3.鬼妖と結界
平安の世を騒がせた【鬼妖】とは、一般に知られている鬼や妖怪とは異なる。
青白い顔に影を落としながら、晴明は再び言葉を紡ぎ始めた。
「人が口にする鬼には二種類あります。人が怨みを増幅し身体を変化させ、その過程で思念が力となり相手に厄災を与える鬼がその一つです」
「桃太郎に出て来る鬼か?」
「それがもう一つの鬼ですが、それは妖怪なのです」
亮介は訳が解らんと腕を組み胡坐をかいた。
人が変化した【鬼】は相手を怨み呪い殺すという目的で行動するのみで、そこに【感情】は存在しない。だが、赤鬼や青鬼と言った昔話に出て来る【鬼】は、元々から在るモノで、【感情】があると言う。
「妖怪に感情ねぇ」
「我ら陰陽師が封じる【鬼】は、人が変化したモノの方で、妖怪ではない。無論、悪さをする妖怪も放ってはおきません。しかし封じるまでには至らない。大抵の妖怪は、悪戯程度にしか人間に関わりませんから」
なぜ関わらないのかと京子が尋ねると、関わらなくても生きていけるからだと晴明は笑った。
「だが鬼妖は人に関わってくる。あれらは鬼と化した人を喰らい、妖怪を喰らったモノの・・・成れの果てなのです」
「食べるの!?」
「喰らうと言っても、食事を取る様に食す訳ではありません。そうですね、取り込むと言った方がいいでしょうか」
最初は無だった【モノ】が、この世界で怨念と化した鬼を喰らう事で、外殻としての形を得た。それが鬼妖の始まりだった。
「更に妖怪を喰らう事で、考えるという術を身につけてしまった。彼らは人の作り出す憎しみや怨みを【餌】と認識するようになった」
「この世界から怨恨が無くなれば、餌を失った鬼妖達は元の無に還る」
惣太郎の言葉に、晴明は頷いた。
「しかし、怨恨を捨てろと今の人間に求めるのは無理でしょう。いや、皆無と言っていい。人はそこまで精神を進化させていない。だから些細な事柄でも、人は負の感情を抱いてしまう。そんな小さな負も、蓄積されて行けばやがて大きな負となる」
「堂々巡りではないか」
葛木が横に座る少年に顔を向けた。
「そうかも知れません。キリが無いとそこで諦めてしまえばこの世界は終る。滅びるのが理と言うのなら、私はここに座っていません。天命によって長き時間を与えられた、それが私の存在する理由なのです。そう、初めて鬼妖を封じた私に課せられた、永遠の役割なのです」
ニッコリと笑った晴明は、短いため息を吐いて目を伏せた。
「鬼妖は餌を喰らう事にのみ執着します。餌が少なくなれば活動を止め、増えるまで待つ。その繰り返しを続ける中、鬼と化した人を取り込んだ彼らは我々と同じモノをその体に宿すに至りました」
同じモノ?
「生殖本能です」
「はぁ!?」
「って、それってつまり・・・」
「言葉の通りです。鬼妖同士が交わる事にり、更に強い力を持つ鬼妖【権鬼】が生まれ、その権鬼から産まれた子で更に強い力を持つ【総鬼】が産まれました。この総鬼が、彼ら鬼妖の世界に上下構造を造ったのです」
頂点に立った総鬼は、その配下に権鬼を置き下級の【使鬼】を従わせた。
「ちょっと待て。それじゃなにか、総鬼って鬼同士が交われば、もっと強い鬼が産まれるってことか?」
「総鬼に生殖機能がありません」
「へっ?」
世界が持つ力の均衡だと、晴明は付け加えた。
「この世界と結界外に存在する彼らの世界は、本来永遠に関わる事のない世界だった。それを変えたのは、人が作り出した負の要素です。交わる切欠を与えてしまったこの世界は、干渉を受けた分だけ元に戻ろうとした。それが、総鬼から生殖能力を失わせた要因ではないかと私は考えています」
晴明が片手を上げ、胸の前へと手の平を出して行く。
「総鬼の数は多くはない。私の知るところでは5鬼。1鬼の権鬼に10鬼程の権鬼が従い、その下に使鬼が従っています。使鬼の数は不明です。1000とも2000とも言われますが、正確に把握する事は不可能でした」
何故かと達也が問う。
「人対鬼妖の総力戦など、過去に一度たりとも起きた事がないからです」
小首を傾げて微笑んだ晴明の手が白く光り始めた。やがて光は手から離れて丸い球体に形を変える。
「これが私の知る総鬼と権鬼の姿です」
球体の中心に、複数の色が水に落ちた絵の具の様に広がり交じり合うと、一つの形を取り始めた。
「人?」
「形は似たようなものですが、無が形を持つに至っただけの彼らに、体中を流れる赤い血はありません」
「医学会に鬼妖の身体を渡してやったら、珍しい実験体だと喜んで体中を切り刻むな」
真人の言葉に一同の視線が集まる。
「とんでもない発想をするのは相変わらずか」
呆れ顔の泰助が黙って口を閉じていろと言うと、なんだと真人が身を乗り出す。
「残念ながら人に鬼妖は切れません」
「えっ?」
晴明の言葉は意外なものだった。
「鬼退治できないじゃないか!」
誰もが亮介の言葉と同じ疑問を抱いたに違いない。問いもせず、ただ晴明の次の言葉を待っている。
「だから貴方方はここに集められたのです」
「我々も一応は人だが?」
静かな笑みを浮かべている晴明を見て、少しばかりの不安を感じざるを得ない。
「なにか、天命が下りて人でなくなったとか言うんじゃないだろうな!」
その不安を亮介が言葉にした。
「そうとも言えますし、そうでないとも言えます」
「なんだぁ!?」
定まりの付かなかった表情が、一変して怒りの感情を浮かべる。
「人としての本質は変わらない。だが、鬼妖を斬るモノとして天命を受けた体は、もはや人のそれにあらず」
京子は自分の両手に視線を落とした。
「変わった気がしないんですけど」
「器としての体、臓器器官、知覚器官は人と同じです。だが身体機能は常人のそれと同じではなくなっています。今の私を見て頂ければ解りやすいと思いますが」
死人のような白い顔を除けば、どこがとう変わっているのか解らない。
「16、7の少年、と言う見立ては出来るが・・・」
「晴明殿はすでに100歳を越えておられる」
「ひゃくぅー!?」
「年をとらないってこと!?」
亮介と京子が晴明の方へ身を乗り出し叫んだ。
「いいえ。時が過ぎて行くと同じに体も歳をとって行きます。私の場合、己自ら細胞の成長を止めているに過ぎません。ですから、成長を進行させれば、普通に歳をとるようになります」
「それが身体機能の変化によるものだと?」
「そうです・・・皮膚を深く切った場合、普通なら完治までに数週間の時を必要としますが、貴方方は自分の意志によって、損傷を受けた細胞を瞬時に修復する事が可能です。と言えば解り易いでしょうか」
「自己修復機能か」
「そうです。だが、それにも限りが在る」
限り?
「細胞の修復は治癒ではなく再生時間の短縮です。本来治るのに10日かかるものを1日で治した場合、その部分の細胞は他の細胞より9日分早く老いた事になります。同じ体でも、手を加えた箇所と加えていない箇所に時間の差異が生じるのです」
「繰り返せば、修復を重ねた箇所だけが壊死する。そう言う事か」
「はい」
役に立つのか立たないのかわからんと頭を抱え込む亮介の横で、要は斬られなければいいとのだと惣太郎が吐息混じりに言う。
「そう。貴方の仰る通りです」
「言うのは容易いがな」
恭輔はそう言った後、鬼妖を斬れるのは天命の下った者だけかと問いかけた。
「そう言うことです。但し」
「但し?」
「天命が下った統べての者が、総鬼を斬れるわけではありません」
「この中に斬れない者が居ると?」
「否。ここに集った者は【結界の柱】となられるべきお方。総鬼を斬れるのは柱となる方、鬼門と裏鬼門の柱となられる方だけなのです」
「結界の柱?」
「鬼門と裏鬼門?」
「この京は四神相応の地相を有する地。北の船岡山、南の巨椋池、西の山陰道、東の加茂川が京の都を護っております。この地相を以って平安京を護る結界を形成していましたが、近代になって巨椋池が干拓され、地相による結界は崩れております」
「なんちゅうことをするんじゃ」
現代人が風水を日常生活や都市計画に取り入れる習慣を無くして久しい。真人が怒っても、時の流れと諦めるしかない。
「地の結界が崩れたと言っても南を欠いただけ。平安の世ほどの効力はありませんが、その力はまだ生きています。その力を補うため、中央に黄龍を置き、四神と合わせて五神守護の結界を敷く。五神に鬼門と裏鬼門の封じ手を合わせて七神となります。この七神が貴方方なのです」
北東の鬼門封じに比叡山延暦寺が置かれ、南西の裏鬼門封じに石清水八幡宮が置かれている。
「ついに人から神にのし上がったか」
口の端で笑う駿の腕を、葵がつまみあげた。
「いってぇよ!」
「ちょっと黙ってて!」
「てめぇ・・・」
葵に睨まれた駿は、ひりひりと痛む腕を摩りながら顔を背けた。
「祀られる神ではなく、護る神である事をお忘れなく」
「そ奴の事はいい。四方の玄武、朱雀、白虎、青龍に中央の黄龍、それらに応じる者とは?」
「刀の色が示してくれましょう」
「刀?」
「はい。天命が下った者には、次に刀が下ります。拝見したところ、まだお二方だけの様ですが、いずれ統べての方の手に下ります」
「誰だ?」
駿が輪になって連なる顔を見回した。
「俺だ。色って言えば、そういや、赤く光ってたのぅ」
真人が手を上げた。
「赤は火。貴方は南の結界の柱、朱雀の一人」
「一人? 何人もいるのか?」
「ええ。各方角に陽と陰を持つ者が一人ずつと、鬼門と裏鬼門はそれぞれ一人ずつです」
「わしの片割れがおるっちゅうことだな」
頷いた晴明は、駿の横に座る葵へと視線を投げた。
「わ・・・私も」
「!?」
駿の顔が真人から葵に向けられる。
「色は黄色っぽかった」
「中の結界の柱である黄龍の一人。このお二人の様に、他の方にも何れ刀が下ります。その時期については私から何時と申し上げる事はできません。すべて天の御心ですので」
ふうっ、と晴明は疲れたように肩を落とした。
「そろそろ休まれたら如何か」
「いえ。もう少し・・・これより後、天命に従い数多の者が京へ集うでしょう。その者達は結界の柱でる貴方方を護る者であり、権鬼や使鬼を斬れる者ですが、先ほども述べた様に総鬼を斬る事は叶いません。くれぐれも総鬼を斬ろうなどとは思わぬよう説明してほしいのです」
「こちら側には制限があるが、鬼妖は我らの誰でも斬れる」
「左様」
「承知した。一つ質問がある。晴明殿は菅原道真公と平将門公の遺骨を五箇所に分けて封印されたと言った」
「なに、それ!?」
「ああ、話してなかったな」
葛木は初めて晴明と会った時に聞かされた内容を語った。
「日本だけ、どうして二つなの?」
「鬼妖の狙いは餌となる負ではなく、この国に在った方々の躯にございます。いわば肝心要となる御首と躯の守護をするのは当然の義務」
「武蔵国って・・・おい、俺達を東京の守護に回せ」
駿の言葉に、晴明は無言で首を振った。
「貴方方は京の結界。ご自分の意志で東京の守護に廻る事は叶いません」
「っ!」
「東京にも四神相応の地相が在るんですか?」
納得できない駿が、それでも食い下がろうと片膝を立てた瞬間、葵がその膝を押さえて後ろへ押しやった。
「東に荒川と隅田川、西に東海道、南に東京湾、北に大宮台地。完全な四神相応の地相とは言えないため、結界の柱として陰陽五行の五色を用いた不動尊が配置されています」
五色不動尊と言われ、世田谷区に目青不動尊、文京区に目赤不動尊、台東区に目黄不動尊、豊島区に目白不動尊、目黒区に目黒不動尊が鎮座している。
「そっちは人じゃないのか?」
「はい。平安の世での国の中心はここ、京都ですから。それに平城京も近い。奈良は大和の国より帝がおられ、都が移って後から江戸末期まで京都に帝がおられた。場所は違えど同じ地なのです。結界もそれ相応の物が施される」
「東京には皇居があるじゃない」
この問いに晴明は返事を返さなかった。
「北東の鬼門封じの東叡山寛永寺と、南西の裏鬼門封じの三縁山広度院増上寺には、貴方方と同じ天命を受けた者がおります。ですが、万が一東京の結界が崩れた場合は、このお二方も京へ来る事になります。要となるのはこの京。簡単に結界を破られてしまっては意味がありません。ゆえに貴方方に天命が下ったのだと、お心に留め置くようお願い申し上げます」
そこまで語った晴明の額には、薄っすらと汗が浮きで出ている。
「今日はこれでお休みになられたら如何か」
「そうさせて頂きます」
体を支えられて立ち上がった晴明は、自分を見ている顔を一つ一つ見てから隣の部屋へと消えて行った。