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5.志の接触

 蝉が鳴き出すのはいつだろうと、まだ夏にもなっていない空を見上げ、楠本達也はぼんやりとそんなことを思った。

 達也の家には近代的と思える物が少ない。

 テレビもなければ、時計すら壁に掛けられておらず、窓際の小さな机に置かれているノートパソコンがこの部屋では唯一【機械】だ。

 携帯電話はさすがに持っている。友人たちとの連絡には欠かせない物なのだが、最初は購入するのをかなり渋った。メールでいいじゃないか、とも思ったが、緊急の際に家に電話がないのは不便極まると言われ、仕方なく買ったのだ。が、電話とメール以外使いこなせてはいない。

「達也、いるかー?」

 五月蝿い。

 物思いに(ふけ)っている時や、本を読んでいる時を邪魔されるのが一番気に障るのが達也なのだ。

 どかどかと大きな音を立て、廊下を歩いて来る侵入者にため息を漏らす。

「おう、居た居た」

 顔を覗かせたのは、中学から腐れ縁となっている東本(とうもと)真人だ。

「朝っぱらなんなんだ、騒々しい」

「そう怒るなって。切符、取れたぞ」

「切符?」

 真人はズボンのポケットから出した紙を目の前で広げて見せる。

「週末、一泊だ」

「は?」

「あれ? 忘れた?」

 何の事だったかと、記憶の底にを(さら)ってみる。

「なにか約束してたか?」

「しっかり忘れてるな」

 真人に切符を渡され、そこに書かれている駅名に視線を落とす。

「京都?」

 はて、いつそんな約束をこの男としたのだろう。

「あーあ。達也の頭ん中にはなーんも詰まってない」

「失礼な!」

 清水寺を訪れたいと、そういえば言った事がある。

「まさか、それを覚えていたのか?」

「俺も行きたい! なら一緒に行けばいい。ほら、宿も取った」

 嬉しそうに笑顔を浮かべながら宿のパンフレットを、これまたズボンのポケットから取り出して広げた。

「人に相談もなく勝手に決めて」

「お前に任せてたら年越しちまう」

「何が哀しくて男二人で京都の街を散策しなくちゃいけないんだ」

「あほ! 京都には別嬪(べっぴん)さんが居るだろうが!」

 疲れる男だが、悪気がある訳ではない。ただ率直に物事を考えて行動するのが真人なのだ。

「ナンパなんか、俺はしないからな」

 ぶぅっと頬を膨らませる。

「・・・それが第一の目的だな」

 こうして達也は、半ば強引に組まれた旅行で京都を訪れる事になってしまったのである。


 初夏と言えど、晴れていれば日中は暑く、日が落ちれば肌寒くなる。

 JR京都駅から東福寺を経て清水五条で降りた二人は、徒歩片道23分の道を歩いていた。

 もっそりとした足取りで後ろを着いてくる真人は、駅を出るなり暑い暑いと繰り返している。

「高知とはえらく違うな」

「暑い時は何処だろうと暑いに決まっている」

 だが湿度が違う。じとっとした空気が体に纏わりつき、風も少ないため余計に温度が高く感じられるのだ。

「大体、お前が京都へ来ると言ったんだろう? 早く歩け」

 ぶうっと口を尖らせ、暑さを感じないお前は人間じゃないと愚痴を零す。

「ちょっと、休もう、な?」

 何度そう頼んでも、達也は一向に聞き入れない。ペットボトルで十分だと、さっきも自販機から水を買って渡される始末だった。

「急ぐ旅ほど面白くないものはない!」

「べつに急いでるつもりはない。清水寺はもうそこだろう? ほら、仁王門も目の前だ」

 ゴールデンウィークを過ぎても、京都から人の数はそう減らない。秋ともなれば紅葉を目当てにさらに人が増え、観光名所になっている歴史要所などで情調を感取できようはずもない。

 五条坂から産寧坂へ入ると、それまで騒がしかった真人の口が静かになった。辺りをきょろきよろと見回しながら、着いてくる姿に、どうしたのかと問う。

「いや・・・なんでもない。なんでもないき」

 産寧坂を登る先に、仁王門が頭上に(そび)えていた。入母屋造りの檜皮葺に丹塗り(丹や朱で塗る)された室町様式の楼門ゆえ、【赤門】の別名でも呼ばれている。

 階段手前には狛犬が対を成して置かれている。【阿・阿の狛犬】と呼ばれるこの狛犬は、面白いことに、なぜか両方とも口をあんぐりと開けていた。普通は向かって右側の狛犬は開口しており左側の狛犬は閉口しているのたが、なぜ二つとも口を開けているのは判っていない。

「腹が減ってるんだ」

 歴史物に何かしらの意味を見出す、という事が真人には苦手なのだろう。達也もそれを知っていたので、あえて突っ込まなかった。

 平安京遷都よりも前から存在している清水寺は音羽山(山号)に建てられ、西国三十三箇所観音霊場の第16番札所ともなっている北法相宗大本山だ。

 江戸時代初期寛永10年(西暦1633年)に再建された奥之院には、秘仏の【十一面千手千眼観世音菩薩】坐像があり、33年に1度しか開帳(開扉)されない。

 この千手観音には脇侍として、毘沙門天像と地蔵菩薩像が安置されている。地蔵菩薩像にいたっては、鎧を身に(まと)い、手には剣をもつ武装した姿に、袈裟を着るという一風変わった像である。

「どこへ行くんだ? 本堂はこっちだぞ?」

 仁王門の右手を登れば三重塔もあり、清水の舞台へも行けるのだが、真人は左手へとその足を進めた。

成就院じょうじゅいん)へ行く」

「?」

「いいから着いて来い」

 成就院は、応仁の乱のによって焼失した清水寺を再興した、願阿上人(がんあしょうにん)の住房として造られた。現存する建物は寛永16年(西暦1639年)に後水尾天皇の中宮、東福門院和子とうふくもんいんかずこにより再建されている。

 また幕末には忍向月照(にんこうげっしょう)(京都清水寺住職)、信海(しんかい)上人(しょうにん)の許に近衛忠熈公(このえただひろ)や西郷隆盛などの志士たちが集って密談を交わした場所でもある。

「おい、真人」

 すたすたと前に出て歩き出した男の背中を追う。

「来たか」

 いつの間にか入口に立っていた男がそう言葉を発すると、真人は、お久しぶりです、と深く頭を下げた。

「ついて来い」

 知り合いと待ち合わせなど、達也は聞いていなかった。


 庭が見渡せる部屋へ入ると、先ほどの男が静かに庭に向かって座っていた。

 この庭は京都の三つの成就院、雪月花の庭園の内の【月の庭】である。借景式・池泉観賞式の庭園には、豊臣秀吉が寄進した誰が袖手水鉢(たがそでちょうずばち)が縁先にあり、烏帽子石(えぼしいし)といった奇石、西端の蜻蛉灯籠(かげろうとうろう)や東端しの手毬灯籠(てまりとうろう)等などの石灯籠が配置されている。

「失礼します」

 真人が行儀よく座ったので、仕方なく達也もその横に膝をついて座った。

「遠路、ご苦労だったな」

「ご用命とあらば、いつ何処からなりと馳せ散じる所存にございます」

 達也は狛犬のごとく口を開けて隣の友を見る。

「君が大人しく私の意見を聞かぬ事は承知しているから、そう(かしこ)まらないでくれ」

「なら、遠慮なく」

 真人は正座を崩し胡坐をかく。

「やれやれ。素直と言おうかなんと言おうか」

 男の眼が達也を捕らえた。

「君はまだか?」

「は?」

 その一言で十分だったらしく、男はそれ以上達也に問いかけることはしなかった。

「なに、すぐに解ります。で、今回の用件は?」

「急ぐな。面どくさい故、他の者にも日時を指定し集まれと言ってある。高知から来た君たちには申し訳ないがな」

「それなら、逗留させて頂く。京都へ入ってから、なんとも嫌な空気にそわそわと心が騒がしくていかん」

「ほう・・・下ったのは刀もか」

「はい。高知を発つ前日に」

 男は小さく笑った。

「他の者には命が下っただけなのに、さすが、と言わせてもらおう」

「・・・真人、説明しろ」

 たまらず達也はそう言った。

「説明もなんも、こればっかりはなあ」

 要領を得ない返答に、達也の気が立つ。

「京都へ来たのは観光だろう! こんな所へつれて来て説明もなしとは、どういうつもりなんだ?」

「ここは月照上人の住坊、こんな所呼ばわりをするでない」

「月照上人? 西郷隆盛と昵懇(じっこん)だったという?」

 月照は京都から鹿児島へ逃げ、薩摩藩の庇護も受けられぬまま、幕府の追っ手から逃れられないと悟った西郷隆盛と共に、入水自殺を図るほど縁の深い人物だ。ただ、西郷は死に切れず、月照だけがそのまま還らぬ人となったのだが。

「多少は歴史を紐解いているか」

 どうやらこの男は自分の事を知っているらしい。恐らく真人が話しをしたのだろうが、反対にこの男の事を真人からは聞いていない。

「公開期間は終っているから、逗留するならば使うといい」

 事もなげに文化財に泊まれと言う。

「許可は取ってある故、心配するな」

 達也の心配を他所に、それならそうさせてもらうと真人はここに泊まる事を決めてしまった。

「貴方は誰なんだ?」

「ああ、これは失敬。私は葛木恭輔。君たちとは懇意(こんい)の間柄だった、とだけ言っておこう」

「懇意!?」

 しかも過去形である。

「ちゃんと説明しろ!」

 怒鳴った相手は真人だ。その胸倉を掴み上げ、鼻先まで顔を近づける。

「そう怒るな、ほんに短気でいかん」

「誰がそうさせていると思っている!」

 拳を握り、今にも真人を殴らんばかりに腕を振り上げた達也の手が止まった。

「な・・・」

「良かったな、殴られる前で」

 恭輔がそう投げると、真人は確かにと返す。

「どういう冗談で?」

「君たちがそう思うのも無理はない。が、事実は曲げられん」

「お前はとっくに気付いていた、そう言うことか」

「すまん。説明しても絶対に信用なんかしなかっただろ?」

 確かに。高知で小説じみた絵空事を聞いたとしても、きっと笑い飛ばしていた。

「では、皆が集まるまでここで待て。あと半月もすれば主だった者たちが来る手はずとなっている」

 皆とは?

 聞いたが、恭輔は楽しみは取っておくものだと言い、支度をさせて来るからと部屋を出て行ってしまった。

「産寧坂で静かになったのは、そのせいか」

 明保野亭という常宿の一つが在ったと、達也は思い出した。

 池田屋事件の残党狩りで、長州藩士が東山にある明保野亭に潜伏していると、会津藩と新撰組が捕縛に乗り込んだ。だが会津藩士柴司が傷を負わせたのは長州藩士ではなく、土佐藩士麻田時太郎だと判り捕縛には至らなかった。

 事はそれで収まらず、最初に捕吏(ほり)(罪人をめしとる役人)に名を明かさなかった責任も有ると、藩主山内容堂(やまうち ようどう)は麻田を切腹させてしまった。

 しかしこの処分は片手落ち(不公平)だと、土佐勤王党など倒幕を掲げる勢力が激昂し、会津との間に水を差しかねない事態に発展する。柴司は自らの職務を遂行しただけなのだが、両藩の関係を悪化させないため、切腹という形で謝罪を示したことにより、明保野亭の事態は収拾をみる事となった。

「誰が悪い訳じゃない。そういう時代だったんだ」

「今も対して変わらない世の中だがな」

 それは真人も思っている。国の形が変わっても中身は維新以前となんら変わりはない。幕府の代わりに【国会】が政治を動かし、朝廷は皇居にて政から追いやられている。

「民に至っては更に酷くなっている。不平不満を並べ立てるばかりで、自ら動こうとはしない」

「変わってなんかないさ、昔も今も、他力本願なのは一緒だ。誰かがなんとかしてくれるだろう、そういう日和見的な生き方をしてるだけだ」

「まずは、そこからだったんだろうな」

 真人は立ち上がると縁側へと歩いて行く。

「ここは座って庭を見るのがいいらしい」

「低い所からは全体を見渡す事はできない」

 どかっと、また胡坐をかいて座り、片肘を膝の上に乗せると頬づえをついて庭を眺める。

「だが、高い目線では見えないものもある。お前は高い所から世を見て、俺は低い所から世を見渡した。それは変えなくてもいいだろう?」

「まったく。それで失敗したんだろうが」

 けたけたと笑った真人は、それでも俺は俺の考えるようにすると、暮れ行く空を見上げた。

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