第一話「旅立ち」
昔書いていたものを再投稿します、よろしくお願いします。
ふと見上げれば木々葉々、緑の隙に差し込む、数え切れない光の筋。
目を閉じて耳を澄ませば、微風に靡く森音。
さもそれが当然であるように、ぷかぷかと浮かぶ気泡達。
ここから見える景色は、俺がここで暮らし始めた頃から何一つ変わらない。
滔々と過ぎ去る日々に、俺の暮らしも変わらない。
師匠である義父の教えの下、ただひたすらに剣の鍛錬に励む日々。
代わり映えはしないが、十二分に充実している毎日。
今日は、そんな代わり映えの無い日々に変化の訪れた日だ。
§
物心着く頃には、私は地獄に居た。
周りの者とあまりにかけ離れた容姿で産まれてきた私は、酷いいじめ・・・いや、虐待を受けていた。
毎日のように殴られ蹴られ、飯もろくに貰えず残飯を漁り、丈の合わない襤褸着物と穴が空いた襤褸草履で日々痛みに耐え続ける、そんな地獄だ。
いや、当時はそれが当たり前で、その生活が異常であることなど分からなかった。
今思えば本当に異常で、いつ死んでも・・・殺されてもおかしくない扱いだった。
しかし私の体は他の者と比べると頑丈らしく、大の大人から大振りに殴られても、無傷とは言わないが致命傷を負うことは無かった。
むしろ相手の拳が壊れることすらあった。
ある日、いつものように残飯を漁っていると急な強い眠気に襲われ、そのまま眠ってしまった。
気づけば私は父に引き摺られ、村から少し離れた森の中に投げ捨てられた。
「お前など早く死んでしまえ、この忌子め」
父はそう言った。
「お前なんて産まれてこなければよかった」
母はそう言った。
元々捨てられていたようなものだし、今更「死ねばいい」と言われたところで悲しくもなんともないと思ったが、何故だか胸の辺りが少し痛んだような気がした。
当時はよく分からなかったが、どうやら俺は他の子供のように・・・愛されたかったようだ。
§
――創世暦一七八六年
「おう、来たか。瞬」
「ったく…急に呼びつけるんじゃねえよ、親父。びっくりするだろうが」
朝の鍛錬が終わり、暇潰しに辺りを散歩していた所を大声で呼ばれたため、少し苛立ちつつ義父の下へ。
「それで、何の用だ」
「単刀直入に言うぞ。お前、王都へ行け」
「……はぁ?」
突然の義父の言葉にそう返す。
王都と言えば遠く離れた異国セルビュリア王国の都のことだ。
「…何故そんな話が出るんだ?」
「お前も今年で齢十五、そろそろ将来を考えなくちゃならん歳だ」
この世界では十八歳から大人として扱われる、あと三年しかない。
「大抵のガキは十四から十五で学校に行って社会勉強を始めるところだが、生憎とここらには学校があるような大きい街はねぇ」
「それでなぜ外国まで行く必要があるんだ、ヤマト内の都に行けばいいだろ」
「それじゃつまらんだろ、それに王都の学園の長はエルフリーデの野郎だ。お前も居着きやすいだろう」
エルフリーデとは俺にとってもう一人の父親の様な存在で、魔法の師でもある。
外国で教師をしているとは聞いていたがまさか学園長をしているとは知らなかった。
「…この話は強制か?」
「あぁ、そうだな」
「……ならば仕方ない、言う通りにしよう」
「一つ言っておくぞ瞬、これはお前を想っての話だ。お前はこの森で半生以上を過ごしてきた、はっきり言って世間知らずもいいところだ。学園ならば同年代のガキが大勢いるだろう、競い合う相手がいれば上を目指すのにも一層気合いが入るだろう。それに、心許せる友人の一人でも居るだけで、世界は結構明るくなるもんだ。…お前の剣は強い、俺が保証してやる。だがお前には人との関わりってもんがあまりに足らん、それを勉強して来い」
「……今日すぐ出ることになるか?」
「そう、だな…今日中が良いだろう。」
その言葉に俺は"そうか"とだけ返して、自室へ向かう廊下を歩く。
自室へ入り、旅の支度をする。
使い古した箪笥から着物と足袋を数組取り出し、黒の七宝文様の風呂敷で包む。
打刀、脇差、短刀を一振ずつ持ち大小は左腰に差し、短刀を腰の背の帯に差す。
その他旅道具一式を持ち、部屋を出る。
元々ものが少なかったその部屋は、ほとんどもぬけの殻となっている。
十年以上世話になった部屋、二度と帰らないというわけではないが流石に少し寂しく感じる。
自室に別れを告げ道場に戻ると、義父がこちらを向きながら玄関を開けて立っていた。
「忘れもんはねぇな?」
「あぁ」
「……エルフリーデの話では学園は年に一度長期の休暇があるようだ、その時に帰ってきな」
「おう、わかった」
「王都まで四百里はある、お前の移動速度でも最低半月は掛かるだろう。森を抜け海を渡る、その間魔物共と戦闘になるだろう。まぁお前なら心配はいらんだろうが念の為だ、気を付けろよ」
「……わかっている」
"んじゃ、行ってこい!"と背中を叩かれ発破を掛けられる。
"痛えなぁ…"と悪態を吐きながら足を進める。
一瞬後ろを振り返ると腕を組んで満足気な顔でこちらを見つめる親父が見えた。
足を止め今度は体ごと振り返る。
少し離れた場所に立っている親父と目が会う。
「行って参ります」
そう言って義父と同上に一礼を。
俺の言葉が届いたのかはわからない、だが礼儀は尽くさねば。
今度こそ振り返らずにまっすぐ森を抜けるための道を進む。
§
しばらく進むと視界が晴れた、森を抜けたようだ。
魔法を使用するために燃えるものが少ない場所まで移動する。
「さて、飛ぶか」
自身の周辺に魔力を集める。
「――空気集約」
そう唱えると集めた魔力が空気に変換される。
そして地に手をつき更に魔法を展開する。
「――熱気集約」
そう唱えると同時に高く飛び上がり、腕を広げる。
すると急激に温められた空気の塊が気流となって飛んでくる。
その塊を衣で受け、さらに高く飛翔ぶ。
「久々にやったが上手くいったな……」
俺はムササビの様な形で大空を滑ってゆく。
前髪を撫ぜる風が気持ちいいもののこのままでは目が渇き切ってしまう。
顔を伏せ空気の抵抗を無くし、時折前方と下方を確認しながら飛んでゆく。
「さて、これで何里稼げるかねぇ」
この日、ヤマトの逢魔ノ森周辺の集落では灼いムササビが空を行く様が目撃された。