第四話「空の学府」
汐原達との船旅が始まりはや四日が過ぎた頃、遠方に大陸の影が見えた。
「お、見えてきましたね。セルビュリア王国」
甲板から望遠鏡で"空"を覗き込みながら汐原が言った。
その声に釣られて空を仰ぐと、薄雲の切れ間に霞む陸の影がぼんやりと浮かんでいた。
近づくほどに、塔のような尖った建造物が並び、海風に翻る紋章旗が点々と見える。
「……話には聞いていたが、なんと面妖な。まことに空に浮かぶ都があるとは」
「学術と魔導の都ですから。あれこそセルビュリア王国が王都、リュミエールです。世界でも稀に見る“空の学府”ですよ」
セルビュリア王国――
それはヤマト国の南西、遥かなる海の果てに広がる魔導文明の国である。
王政を敷く国家でありながら、政治の実権は“魔導院”と呼ばれる巨大な学術機関が握っている。
魔導技術と科学理論を融合させた“魔工術”を基盤とし、都市には魔力で浮かぶ列車や空中楼閣、音を運ぶ魔導管が張り巡らされているという。
なかでも王都リュミエールは、都市全体が半ば浮遊しており、“浮遊石層”と呼ばれる鉱物の力によって空に浮かぶ構造となっていた。
──空の学府。
学び舎でありながら、王国の中枢を担う大陸随一の知識と力の塔。
そこに、俺の魔法の師であるエルフリーデが学長として在するというのだ。
「空の、学府……」
俺は小さく呟いた。
自然に囲まれた森で育った自分には、まるで絵物語のような光景だった。
海から見上げる塔々は、まるで天に刺さる剣のように、静かに空を突き上げていた。
海は穏やかで、波が船底を撫でるように揺れていた。
港が近づくにつれ、空に浮かぶ都市の下層部がゆっくりと輪郭を持ち始める。
巨大な浮遊基盤には無数の杭が打ち込まれ、吊り下げられた鎖道や階層型の港湾施設がそのまま都市の“根”を形成しているようだった。
俺は思わず息を呑む。
地に根を張らぬ都市。
それはまさに、この世の理から逸脱した、ひとつの“異界”のように思えた。
「着岸まであと少しです。入国検査がありますから、身支度は整えておいてくださいね」
汐原の言葉に頷きつつ、腰の打刀の柄に手を添える。
──己が剣と術が、異郷の地に通ずる鍵となるのならば、それでよい。
やがて船は、浮遊都市リュミエールの懸架港へと静かに滑り込んでいった。
§
港へ入ると大勢の人の賑わいが聞こえてくる。
「級に人が増えましたな……」
「ここは王都と外界を繋ぐ港ですので、船乗りや旅人が多いのですよ。まぁ、よそ者が多いので治安が若干悪いのがたまに瑕……ではありますが」
たしかに、雑多な言語が飛び交い、肌の色や服装も千差万別だった。
旅人だけではない、行商、傭兵、芸人、学徒──そのすべてが、浮遊都市の“門”に群がる。
魔導車輪で引かれた荷馬車が甲高い音を立て、空中浮遊の小舟が高所を滑るように行き交う。
ふと顔を上げると、都市の遥か頭上では巨大な浮遊石がまるで雲のように漂い、幾本もの魔力導管が光の筋を描いていた。
「……本当に、別世界だな」
独りごちた声が、喧騒の中に溶けて消えた。
入港後、俺は汐原と共に上陸手続きを済ませ、港の検問所へと向かう。
そこでは一様に、浮遊印の刻まれた札を首から提げた検問官達が、魔導探知機と書類で旅人を捌いていた。
「お名前と出身をお願いします」
「緋暘瞬、ヤマト国出身です」
「剣を帯びていますね。腕試しか魔物狩りの目的ですか?」
「学びのための渡航です。師の命により、学府へ」
「ふむ……学籍照会を……あ、ありました。『エルフリーデ学長より招致の通達あり』──こちらで問題ありません。ようこそ、リュミエールへ」
応対した検問官が軽く頭を下げ、魔導刻印の押された通行証を手渡してくる。
──これが、異国における俺の“身分”なのだろう。
「叔父上の名を出すと話が早い……さすが学長殿」
軽く鼻を鳴らしながら瞬は呟いた。
「では、私はここで。港は慣れてますが、街中は案内人がいた方がいいでしょう。きっと迎えが来ているはずです」
「わかりました。世話になりました、汐原殿。またどこかで」
「健闘を祈ります──緋暘さん」
軽く手を振って彼は去っていった。
俺はその背中を一瞬見送ったのち、正面に目を向ける。
学府へと続く、魔導浮遊路が、青白い光を灯して真っ直ぐ伸びていた。