前の住人

　アパートの郵便受けには大量の広告が詰まっていた。

「たった一日で、この量？」

　都会に引っ越してきて、ポスティング広告の多さに驚いている。

　不動産やパチンコ、政治家のチラシ……。

　全っ然、興味ない。

　その中に、一通の地味な茶封筒が挟まっていた。

　「前野充人様……？」

　私宛ての郵便じゃない。

　住所は……合ってる。私の部屋の番号も書いてある。

　ああ。きっと、私の前にこの部屋に住んでいた人だわ。

　「重要書類在中」

　赤い文字で書いてある。きっと大事な手紙が入っているんだろうな。

　他人宛の封筒を開けたら犯罪なんだっけ。

　知らなかったとか言って開けてもいいかな……いやいや、やめとこう。本当に法律違反だったら厄介なことになる。

　本当にこういうのって困る。

　どうしたらいいかは、ＳＮＳで詳しい人が教えてくれるはず。

　封筒の写真撮って、住所を★★★で隠して、いつもの流れでＳＮＳにアップ。

『前に住んでた人の手紙届いた

　前野充人だって

　どうすりゃ良いん？（´ω`）』

　皆様のお知恵をお待ちしております。

　でも、この部屋の前の住人か。

　あの床の端にある傷。あれを付けた人なのかな。

　やっぱ気になる……。

　スマホで「前野充人」を調べてみる。

　名前を調べるだけなら問題ないっしょ。

　検索の結果、ＳＮＳアカウントがヒットした。

　三人か……。この中に居るのかな？

　一人目。ちょっと太めのおじさん。

　子供との写真がいっぱい。このワンルームで家族は住めないから、単身赴任かな？

　それか、結婚前に住んでいた……娘が小学生っぽいから、七年以上前か。

　ちょっとなさそう。

　二人目。ゲームキャラのアイコンだ。

　ゲーム情報をいっぱいリツイートしている。プロフィールによると現役中学生。中学生が一人暮らしとかしないよね。

　これはない。

　三人目。顔も年齢も不明。でも出身は北海道。

　この人は八年前に呟いておしまい。『自動車学校へ行った』という投稿が最後。

　フォローも少ないし、すぐにＳＮＳやめたんだろうな。この人の可能性はあるけど、決め手がないわ。

　次に検索に上がってくるのはスポーツ大会の結果。

　中学・高校生の大会とかは学校名とフルネームが載っていることが多い。表彰式の写真が上がっていることもある。

　テニスでインターハイ優勝した人が北海道の学校だ。もしかしたら自動車学校に行った人と同じ人かな。

　名前しか書いてないから顔は分からないけど、試合の年度と学年からすると、私と同い年。

　それから姓名判断のページ。

　これは関係ないから飛ばしていく。

　検索のさらに下の方には、掲示板サイトの古い記事。ニュースを語るスレッドみたいだ。当時のネットスラングがいっぱいで読みにくい。

『【速報】アパートで女性殺害』

　なんでこんなニュースが？

　開いてみると、四年前の殺人事件のニュースだった。この市内で起きた事件。

　私が大学生の頃の事件だ。

「え……嘘！？」

　その容疑者の名前が「前野充人」だった。

『自宅アパートで女性を殺害した容疑で…』

　自宅アパート！？

　もしかして、この部屋で……？

　うそ、嘘、ウソ！

　事故物件だなんて聞いてない。

　事故物件には通知義務があったはず。だから、きっと違う。

　たまたま同じ市内に同じ名前の人が居たんだ、きっと。

　掲示板を読み進めていく。

『容疑者は逃走中で、警察が指名手配』

　まだ逃げてる？

　いやいやいや。四年前の記事だし、さすがにもう捕まってるよ、きっと。

　　ヴヴヴ

　うおぅ！！

　びっくりした。なんだ、リプライか。

　このタイミングのリプは悪意があるとしか思えない。

『手紙を出してる所に連絡したらいいよ

　ここにその人は居ませんって

　その時に送り返すか捨てるか聞いたら？』

　そうか。差出人に連絡か。

　それは思いつかなかった。

　やっぱり持つべきものはＳＮＳだね。ちゃんと正解が返ってくる。

　私はさっきまでの恐怖を忘れて、封筒を確認する。

「あ……れ？」

　表にも裏にも、差出人が書いてない。

　重要書類在中なんだから、役所とか企業とかから送られた封筒のはず。なのに、どこから送られてきたか分からない。

　やっぱり、開けて確認しないと駄目か。

『封筒に差出人書いてない(T_T)　中を見るしかないわ』

　そう呟いた直後。

　　ヴヴヴ

　私が封筒に手を掛けようとしたら、次々とリプライが届く。

『それ、おかしくない？』

『前野充人って名前の殺人犯がいるみたい』

『開けちゃダメです』

『気を付けて！　その人はあなたの住所を知ってるよ』

　色んな返事がきた。

　私と同じサイトを見つけた人もいる。

　その人って誰？

　私の住所を知っている人？

　親？　会社の人？

　あ……、「前野充人」だ。

　彼はここに住んでいた。なら、住所を知っていて当然。

　やってしまったかもしれない。

　彼が自分の名前でエゴサーチしていたら、私の投稿に辿り着く。

　私は今までどんな呟きをしてきた？

　最近引っ越した。一人暮らし。

　仕事に行く時間、帰ってくる時間。

　好きな食べ物。はまったドラマ。

　よく飲むお酒。誕生日を祝った日。

　ネットで検索した「前野充人」達の情報より、私はもっと多くの個人情報を発信している。

　さっきの投稿を見れば、家に帰ってきていることだって分かってしまう。

『その封筒、その人の罠だったりして

　ヤバくない？』

　慌ててＳＮＳから呟きを消そうとした。

　指が震えて、上手くタップできない。

　その時。

　　ガチャリ

　玄関の鍵が、外から開いた。

　そうだ。前の住人ならこの部屋の合鍵を持ってるかもしれない。

　不動産屋め、鍵の交換しとけよ！

　私は状況を理解し、後悔した。

　ああ、殺人犯かもしれない人の名前なんて晒すんじゃなかった。

　　ヴヴヴ

　私はもう、リプライを確認することができない。

　その夜、掲示板サイトに新しいニュースが掲載された。

『【速報】アパートで女性殺害【四年前と同じ部屋】』

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事故物件の告知義務は、原則として概ね３年です（国土交通省「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」）