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4.静動の接触

「兄貴! 車の鍵知らない!?」

 パキン!

 大声を上げていきなり障子を開けて叫んだ朔月亮介は、わなわなと震える背中を見て、しまったと肩をすぼめた。

 部屋へ入るときは必ず、そっと声をかけてからにしろと言われていたのを、戸を開けてから思い出したのだ。

「なぜ俺が、おまえの車の鍵番をしなくてはいけないんだ?」

 上半身だけを振り返らせた兄惣太郎の手には、花のついていない茎が握られている。

「や・・・あの・・・ごめん!」

「亮介!」

 手にしていた花菖蒲の首をばっさり切り落としてしまった惣太郎は、障子を開けっ放しにして逃げてしまった弟に向かって思いっきり声を上げた。

 何度同じ事を言っても亮介は断りも入れず障子を開ける。その度に捕まえてはお説教を零す惣太郎なのである。

 朔月家は代々京都の街で呉服屋を営んでいた。

 長兄が朔月家を継ぎ、お家の事情など関係なくなった惣太郎は京都の商社に勤め、三男坊である亮介は大学に通っている。

 休暇ともなると、惣太郎は生け花に時間を費やしたり図書館通いをしたりと、至って静かに過ごしている。反対に、亮介は活発がそのまま人間という形になったのではないかと思うほど、ひと時もじっとはしていない。

「車、車と、何が面白いのやら」

 花器に落ちてしまった花菖蒲を拾い上げ、ほう、とため息をつく。

「午後から茶屋店にいく予定だったが」

 長兄から仕立てた着物を届け欲しいと、先日になって頼まれたのだ。なんでも、急ぎで受取りたいと買い手から連絡があったのだと言う。

 着物を着る人など、稽古事や舞妓・芸子、茶道の家元、水商売の女たちと、限られた者が袖を通す時世となり、京都でも普段から着物を身につける人間は本当に少なくなっている。

 だが、落ち着くのだ。

 家柄、幼い頃から着物に触れていたからなのか、別段なんの不思議もなく仕事以外は着物を着ている。

 部屋を出て、亮介が逃げた方向に足を進めて行く。

 車の鍵が見つからないのであれば、今頃必死で時分の部屋を家捜しでもしていることだろう。

「亮介」

 来た事を告げてから、惣太郎は襖を開けた。

「!」

「俺に付き合え」

「俺はこれから車で出かけるの!」

「その車の鍵が見当たらないから、あれだけ言ったにも関わらず大声を出し、部屋の戸を開けたんだろう?」

「うっ・・・」

「おまえも、もう二十歳(はたち)になるんだから、少しくらい落ち着いてみせたらどうだ?」

 惣太郎と亮介は3つしか年が違わない。長兄は惣太郎よりも6つ上で、亮介とは9つ違いになる。それだからか長兄は亮介に甘く、いつも手綱を取るのが惣太郎なのだ。

「仕方ねぇなあ、付いていってやるよ」

 だが、亮介は五月蝿く言われながらも惣太郎に逆う事はない。

「いい心がけだ。夕刻には出るから用意しておけよ」

 ぶつぶつと何か言ったようだが、惣太郎は聞こえぬふりをして襖を閉めた。


「で、なんで俺が荷物持ち!?」

 何着入っているのか判らないが、分厚い風呂敷包みを背負いながら亮介は不平を零した。

「花一輪を無駄にさせた罰だ」

「はぁ!?」

「花も生きている。その花を手折って飾りつける以上、茎の一本たりとも粗末にはできないんだよ」

「だったら生け花なんかやんなきゃいいじゃないか。自生している花のが綺麗に決まってる」

 惣太郎がぽかんとした表情で亮介を振り返った。

「な、なんだよ」

「たまには良い事を言うじゃないか」

「っ!」

「本当におまえの言うとおりだ」

 惣太郎が亮介を褒めるのは稀である。稀なゆえに、亮介も慌ててしまった。

「さあ、急ごう。遅れでもして、先方の気分を害したらお家の面目丸つぶれだ」

 烏丸五条を通り過ぎ、鴨川手前の川原町五条を左に折れた先に目的とする茶屋がある。

 昔ながらの古びた家の軒先に、紫色の暖簾がさがっており、その隅に小さく葵屋と黒字で店の名前があった。

 格子戸を引いて中へ入ると、畳敷きされた土間が横に設えられていた。

 店内には客はおらず、ただ茶のいい香りが漂っている。

 戸の開いた音を聞きつけた店主が、奥に在る戸口の暖簾を分けて顔を出した。

「ようお越しやす」

「朔月の者です」

「ああ、着物どすな」

 店主はニコニコと出て来ると、畳の上にどうぞ置いてくださいと手を差し出した。

「少し待ってておくれやす」

 踵を返し、出で来た戸口へと引き返して行く。

「こんな店があったなんてなあ」

 古い家はまだまだ京都には沢山あるが、この店はかなりの年代を経ている建物だろうと、縁に沿う木に付いている傷を亮介は手を這わせた。

 心地よい木の手触りだった。

 亮介の下ろした風呂敷包み引き寄せ、惣太郎は結び目を解いて行く。

「・・・・・」

 二つ目の結び目を解いたその手が止まる。

「兄貴?」

 屈めていた腰を上げた惣太郎の、なんとも言えない顔が亮介を捉えた。

「ど・・・どうした?」

「いや・・・」

 店主はまだ出て来ない。

「こんな馬鹿な事があってはならない」

「は?」

 言葉の意味するところを理解できない亮介が、大丈夫かと惣太郎の額に手をやった。

「!」

 そっと手をひっこめる亮介。

「だぁぁぁぁ!」

「怒鳴るな!」

「怒鳴りたくもなるだろうが!」

 亮介はドン! と畳に腰を下ろし、片方の足をもう片方の足へと乗せ腕を組んだ。

「何が哀しくて弟なんぞやってるんだ!?」

「私に聞いてくれるな。こんな馬鹿な事・・・結局この時代でも俺はおまえの躾をしなければならないんじゃないか」

「躾ぇ!? ちょっと待て待て。俺はいつおまえに躾をされたんだ?」

「ほう。その問答をここでしたいのか?」

 足音が聞こえ、二人はきっ、とそちらへ目を向けた。

「あいかわらず仲の良い事で安心したよ」

 くっくっ、と笑いながら立っている男に向けられる双眸は変わらない。

「貴方もですか」

「残念ながらな。まあ、一つお茶でも飲んで落ち着きたまえ」

 そう言った男の後ろから、店主ではない別の男が茶を持って入って来た。

 男は畳の上に湯のみを置くと、軽く一礼をしただけでそそくさと戸口へ消えてしまった。その男が誰であるのか、惣太郎には分かってしまった。

「葛木恭輔、それが今の私の名だ」

 奥に消えた男に視線を向けたままの惣太郎に恭輔は名を告げた。

「私は朔月惣太郎、こっちは弟の亮介」

「こっちってなんだ、こっちって・・・」

 目で制され、亮介は押し黙る。

「それで、なんの因果で私はまた貴方の前に立つ羽目になっているのかな?」

「因果などではない。天の理によってだ」

 惣太郎は出された湯のみを口に運んだ。

「飲むか、普通?」

「気を静めるには丁度いい。おまえと違って私の神経は繊細なんだ」

「ムカつく野郎だな!」

「兄に向かって野郎などと。後でじっくり説教させて頂く」

「こんな時に兄弟関係なんぞ出すな!」

「・・・・・申し訳ないが、私も忙しい身でね。喧嘩は帰ってからにしてくれまいか?」

 恭輔は二人の前に椅子を持って来ると腰を落ち着け、一息ついた。

 最初に天命が下ったのは自分で、安倍晴明を名乗る少年により、同じく天命を受けた者たちを集めるよう動くことなったと語る。

「詳しい話は皆が集ったらするつもりでいる。それまで待ってもらいたい」

「訳の分からん事を言ってないで、ちゃんと説明したらどうだ?」

 解ってないのはおまえだけだと惣太郎が肩を落とす。

「小難しい事なんぞ、俺にはわからん!」

「そう言うと思ったよ」

「君が一緒で良かった。その小僧にどう説明すればいいか、二人きりだったら根を上げているところだ」

 やれやれと恭輔は自分の肩を揉む。

「すでに三名との接触が済んでいる。あと何名の所へ私が出向くのかはまだ不明だが、6月16日までには全ての者を集めなくてはならん」

 なぜなのだと惣太郎が問う。

「蝕(月食)の夜までに集めよとの、安倍晴明殿の仰せだ」

「色々とややこしい事情の様だ。で、私たちもその日に君の所へ集まればいいのかな?」

「いや。6月10日にここへ来てくれまいか。16日当日では説明するにも時間を()きずきるのでな。事前に話しをしてしまいたい」

 差し出された紙を受取る。

「承知した。亮介もいいね?」

「ふん! いつもおまえが決めるんだろうが」

 なぜ兄弟なんだと、亮介はしきりにぶつぶつ言っている。

「魂は皆一つしか持たぬ。同じ魂を巡らせ、違う心で時を渡る。だが、近い魂はいつも傍に寄り添うものだ。何度生まれ変わろうとも、それだけは絶対に変わることのない普遍の事象なのだ」

「天とやらも、粋な計らいをしてくれるじゃないか」

 亮介はそっぽを向いたまま、そう呟いた。

「くっくっくっ。本当に君は素直ではないな。嬉しい時は言葉で伝える方が良い。魂が通じていると言っても、言葉にしなくては想いなんぞ届くものではない」

 うるせぇ、と亮介が顔を背ける。照れているのは惣太郎にも恭輔にもばれているのだが。

「ともあれ、それまで何もしないと言うのは私の性に合わない。この着物を頼んだ主は貴方だと思うが」

「いかにも」

「ならば、茶にでも招待させて頂こう」

「いい茶室がある。私から招きを出そう」

 亮介を横に、二人はさっさと予定を決めてしまった。

「俺にはどうしても、狐と狸が語り合っているようにしか見えん」

 その頭に、惣太郎の拳骨(げんこつ)が落ちたのは、言うまでもない。

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