2.私が元から美女だったなら……
私が目を覚ましたのは、二日も経ってからだった。
立派な白いレースの天蓋が見えて、私は慌てて起き上がった。
私はジョット殿下によって、第一王子宮の一室に運び込まれたようだ。
しかも、警備の関係でか、王子妃用の居室の寝台に寝かされているように見える。
壁の装飾が第一王子宮のものであることと、寝台の豪華さからの推測だが……。たぶん当たっているだろう。
「おお、ボナ……! 目を覚ましてくれたか!」
ジョット殿下が、寝台の横に置かれた椅子に座っていた。
「これは、ジョット殿下……。失礼いたしました」
私が寝台を降りようとすると、ジョット殿下に止められた。
ジョット殿下は、少しお疲れのような顔をされている。
「気分はどうだ? 痛みは? 『美女灰』は、変化する時に激しい痛みを伴うと聞いたぞ」
「これしきの痛みなぞ、どうということはありません。私はこの国を守る『怒れる猛牛』でございます」
私はジョット殿下に笑いかけた。
私の二つ名は、蔑称だ。『怒れる猛牛』などと呼ばれて喜ぶ女はあまりいないだろう。私だって『白百合の戦乙女』や『気高き戦女神』や……。許されるならば、『天上の舞姫』だの『麗しの刺繍令嬢』だのと呼ばれてみたい……。
だが、私に似合うのは、勇猛な男のような二つ名だ。
私はこの二つ名によって、陰で『ボナは女じゃない』などと笑われていた。だから、あえて自ら『怒れる猛牛ボナ・フェルス』を名乗り、この二つ名を気に入っているようにふるまってきた。そんなことで傷ついているなどと思われたくない。悔しいじゃないか。
「平気なわけないだろう……。二日も意識を失っていたのだぞ」
ジョット殿下の手が伸びてきて、指先が私の頬に触れそうになった。
「殿下!」
近衛騎士が焦った声で呼んだ。
ジョット殿下ははっとしたような表情をして、手を引っ込めた。
私は自分の身体を見下ろした。黄金色の巻き毛がさらりと胸に落ちる。
――ああ、髪が伸びたのか……。
これも『美女灰』の効果だ。その時代のその地域にあった美女に変身するのが、この『美女灰』の呪いなのだ。
過去に『美女灰』を浴びた王子の中には、その美しさや色香に惑わされた男に襲われて精神を病み、塔から身を投げた者もいたらしい。
バカバカしい思いつきのような呪いのくせして、死んでしまうことさえある。『美女灰』は実に嫌な呪いなのである。
「あの……、鏡を見せていただいても……?」
私はジョット殿下に問いかけた。自分の姿がどうなっているのか、非常に気になる。
「ああ、そうか。そうだね。見た方が良いかもしれないね」
ジョット殿下は侍女に命じて、手鏡を持ってこさせてくれた。
私は、銀の装飾が美しい手鏡をのぞき込んだ。
髪はやはり黄金色で、ゆるく、ふわりと、小さな顔のまわりを飾っている。
褐色だった肌は、すっかり白くなっていた。
目は、瞳の色こそ緑のままだが、まつ毛が長くてぱっちりしている。
鼻は形よく、頬はふっくら、唇は薄い。
美しくも、愛らしくも見える、絶妙な顔立ちだ。万人受けを狙ったのだろうな。
私は手鏡を侍女に返した。
「ボナ、感謝している。私がその姿になるところであった」
ジョット殿下は椅子から立って、寝台の横でひざまずいた。
「殿下! ジョット殿下! 困ります! 私は騎士として当然のことをしたまでです!」
私は寝台から飛び降りて、ジョット殿下に立ってもらった。
今の私は、ジョット殿下よりもだいぶ背が低い。
――これではジョット殿下を背後に庇えないではないか。
以前の『怒れる猛牛』だった私ならば、広い背中でジョット殿下を隠せたのではないか? いや、私もそこまで大きくはなかったか……。
ジョット殿下は細身で長身だ。だが、しっかり鍛えている。
「ボナ、そんなに私を見つめて……。私がどうかしたか?」
ジョット殿下が困惑した声で訊いてきた。
「申し訳ありません。この今の私で、どれだけ殿下をお守りできるのか……、と考えておりました……」
「そんなこと……。ボナには、もう充分に守ってもらったよ」
ジョット殿下は、甘くほほ笑まれた。
私はこれまで、男性からこんな風に笑いかけられたことなんてなかった。
なるほど、これが美女というものか。
私は自分の服を見下ろした。白い簡素な夜着だ。侍女が着替えさせてくれたのだろう。
これまでは胸板と呼ぶよりなかった力強い大胸筋は、二つのやわらかくて大きなふくらみに変わっていた。……後でこっそり触ってみよう。
「目のやり場に困るな……」
ジョット殿下が顔を背けた。頬が少し赤いように見える。
「申し訳ありません」
私は騎士らしく右手を胸に当てて詫びた。
――ああ、今後はカーテシーという淑女の礼が似合うかもしれない。
カーテシーも後でこっそりやってみよう。
「身体の痛みはどうだ? ボナ、無理をしてはいけないよ。まずは医師に診察してもらおう」
ジョット殿下は私を寝台に戻し、自分もまた椅子に座った。
私は心の内で殿下の言葉を反芻する。
『ボナ、無理をしてはいけないよ』
やさしい声音だった。
美女というのは良いものだな。ジョット殿下ほどの身分の高い美男子でも、このように丁寧に話してくれるのか。
『ボナ、無理をしてはいけないよ』
そんなことを言われたのは、騎士学校に入学したての頃、老いた教官からの一度だけだった。
二度目がこの国の第一王子殿下だとはな……。
ああ、そうだった。
「ジョット殿下、立太子式は……」
「中止になった。後日、改めて行う。それも、私が男として生きていてこそだ。ボナのおかげだよ」
「身に余るお言葉です」
私は寝台に座ったまま、右手を胸に当てて礼をした。
「心から感謝しているよ」
「もったいないお言葉です」
これまでの私に与えられる最上級の言葉は、感謝だった。それも悪くなかったが……。
『ボナ、無理をしてはいけないよ』
あの甘美な響き――。
私は好いた男性と触れあえば、元の醜い『怒れる猛牛』に戻ってしまう。
美女の姿の私を好いてくれた者たちは、みんな去っていくだろう。
なんと残酷な呪いなのか。
『相思相愛となった男』
そんなものができたところで、結ばれない定めではないか。
――ああ、私が元から美女だったら、呪いなど成立しなかったな。
私は苦く笑った。やはり私は、他の者が言うように『女ではない』ようだ。




