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最悪な微笑み

嫌な笑みが頭に残ったまま時臣は事務所へ帰り、謎な笑みに歯噛みする。

唯希(いぶき)~塩~』

 インターフォンでそう告げて、自宅へ入る際に唯希に塩をかけてもらい部屋へ戻った。

「お疲れ様です」

 唯希はそれだけを言って仕事を続け、時臣は着替えに部屋へ入る。

 猪野充が目の前で飛び降りてから8日が経っていたが、晴れて無罪になっても時臣の気持ちは晴れないでいた。

 唯希はそれが少し心配だったが、何もかける言葉がなく今に至っている。

「結構人来てたわ」

 パーカーとスエットに着替えてきた時臣は、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出しグラスに注ぎながら唯希へ報告がてら話を始めた。

「お父様が大学教授、お母様が高校の先生だったですよね。人脈が広いんでしょう、色々な人が来ていそう」

「まあなぁ。確かに賢そうな人ばかりだった気がする」

 誰の顔も見ていないが、雰囲気で、とそう言って唯希に『なんですかそれ』と笑われて、時臣はダイニングテーブルの唯希の正面へ腰を下ろした。

「告別式には行かないんですよね」

 今回の猪野充の調査書を作っていた唯希は手を止めて時臣をノートパソコンの上から見てくる。

「まあ、そこまでの義理はな…あの葬儀屋にも会いたくねえし」

「葬儀屋?知り合いでも?」

「いやー、なんか変な空気醸してる奴が1人いたんだよ。まあ俺が生理的に嫌いな感じなだけなんだろうけどな」

「珍しいですね。ボスがそう言う風にあからさまに他人をディスるのって」

「俺だって人間だ。嫌いな人間のタイプくらいはある」

ーまあそうですけどー

 そのままアイスコーヒーをちびちびしながら何か考えてる時臣をチラチラと見て、まだ少し引きずってるんだな、と唯希(いぶき)は理解した。

 目の前で人に飛び降りられると言う経験は、10年この稼業をやっている中で初めてだった。

 助けられなかったこととか、早く見つけてればとか、なんで追い詰めてしまったかとかの自責の念がかなりある。

 今まで自信満々で来た訳ではないけれど、それでも今回の一件はこれからの時臣の行動に少しは影響してくる出来事だった。

 飛び降りる直前の猪野充の表情は焼きついて離れない。

 何かに怯えているようで、微妙に救済の気持ちがこもっていたのが印象に残っている。助けてほしいような目を一瞬したのは何故なのか…

 が、それも今となってはもう関係のない事であった。

 その顔は時臣しか見ていないし、2度と見たくない表情でもある。あんな怖い顔は2度とごめんだとさえ思う。

 そんな鬱々とした気分の最中に、あの変な葬儀屋の木下。あいつなんなんだ?ここまで自分に考えを及ばせる木下に疑念を抱く。

『笑いやがったよな…絶対見間違えない。なんだったんだ…見透かす様な小馬鹿にしたような顔してた…』

 今はまだその意図に全く考えが及ばないが、それを忘れてしまおうと思うのは些か難しそうだった。

 それだけ印象深い笑みだった。


 葬祭会館では20時に人が引け、明日の告別式の準備と親族が夜伽で泊まる部屋等を案内したりの時間が過ぎてゆく。

「木下君、ちょっと」

 木下も、祭壇の確認や告別式の看板を入り口に用意したりと動いていたが、部長に呼ばれて裏へと向かった。

「社長が呼んでいる。すぐにくる様にと言ってるから急いで行ってくれ」

 社長というのは最近跡を継いだ30歳そこそこの2代目だ。

 葬儀社『蓮清堂(れんせいどう)』は、今は4つの支社からなり本社には会長の伊丹源蔵(いたみげんぞう)がおり、これまでは長男と次男が2店舗ずつ各支社を任せられていたが、最近この用賀(ようが)支店は、3男の賢也(けんや)に任されることとなった。

 末っ子ということで甘やかされて育った賢也は、学生時代遊びまわり、留学と称して海外を旅行しまくって、30になるこの年にやっと社長業へと就いたのである。

 家業の何たるかも知らず引き継いだ典型的なボンボン社長で、この社長になってから業績が一時大幅に下がった事があった。

 社員の前には出ないし、決済をせず仕事を滞らせ、文句ばかり言って社内での売上向上プランなどは全てダメダメで通し、自分の案を採用しては失敗する始末。

 しかしそんなボンボン社長も、木下には一目置いていた。

 実は木下は、学生の頃高校生だったこのボンボン社長伊丹賢也の家庭教師をやっていた事があったのである。

 高校時代から遊び呆けていた賢也に辛抱強く勉強を施し、かっこいいからと言うだけで志望した有名私立大学へと進学をさせた実績があった。

 それが会長である伊丹源蔵に気に入られ、ちょうど就職時期だった木下はこの職場への入社をさせてもらえたのだ。

 それ以来ずっとここで働いている。

 賢也は学生の頃の所業を見るだに会社を継ぐことはないと誰もが思っていたが、余りに放蕩が過ぎて葬祭会館の1つを任せれば、少しは落ち着くだろうという親バカな考えでこの店舗を任された。

 が、全くうまく機能はしなくてその補助に木下がついていたのだ。

「木下先生が言うなら~」

 と家庭教師をしていた頃の癖をそのままに全面任せ切りなことを言うので、皆がプラン等の会議で決まったことを通すときは木下経由で行くのがこの店舗のセオリーとなっていた。

 そしてまた、木下もそんな賢也にはある意味別の感情があり、付き従うことはなんの苦労もないことなのである。

「お呼びですか」

 ノックをして返事を聞いてから部屋へと入った木下は、デスクに両足を乗せて棒付きキャンディを転がしている賢也に眉を寄せた。

「賢也さん、会社ではもう少し社会人らしく振る舞ってもらわないと」

 近寄って足を下ろすように言い、ーまあ飴は100歩譲っていいですがーと、足が乗っていた箇所を棚のウエットティッシュで拭う。

「細かいなぁ先生は。俺部屋から出てないじゃん。社会人としてってさあ~」

 椅子を左右に回しながら面白そうに木下を見上げる賢也は、30歳ではあるがまだ学生に見える様な落ち着きのなさだ。

「テーブルやデスクに足を乗せないのは常識です。それで、ご用はなんです?」

 常識ねえ~ーと椅子をくるっと一回転させてデスクに向き直り、頬杖をついて脇に立つ木下を見上げる。

「今日、俺ん家においで?」

 顔立ちも幼く、美形ではないが愛嬌だけはある可愛らしい顔が木下を捉えた。

 その言葉の意味するところは、木下と自室で『遊び』たい。そう言うことである。

 女遊びも飽きた賢也が、今度は木下を相手に男遊びを始めたとは誰も気づいてはいない。

 元々がゲイである木下は、家庭教師をしていた頃に密かに可愛いなと気持ちを寄せてはいたがまさかバレてるとは思っていず、賢也がここの社長になった時にそれを突かれ、元々気持ちもあった木下はズルズルと社長である賢也と『そう言う関係』を続けていた。

 そう言う関係とはいえ、流石に賢也が未だ踏み切れずにお互いを慰め合う程度で収まってはいる関係だったが、木下にはいずれは…などと言う気持ちがないわけではなかった。まだ早い、と言う感じでいるだけだ。

「明日も早いので、できたら明日の夜にしていただけたら…」

 午前中早いうちから葬儀にやってくる親族や、弔いの人を捌かねばならず、夜のお遊びをするとなると少々しんどい。

「えー、いいじゃ~ん。俺と気持ちいいことすれば、身体楽になるっしょ?」

 惚れた弱みとはよく言うが、そう言うところをついてくるのは賢也は上手かった。伊達に女性相手に遊んできたわけではないと言ったところか。まあ無駄な技量ではあるけれど。

「でしたら、10時半頃には伺えます。賢也さんはもう帰られますよね」

「うん、もう定時過ぎてるしね」

「わかりました。じゃあ10時半頃に伺います。あ、それとお帰りの際は、今日はお客様いらっしゃいますので裏から出てくださいね。よろしくお願いします」

「俺だってそのくらいの事はわかってるって。じゃあまたあとでね。待ってるよ」

 脇に立つ木下の股間あたりを、靴ごとの足でちょいちょいとくすぐり、

「じゃあ行っていいよ。早く終わらせてね~」

 くるりと椅子を反転させて、後ろのパソコンに向かうとゲームを始める。

 その後ろ姿に

「くれぐれも裏口からお帰りくださいね」

 とだけ言いつけ、木下は部屋を出た。

 準備が進む会場へ向かいながら、木下は考える。

『賢也さんのためなら、なんでもできる。今回も成功した。賢也さんを社長でいさせるのを、俺がやるしかないならやっていかなければ…』

 決意を固めたような目で廊下を歩き、未だ灯の灯っているホールの入り口で一度止まり、ネクタイを締め直して扉を開けた。


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