8.私には私の誇りがある
私が美女としての暮らしを楽しんでいるうちに、月日はどんどん流れていった。
ジョット殿下とは、王都公園の池でボートに乗った。
露店にも何度も遊びに行った。
宝飾品店に行ったりもした。
私は宝飾品店で、ジョット殿下に好きな品物を選ばせてもらった。どれもこれも美しかったり、かわいかったりして、かなり迷ってしまった。
最終的に、私は白鳥モチーフのペンダントトップを気に入り、ジョット殿下に贈ってもらった。
「ボナが私を身につけてくれるのか」
ジョット殿下は私の耳元でささやきつつ、ペンダントを付けてくれた。
私はペンダントのお礼に、自らの手でハンカチに白鳥を刺繍した。元の『怒れる猛牛』だった頃から、刺繍をやってみたかったのだ。厳つい私が、太い指で、ちまちまと刺繍をするなんて似合わない。人に笑われそうだと思って、ずっとやる勇気を持てずにいた。
――私とジョット殿下は、儚い夢を見ているのだ。
この一時を楽しんで何が悪い。
他の者たちも、それをわかっているのだろう。
文句を言ってくる者など一人もいなかった。
そうしているうちに、立太子式をやり直す日が来た。
立太子式を終えたら、私はジョット殿下と婚約する。
そして、いずれは結婚式をし、初夜を迎える。
私は初夜の寝台で、元の『怒れる猛牛』に戻ってしまうだろう……。
その後は、どこかの辺境騎士団に入れてもらうつもりだ。
愛するジョット殿下の統治なさる国を、微力ながらお守りさせていただく。
私に望めるのは、このような人生だろう……。
辺境には、ジョット殿下にいただいた品物は、なに一つ持って行かないつもりだ。
ただこの胸の奥に、ジョット殿下との思い出を秘めて生きていく。
ガラス細工は壊れることがあるし、ネックレスだって千切れることがある。
私はジョット殿下との美しい思い出を、永遠のものにしておきたい……。
ジョット殿下は王宮広場の祭壇に上られて、お一人で神への祈りの舞いを捧げておられる。
ジョット殿下がお召しになっている、白い麻布でできた袖なしの長いシャツとひざ丈のパンツからは、鍛えられた肉体が透けて見える。
舞いは、力強く、時に荒々しく、野性的な男性美に満ちている。
ジョット殿下のすべてが、危険な美しさを孕んでいた。
――今、この時が、最も危ないのだ。
前回だって、ジョット殿下がお一人で舞っている時を狙われた。
私はジョット殿下に『おねだり』をして、一番近くで舞いを見させていただいていた。
「殿下の舞うお姿を、誰よりも近くで見たいのです」
私が上目遣いでお願いしたら、ジョット殿下は顔を真っ赤にしてうなずいてくださった。
私には特別席が用意され、王族待遇で舞台の横にいさせていただいている。
「わあ、ジョット殿下、素敵だわぁ……!」
私は無邪気を装って、祭壇に近づいた。今の私の容姿ならば、こんなことをしても様になる。
ちょっと頭の悪い女が、ジョット殿下の寵愛を得ていい気になっている――。
きっと、そんな風に思ってもらえているだろう。
どうせ元に戻ったら醜い『怒れる猛牛』のくせに、とでも勝手に蔑んでくれ。
――一本の矢が、ジョット殿下に向かって飛んできた。
やはり来たか!
私は舞台に飛び込んで、ジョット殿下の腰に抱きついた。
ジョット殿下は祭壇の床に転がり、目を大きく見開く。
矢が、私たちの真横に突き刺さった。
「殿下、お許しください」
私はジョット殿下の肩をつかみ、深く濃厚に口づけた。そして、すぐにジョット殿下の上から退いた。
全身がひどい痛みに襲われる。同時に、押し込められていたなにかが、解き放たれるような感覚があった。
私の身体からは、白い湯気のようなものが立ち昇っている。『美女灰』の呪いというのは、このように解けるものなのか。
「ウオオォォォ――ッ!」
私は両腕を広げ、天を仰いで、大声で叫んだ。
私の首元で、プチンという小さな音がした。白鳥のペンダントの鎖が切れたのだろう。
私の肩や腰には、愛らしいドレスだった布が絡みついている。私はそれらをむしり取り、祭壇の床に投げ捨てた。
こういうこともあるだろうと思っていたのだ。
私はドレスの下に、『怒れる猛牛』だった頃のタンクトップとハーフパンツを身につけていた。
こんなでも、私だって女だからな……。さすがに裸で戦うことはできない。
私は両手を握りしめた。呪われていた時とは違う力強さがある。
「私は『怒れる猛牛』ボナ・フェルス! 王太子ジョット殿下をお守りする者である!」
私は大声で宣言した。
「あの女、また邪魔をするのか!」
と男が叫んだ。王妃派の誰かだろう。
邪魔するに決まっているだろう。
私はお前たちを邪魔するために、『怒れる猛牛』になったのだ。
この『怒れる猛牛』の姿こそ、私の真の姿だ。
そこに女性としての幸せがなくとも……。
誰からも愛されなかろうと……。
私には私の誇りがあるのだ。
――この南方の部族民らしい、大柄で力強い肉体こそ、私の誇り!
亡きステファニア王妃殿下との約束を守り、ジョット殿下をお守りする。
愛する方をお守りできるのだ……。
それはそれで、幸せな人生ではないか。
「ボナ・フェルスは丸腰だ! 怯むな!」
王妃派に買収された貴族や騎士たちが、手に剣を持って祭壇に向かってきた。
丸腰? それがどうした! 剣など奪えばいいだけだ!
私はジョット殿下の前に立ち、手を握ったり開いたりした。
全身が痛む――。だが、それ以上に、私の戦士としての血が沸き立っていた。
最初に斬りかかってきたのは騎士だった。私は振り下ろされる剣を避け、騎士の懐に飛び込むと、腹を力いっぱい殴りつけた。
騎士は「グェッ」という情けない声を上げながら、剣を祭壇の床に落とした。
私は騎士を蹴り飛ばし、剣を拾った。
騎士の身体は、迫ってきていた敵に向かって倒れた。敵の何人かが騎士に巻き込まれ、祭壇の手前で無様に転がる。
「死にたい者はかかって来い!」
私は剣をふり上げて、敵を威嚇した。
また矢が一本飛んできたが、私は剣で軽々と矢を打ち払った。
どうせなら三本くらいまとめて射ってこい!
「そんなことで、この私を殺せるのか!」
私は大声で挑発した。
できることならば、ここでジョット殿下の敵を殲滅しておきたい。
私はこの後、どこかの辺境騎士団に入団させてもらう予定なのだ。辺境に行ったら、ジョット殿下をお守りできなくなるからな。
「ボナ、後は私に任せろ」
ジョット殿下が、落ちていた剣を拾った。
この状況で任せろと言われて、任せられるわけがない。
「ええい、腹立たしい。最初からこうしておいたら、ボナに痛い思いをさせずに済んだのだ」
ジョット殿下はなにかおかしなことを言いながら、王族席へと歩いていった。
そして――。
ジョット殿下は剣を片手に、ベアトリーチェ殿下の前に立った。




