第三話「大蛸」
彼者誰時、波止場に向かうと汐原殿が待ってくれていた。
「おはようございます。王国までの航海、世話になります」
「おはよう、緋暘さん。今日からよろしくおねがいします。船には男が多いですが、我慢してくださいね……」
「いえいえ、船に乗せてもらえるだけでありがたいので」
「それじゃあ出港しましょうか、緋暘さんは貨物倉庫の一角で夜は過ごしてもらいますね」
「承知した、よろしくおねがいします」
そうして俺達の航海が始まった。
§
沖に出てしばらく、陽が海を照らし始めた頃瞬は甲板に出て海を眺めていた。
そんな彼女の隣に握飯を頬張りながら汐原が歩いてきた。
「船旅は初めてですか?」
「ええ、森でずっと暮らしていたので」
「ほう、森暮らしですか。いつから剣を振っているのですか?」
「十年ほど」
「なんと……その若さでもう十年ですか…………」
そんな事を話していると船員の男が慌てた様子でこちらに走ってきた。
「船長! 前方に大型の魔物を確認した!!」
「……そうか、仕方ない。迂回して進もう、ヤツを刺激しないように」
「了解です!」
船内にいる他の船員達に慌てて報告しに走っていった。
(海に生息する大型の魔物か、俺には馴染みがないやつだろうな…………)
「汐原殿、その魔物は一体…………ッ!」
そう切り出そうとしたその時、俺達を大きな影が覆った。
すぐ様振り向き影の主を見据える。
そこには船の右側の海面から伸びる長く巨大な触手がユラユラと揺れていた。
「クラーケン……!?」
汐原殿が顔に恐怖を湛えてそう零した。
その触手は勢いをつけて俺達の頭上へと振り下ろさんと力が込められたのが見えた。
俺は触手の近くまで跳び上がるとそのまま刀を振り下ろす。
『雷花……!』
抜刀した勢いそのままに触手に斬り込む。
袈裟に両断された大触手は一瞬その場に残り、剣筋に沿って落ちる。
それを視認した瞬間、海面下から大気を揺らす程の轟音が響き渡った。
(自慢の腕を飛ばされて怒り心頭、か…………)
すると再び巨大な触手が現れた、そしてまたもや船目掛けて振り下ろされる。
「学ばねぇ野郎だな……毒花」
今度は両断せずに触手に刀を突き刺し、式力を流し込む。
"式力"とは生物ならば何者であれ量や濃度に差はあれど必ず持っているものであり魔力と違い体内に宿る力。
そして式力には"他者を拒む"という特性がある。
刀を介して触手から巨鮹の体内へと流し込まれた俺の式力はヤツの中で暴れ回り……内側から壊し尽くす。
肉を裂き、骨を砕き、魔力回路すら攪乱する。
やがて鳴り響いていた怒号は収まり、巨大な魔物の骸が海面に浮き上がってきた。
「なっ…………」
「終わりましたよ、汐原殿」
「……まさか、クラーケンを狩るなんて……」
「くらーけん……あの大鮹、そんな名前なんですか」
「大海の悪魔と呼ばれる魔物です、まさかこんな町から近い沖に出てくるとは……」
「へぇ、仰々しい異名ですね。悪魔と呼ぶ程でもないでしょう」
「緋暘さん、貴方何者なんですか……」
「ただのしがない剣士ですよ。さ、航海を再開しましょうか」
「……そうですね、緋暘さん。また魔物が現れたら対処をお願いできますか?」
「用心棒ですか、構いません」
「ありがとうございます」
§
大鮹との戦闘後、特に問題もなく時は経ち夜となった。
瞬は貨物倉庫に作った吊床で一人揺られていた。
窓際に置いた角灯の燈火を鼈甲飴に透かしてみる。
琥珀色の球体の中に浮かぶ小さな気泡が燦々と光っている。
しばらく眺めた後、口に放り込み舌の上で転がす。
仄かな甘みが口内で広がるのを感じながら、窓から見える星空を見やる。
(星空は森からしか見たこと無かったが、海上も悪くないな)
薄くなった飴を嚙み砕き飲み込む。
そして木造の天井をぼうっと見つめていると、淡い眠気が瞼に乗ってくる。
そのまま俺は、眠りに落ちた。