2.要の接触
二泊三日の社員旅行が企画され、藤川夏月は、新入社員4人と共にゴールデンウイークに駆り出されていた。
このご時世、社員旅行が企画される事自体稀なのに、加えて部長命令とは。
夏月達は呆れたが、ただで旅行ができるし、特別予定がない面々が選ばれたのだからと、すんなり従った。
宿は取引先が用意してくれた、京都三条に在る『加茂川館』と言う古風な旅館だった。
「わざわざ京都に泊まりに来るなんてないもんね」
「ないけどさあ、テレビがないよここ」
案内された和室に女四人。夏月は溜息を吐き出したい気分だった。
女性が苦手なのだ。
いや、自分も女性なのだが、どうしてもその輪に入っていく事ができないのだ。
「結局接待になるんだよねぇ~」
夜の宴会は、部長が招いたその得意先のお偉いさんがやって来るらしい。
いまどき『接待』などと、旅館を使ってするほど日本経済は豊かではない。それをまだ続けている会社もどうかと思うが。
(そんな会社に入った自分もどうかと思う)
宴会に出席する以外は個人の自由行動になっていたし、美味しい料理も食べれるのだ。同僚たちはそう互いに笑い合っている。
やはり駄目だ。
夏月は我慢の限度を超え、散歩に出ると部屋を後にした。
京都の街は新旧が入り乱れる不思議な街だ。
最近では欧米よりも中国からの観光客が増え、遠目では日本人なのか中国人なのか区別が付きにくく、話しかけられてやっと日本人じゃない事に気付く始末だった。
「古き良き都か」
確かに、一本道を入ると昔ながらの町並みがまだ会ったりする。
寺や神社などの観光名所も多く、なによりもここは幕末の舞台となった街の一つなのだ。歴史ブームで、歴女と呼ばれる若い女性も多くなり、寺田屋や藩邸跡をめぐるツアーも模様されていた。
夏月も幕末には少し興味があった。流行だからとかではなく、一冊の本を手に取った時から維新志士たちの思想に興味を引かれたのである。
平成という現代には、すでになくなってしまった武士の志。一つの目的のために己の命をかけて奮闘する彼らを、羨ましいと感じたのだ。
ふと足が止まった。
「?」
そして落胆ともとれる深いため息を零す。
「偶然京都に来た訳じゃないのか」
夏月は狭い青空を一度見上げると、仕方ないと加茂川館へと引き返した。
夜になって、旅館の一番大きな広間に料理が用意された。
「ねぇねぇ、やっぱ芸子とか出てくんのかな?」
女性たちはもうその場を楽しむ事にした様で、キョロキョロと視線を巡らしては小声で話し合っている。もちろん、夏月は参加しない。
上座に一つ膳が置かれおり、それを横にする形で左右にももずらっと膳が並んでいる。対面との間は2メートル位離れている。
三人の男性が広間に入ってくると、部長は両手を擂り合わせるようにして立ち上がり、席を進める手を出す。
長身の無表情な男が上座に座ると、後の二人はそれぞれ左右に分かれて一番近い席に座った。
この三人が接待先か。
夏月はちらりと上座の男を見る。すると、男と視線が合ってしまい、慌てて顔を正面に戻した。
「今日は立派な宿をご用意頂き、ありがとうございます」
「ホテルなどより赴きがある旅館の方が良いと、用意させて頂いたまで。礼には及びません」
上座の男に言ったのだろうが、答えたのは左手に座る男だった。
接待する側とされる側。どうも中年層が考える接待という手段に納得がいかない。
仕事を続けて貰うには、たしかに先方への根回しも大事だろう。が、ペコペコ頭を下げて、おべっかを口にしまくってご機嫌を取る事で仕事が貰えるという理屈に、社会という不思議な組織に違和感を覚える。
仕事が出来るから、任せられる。ただ、それだけでいいのではないだろうか?
まあ、そんな事は日本人に限ったことではないと、部長の音頭で食事を始めた皆と一緒に、目の前の膳へと箸を伸ばした。
至って普通の宴会だ。
部長や課長連中は三人のり相手に必死だし、女性陣もその三人がきになるらしく、いつもよりも大人し目に食事から酒へと手を出している。
確かに、精悍な顔つきの二人と、広間に入って来てから一度も口を開かず笑わう事もせず座って居る上座の男は、一般に言う【いい男】だ。女性たちが視線を流しても仕方が無い。
「藤川さんは、誰がこのみ?」
横にいた女性が小声で聞いてきた。
「えっ?」
「あの三人のうち、誰がいい?」
「誰って・・・」
いや、そこ違うんじゃないか?
そもそも、こっちが誰かを気に入ったとしても、相手もこちらの誰かを気に入る訳ではない。それ以前に、そんな目的でこの場に来ているのかも判らないのだ。合コンよろしく、相手を品定めする場ではない。女性が必要なら、飲み屋街にも出かけているはずだ。
「さあ。どうでしょう」
「藤川さんに聞いてどうすんのよ」
もう一つ向こうの女性が声を上げた。
よく判っていらっしゃると、夏月は膳に置かれた日本酒を口にした。
別に男性に興味がない訳ではない。恋愛だって人並みにして来た。が、彼女たちのようにいい男が居るからと、はしゃぐ理由を見つけられないのだ。
(私にはわからん)
スッと影が落ちたので、夏月は落とした視線を上げた。
(げっ・・・)
あの無愛想な上座の男が立っていた。
「?」
男は口の片方を上げて笑みを浮かべると、そのまま夏月の前に座ってしまった。
「えっと・・・この度は-」
「社交辞令の挨拶などいらん」
ぐっ、と出かかった言葉を飲み込む。
「おまえ、名は?」
いきなりおまえですか・・・。
「藤川夏月です」
「私は葛木恭輔。話があるから付いて来い」
返事を聞くまでもなく、恭輔は立ち上がると戸口に向かって歩いていく。
「ええ?」
横の女性の視線が痛かった。
「早くこんか」
部長に目配せすると、両手を合わせた。行ってくれと懇願しているのだ。
「はぁ~」
仕方なく、夏月は席を立つと廊下に出てしまった恭輔の後を追いかけた。
加茂川館には綺麗に設えた庭がある。四季折々の風情を楽しめるよう、手入れには十分気を使っているそうだ。
草履を履いて、庭の真ん中で立っている恭輔の背後に立つ。
「天命は下ったか?」
「!!」
呼び出された理由が夏月には判った。
「その顔だと、すでに下りているか」
恭輔はさっきとうってかわて優しい笑顔を浮かべた。
「貴方もなんですか?」
「そうらしい。詳しい話しを今ここでしてやれん。改めて京都へ来るといい」
そう言い、恭輔は上着の内ポケットから一枚の紙を取り夏月に差し出した。
「私邸の住所と連絡先だ。そうだな、来る日時を指定しておこう」
恭輔は6月10日にそこへ来るよう言った。
「あの」
「ん?」
「他にも居るんですか? その天命が下りたって人は」
「居なくては困る。それらの者を集めるのが今私のすべき事なのだからな」
役割があって、動いているのだ。
「おまえの上司がどうしても接待したいと言うので、仕方なく来てやったが、気分も乗らずどうしたものかと困っていた。丁度いい所に、おまえが居てくれて助かった。感謝するぞ」
本当に嬉しいそうに笑う。
「それにしても、おまえも居心地が悪そうにしていたな?」
ばれている。
「苦手なんです人と関わるのが」
「特に女性は、か」
くっくっくっと笑い声を上げる。
「はぁ、まぁ」
「では意見は一致したな」
「なんのですか?」
「あの場所に戻りたくない者が二名も居るのだ。別の部屋を用意させるから、そこで宴会が終るまで隠れようではないか」
「はっ!?」
これでも茶の嗜みくらい持っていると、恭輔は夏月の腕を掴んで館内へと歩き出した。
それから部長たちが宴会をお開きにするまで、夏月は恭輔から茶道の特訓を受ける事になってしまったのである。