6.荒の接触
「何をするにしても、まず予定を立てるのは大事だろ?」
旅行の計画を立て始めたのはいいが、意見を一致させるまでにいつも時間がかかってしまう。
「目ぼしいところだけチェックしといて、とりあえず行ってから他に見たい所があったら行く、これしかない!」
桜井京子は落ち着きがない。とは言っても動作ではなく「思い立ったが吉日」のごとく、何かしようと決めたら直ぐにしないと気がすまない性格なのだ。
「それやって、行きたいとこ全部回れたためしがないだろうが」
反対に、梅山泰助は「待てば甘露の日和あり」と、あせらずじっくりと構える性質なもので、二人は事有るごとに衝突する羽目になる。
「だから、予定は予定なのです」
そんな事を言われたら、時間を考えて予定を立てた貝がないじゃないか。
「好きにしろ」
結局は折れる事になるのだが、あっさり同意しては自分の気分が収まらない。
「じゃあさ、ここは絶対外せない、ってとこだけは必ず行こうよ」
京子も我儘を言うばかりではなく、ちゃんと泰助の事を考えている。なので、いつの間にか険悪な雰囲気はなくなってしまうのだ。
「楽しみだなぁ」
本当に嬉しそうな顔をして、目の前に広げたパンフレットを覗き込む。
「雨日和にならなきゃいいけどな」
二週間後の週末、6月3日の金曜日の夜。
姫路から京都へやって来た二人は、宿となる加茂川館へとやって来た。
空は朝から生憎の雨模様になってしまっている。
「泰助が雨日和、なんて言うから雨になるんじゃない」
「俺のせいか!?」
雨の音が部屋を満たし、他に聞こえてくる音はない。
喧騒と人ごみの羅会から隔絶されて、別次元の空間に身を置いている、そんな気分にさせる瞬間だった。
泊り客が少ないのか、宿はいたって静かだった。
食事も部屋へ運んでもらったので、二人で静かな夕食になった。
「絶対に外せない場所は?」
「んー、寺田屋」
「うわ、凄く当たり前すぎ」
「お前は?」
「んと・・・寺田屋・・・」
「殴ってやろうか?」
箸を握り締め、本当に殴りそうな泰助に暴力反対を訴える。
「明日、晴れるといいね」
京子の願いも空しく、翌日もどんよりとした曇り空から雨が降っていた。
「・・・雨だけと、出かけようか?」
「ん・・・そうだな」
せっかく京都まで来たのだから、雨だと引きこもっていてはもったいない。
「どうする? 寺田屋へ行く? 後に回す?」
「だから予定立てたとおりに行けばいいだろう」
「雨なんだもん」
理由になっていないと思いつつ、これも旅の一つと諦めるしかない。
加茂川館を出た二人はまず長州の藩邸跡へ行くことにし、それから御所へ足を向けた。
「閉まってるねぇ」
残念なことに、京都御所春季の一般公開は4月6日から10日までの5日間だった。
公開されていたのは御所の正殿紫宸殿と、西側在り東を正面とする清涼殿だ。
紫宸殿南庭には左に桜、右に橘の木が植えられており、それぞれ左近衛と右近衛が配陣したため左近の桜、右近の橘とも呼ばれる。
「見たかったなあ、右近左近」
「たかが木じゃないか」
「木にもいろいろあるんです」
そんなもんか? と泰助は興味をそれ以上示さず、とことこと歩き出した。
「風流のないやつ」
拝観できないとあれば、何時まで散策していても仕方ない。泰助はそのまま二条城へ行くかと振り返った。
「・・・・・」
後ろを付いて来ているものとばかり思っていたのに、京子は知らない男と立ち話をしていた。
「あの野郎」
急いで戻ると、少し青ざめた顔色になっている京子が泰助を見上げた。
「この状況・・・」
「あ?」
片手で顔を多い、もう片方の手で脇を抱える京子。
「こいつは俺の連れだ、ナンパなんかするな」
「ナンパ? 私が?」
はっ、と息を吐いて男は高らかに笑い始める。
「そうか、そうか」
泰助は、可笑しいと言わんばかりに笑い続ける男の胸倉を掴み上げた。
「泰助、だめだめ!」
京子が慌てて泰助の腕を掴むが、強く握り締めた手を振り解くことはできない。
「血気に逸るとこは変わらぬか。説明してやるから、まずこの手を放んか」
男はいたって冷静である。罵声の一つでも返ってくれば殴れるのだが、歯噛みしたまま泰助はゆっくりと指を開いた。
「聞き分けが良くて助かる」
着物の襟を正し、やれやれと京子に向き直る。
「彼女を口説いていたのではなく、少し用があったから声をかけたまで。そうだな?」
「はあ、まあ」
「話しって!?」
「落ち着いて、泰助。んと、どう説明したらいいのやら、さっぱりなんですが」
ちらりと男を見る。
「縁あったこの者とは旧知の仲でな。言ったが、伝える用があり足止めした。いずれお前にも判ることだが、今詳しく話したところで理解などできまい、と思うが?」
最後は京子に尋ねたのだろう。
「そうですね。取り合えず、日時は覚えておきますので、葛木さんはもう行って下さい」
「そう願おうか。このままではいずれ殴られそうだからな」
そう言うと、恭輔はではまた、と泰助には目もくれず歩き出してしまった。
「待てよ!」
「駄目だってば!」
片手を上げて、振り向きもせず歩いていく背中から、腕を掴んだままの京子に目を戻す。
「説明しろ!」
「だからするってば。って、どう説明したらいいんだか・・・あ~、もう! なんで私だけな訳!?」
京子は泣き出しやろうかと考えたが、それで収まりのつく男ではない。
場所を変えようと、とぼとぼ歩き出した京子の後を、ビシャビシャと地面を鳴らしながら付いて行く。
「跳ねるからやめてくんないかな、それ」
足元を見ると靴もズボン裾も濡れていた。
「ほっとけば乾く」
はぁ~、と長いため息を吐く。
「ほんと、なんで私だけ?」
自問自答しても始まらなかった。
「泰助」
「なんだ!」
「怒鳴らなくても聞こえます」
ちっ、と舌打ちが聞こえた。
「さて問題です」
「はあぁ?」
「なぜ寺田屋に二人とも行きたかったのでしょうか」
「はっ?」
突然そんな事を聞かれても、こうだと言う理由がある訳ではない。
「京都には沢山観光名所があります。それなのに、なぜ寺田屋は外せないんでしょうか」
「そんなの・・・」
「長州藩邸跡にしても、御所にしても、二条城にしてもです。京都には清水もあれば嵐山もあります。京都タワーだって名物でしょう。なのに、なぜ?」
泰助は真剣に考え込んでしまった。
これで時間が稼げると思った。その間にどう説明するか考えなくてはいけないのだが。
「あれだ、ほら。京都と言えばだ」
「言えば?」
「んと、ほら・・・幕末!」
「・・・・・・」
疑うような眼差しを向けられ、泰助は視線を逸らした。
いつの間にか雨が止んでいた。雲が薄くなり、間から少しだが青空も覗き始めている。
「晴れるよ、空」
見上げた空には、何かを急ぐかのように雲が流れて行く。
「話しそらすなよ」
ぎくりと肩をすぼめる。後回しにしたところで、一度気になった事を忘れてくれない性質と知っているから、本当に困るしかない。
「葛木って誰なんだ?」
「知ったら、多分青ざめる羽目になるよ」
自分もそうだったのだ。
「ちゃっちゃと話せよ」
そうしたいのは山々なんです。
もう半泣きになりながら、恭輔を引きとめれば良かったと後悔する。きっと自分より上手くこの男に話しができたはずなのだ。
(多分、めんどくさくて逃げたよね、あれ)
そうとしか思えなかった。
「京子!」
「はいはい・・・あのさ、輪廻転生って、信じる?」
「は? 輪廻?」
「そうそう。巡るやつ」
まったく話しの中身が見えてず、さらに泰助の顔が赤く染まった。
「いい加減にしろ!!」
そう叫びながら京子の肩を掴んだ泰助が、次の瞬間声もなく固まった。
「・・・泰助?」
もう、その顔に怒りの色はなくなってしまっている。
京子は安堵する。
「怒鳴らないでよ、私に」
「・・・・おい・・・」
「はい」
「俺は夢を見ている」
「そう・・・ですか」
「きっとこれは夢だ。な? そうだよな?」
京子の手が泰助の顔に張り付く。
「?」
その指が泰助の頬を思い切り抓んだ。
「いってぇよ!!」
手を払いのけ、抓まれた頬を摩る。
「はい、残念。夢じゃありませんでしたね」
くそっ! っと空を殴るように手を下ろす。
「お前が・・・あ~くそっ!」
「くそくそって、汚いなあ」
「おい、待て。さっきのは・・・まさか・・・」
「よく出来ました」
怒りで赤くなっていた顔が一転、血の気が引いて青くなり、泰助はその場に頭を抱えて座り込んでしまった。
「まあ、ほら。知らなかった訳だし、仕方ない、と言う事で」
「それで済む相手か?」
「今は、済むんじゃない?」
二条城へ向かう間に、恭輔から告げられた内容を泰助に話して聞かせた。
それぞれが異なる場所で恭輔と会い、天命の下った者たちが長い時を経て京の都へ集う日は、すぐにやって来た。