1.私がジョット殿下をお守りするのだ
茶色い小さな革袋が、第一王子殿下に向かって飛んでいく。
投げたのは、この立太子式に出ている王妃派の誰かだ。
十八歳を迎えて王太子となられる第一王子のジョット殿下は、王宮の広場にある祭壇にお一人で立ち、神に祈りの舞いを捧げておられた。
ジョット殿下がお召しになっているのは、白い麻布でできた袖なしの長いシャツとひざ丈のパンツ。どちらも、うっすらと肌が透けている。
ジョット殿下は、この国の象徴たる『三つ頭の翼獅子』の動きを模し、羽ばたいたり、回ったりされていた。
野生美あふれる舞いが表現しているのは、知恵と勇気と慈愛。
美しく羽ばたくジョット殿下のおそばには、護衛は一人もいなかった。
――私ならば間に合う!
王妃殿下の近衛騎士として、祭壇の真横に立っている私。
女ながら『怒れる猛牛』の二つ名を持つ、この私ならば!
「ああっ、ジョット!」
王妃殿下が、わざとらしく叫ばれた。
ジョット殿下は、亡き前王妃ステファニア殿下の一人息子だ。ステファニア殿下は、私が騎士として最初にお仕えした方である。
現王妃であるベアトリーチェ殿下のまわりには、私以外にも近衛騎士が何人もいる。
――私一人が抜けたところで、そう大きな問題にはなるまい。
私は瞬時に考え、覚悟を決めると、全力で跳躍した。ジョット殿下を突き飛ばし、飛来する革袋に向き直る。太い両腕を交差させ、頭を守る。
革袋は私の腕に当たった。灰のような粉がキラキラと輝きながら、私に降りかかった。
「――ウッ、グゥッ」
全身がものすごい痛みに襲われる。だが、私は、痛みを必死でこらえて立ち続けた。
私ならば、こんな小さな革袋など、ジョット殿下を突き飛ばした上で避けることもできた。なんなら、つかみ取ることだってできたと思う。
だが、私は、あえてこの身で攻撃を受け止めた。
どうせ犯人は、現王妃派の息のかかった者だ。
後から革袋の中身を検証することになったなら、中身は小麦粉かなにかだったことにされ、単なる『悪質な嫌がらせ』として処理されてしまうだろう。
――『美女灰』だったと証明できなくなる。
我が国では、王位継承権は王子だけに与えられる。
『美女灰』は、我が国に伝わる呪いの粉だ。遠い昔に失われた、魔法なるものの残滓――。王宮の地下にある秘密の暖炉で、白い鳩の羽根とハシバミの枝を燃やすことでできると言われている。
この『美女灰』は、その名の通り、灰をかぶった者を美女に変える。過去、何人もの王子が、この灰によって美女に変えられ、王位継承権を失わされてきた。
この『美女灰』は、相思相愛となった男と深く口づけたり、初夜を迎えたりした場合には、呪いが解けるようになっている。女が相手では、呪いは解けない。
過去に呪われた王子たちの中には、どうしても元に戻りたくて男性と関係を持った者もいたらしい。だが、『相思相愛となった男』というハードルは高かったようで、元に戻れた王子は記録にある限り一人しかいない。
他の王子たちは、そのまま美女として一生を終えたようである。妻を迎えた王子も一人いたが、女性相手では元に戻れなかったことが証明されたと記録にある。
「そなた、ボナなのか!? なぜ……!」
ジョット殿下がお声をかけてくださった。
私のような醜い女に……。南方の部族の血を引く私は、褐色の肌に赤い髪に緑の瞳。この赤毛が厄介な癖毛で、短く刈るよりない。顔はそこらの男より厳つい岩石みたいで、身体だってゴツゴツとして大きい。服は、肩幅が広すぎて男物しか似合わない。
この国の貴族は、白い肌に、金や銀の髪。瞳は青や緑だ。私の瞳が緑なのは、父であるフェルス男爵の血によるものだ。
私の母は貧しい南部を出て、フェルス男爵家で下女をしていて、酔った旦那様のお手がついた。私は男爵家の庶子なのである。
母がどんな容姿の女性だったのか、私はあまりよく覚えていない。母は私が五歳の時に、奥様に階段から突き落とされて亡くなった。母は亡くなる時、奥様を道連れにしてくれた。奥様の服をつかんで、一緒に階段を転がり落ちたのだ。
その二年後、父は「女は恐ろしい」と言って、私を騎士学校に入れた。
そして、十一年が経ち、今に至っている。
「はい……。ボナ・フェルスでございます……」
私は、なんとかジョット殿下に返事をした。
なんだか声が綺麗だ……。自分の声とは思えない。
私は自分の手を見た。白くて、細くて、こちらも自分の手ではないみたいだ。
――ああ、やはり『美女灰』だったか……。
ジョット殿下をお守りできてよかった。
「まあ、ボナ! なんということなの!」
王妃殿下の焦ったお声も聞こえた。
現王妃のベアトリーチェ殿下には、ご自分が生んだ第二王子のライモンド殿下を王太子にしたいという野望があるのだろうが……。
あいつ……、いや、ライモンド殿下は無理だろう……。ライモンド殿下は母親のために、なんとかジョット殿下と張りあおうとしておられるが……。勉強より、武芸より、酒と女と賭け事がお好きな方だ……。
ライモンド殿下に対しては、多くの臣下たちが、おとなしく臣籍降下して公爵になってほしいと思っている。
「クッ、ウグッ!」
とにかく全身が痛い。少し動こうとするだけで激痛がはしる。
現王妃派が次になにをしてくるか、わかったものではないのに……。
私はついに、その場に座り込んでしまった。
「ボナ!」
というジョット殿下のお声が聞こえて、私は力強い腕に抱き上げられていた。
「ジョット……殿下……」
ジョット殿下のお顔が、ひどく近くに見えた。
王族らしい銀の髪が冷たく輝き、濃紺の瞳は闇夜を思わせる。端正なお顔は、まるで彫像のよう……。
――ああ、お母上によく似て、とてもお美しい方だ……。
私はそう思いながら、意識を手放した。




