を纏った少年は、陽の落ちた本堂から外の景色へと視線を投げた。
「さぞ無念であった事でしょう」
当時の朝廷は、道真の御霊を鎮めようと、左遷するという詔(天子の命令)に関する全ての書を焼いたが、その火が建物へと燃え移り、その場に居た僧侶たちを焼き殺してしまった。
「京を襲った干ばつ対策にと、会議を開いていた時でございました。会議の場となった清涼殿には、貴族や役人達が集まっていたのです。その会議中に突如雷鳴が響き渡り、大納言藤原清貫や貴族、女官達に雷が落ちたのでございます」
少年は細い目をさらに細めると、その場に座る者たちへと視線を巡らせた。
「体調を崩されてしまった醍醐天皇はこの事件をきっかけに、皇位を8歳になった寛明親王へと譲り、寛明様は朱雀天皇として即位されたのです」
「道真殿の御霊は、それで落ち着いたか」
恭輔が静かに言った。
「いえ。念が深かったためか、道真様の御霊はなかなか鎮まっては頂けませんでした」
悲哀を帯びた顔が悲しげに笑みを浮かべる。
「そう、鎮めなければなりませんでした」
悪行を連ねてきた訳ではなく、国の安泰をと帆走した身で京を追われ、失意と共にこの世を去った無念は、その場に居る者達にも解る事ができた。
「私は都を護る立場にありましたゆえ、安らかに眠っていただく様に力を尽くしましたが叶わず、御霊を封印せざるを得なかったのです」
鬼妖の出現が、都で囁かれるようになったからだと少年は言った。
「その頃はまだ数も少なかったのでございます」
遠い目で宙を見上げる。
「さらに都は世俗混乱を極めました。朱雀天皇が在位中、平将門公と藤原純友が乱を起こしてしまったのです」
人の業は鬼妖の糧となる。
恐怖と憎しみや強欲が、結界外とこの世の境をあやふやなものにし始めてしまう。
「このままではいずれ、都中に鬼妖が蔓延り、人の世は人ならぬモノの手に堕ちてしまう。私は杞憂に暮れました。陰陽師であるとはいえど、その力には限りがありますから」
白い顔が闇でさらに白さを増した。
「お疲れのご様子。一度時間を置かれるがいい」
恭輔は座するその姿に向かって言うと、返答を聞く間も与えず、後ろに居た僧へと少年を託した。