序節
刀工は己の心を込めて刀を打つ。
刀は使う者の心が重ねられて刀となる。
故に、刀は活きた物となりて、世を渡る。
遥か昔、神世の時代から刀は神の手、人の手に在り、時代を生きる者たちの心を吸い、平安の世、戦国の世を渡り、幕末の世を終りに、やがて記憶の底へと消えたり。
今や主となった数多の者の心を吸った刀はその身を鞘に納め、訪れる時代を待つばかりのみ。
京都の神社にて、一振りの刀が震えた。
波乱を感じて、刀が呼応したのかも知れぬと、刀を見下ろしていた目がゆっくりと閉じられた。
「今一度、この世に舞い戻るか。それも天命と言わざるべきか」
闇の中に佇む男は、哀しげに呟いた。
「時が動き出したのならば、我も動く時が来た。そう言う事であろう」
開け放たれた戸口で、月光を背にした人影が言い放った。
俯いていてた頭を上げ、衣擦れの音を立てながら振り返った視線の先には、すでに男が立っていた。
「本当に、行かれるおつもりですか?」
声には不安げな色が混じっている。
「幾多もの刀が、再び主を求めている。ならば今がその時と言う事でしょう」
剃髪した顔が吐息を漏らす。
「すべてはこの国を護る為。そしてそれは、天主を護る事に他なりませぬ」
「心得ておりますとも。もし、この身が大事と天命に背けば地獄の業火に焼かれましょう。さすれば私の魂は、全ての理から永遠に消えてしまう事になりまするゆえ」
「巡れぬ魂ほど、哀れなものはありません。それでは、我が躯、しかと頼みます」
「御意。この命を賭して、必ずや力を欲っさんとする者より御守いたしまする」
夜空には、その光りの矢を地上へと解き放っている銀色に輝く満月が浮んでいる。
月明かりを頼りに、回廊を進んで寺院の奥に在る小さな社の前に男は立った。
背後に気配を感じ、男の顔が動く。
「貴方ですか」
社の横から、そっと男が歩み出た。
「ご報告にと。散った花を集める準備が整いました。直ぐにでも接触を図る所存と、お伝えしに参ったのですが」
「時はもう残されておれませぬ。申し訳在りませんが、先駆けたる貴方には労をお願い致します」
「すでにそのつもりにて動いて居りますれば、安心して己がお役目を務められよ」
白い顔が儚げな笑顔を浮かべた。
「今此処に、波乱の風吹きたり。導かれる者に幸あらんことを」
社の扉が開き、男は開いた闇に身を沈めたその一瞬、空に浮んでいた銀月が、朱色へと染まった。
「さあ、兵の宴の始まりだ」