第8話
子会社の代表を退く数日前、親父が、自分に対して“お疲れ様会”という名の会を、そのまま新たな職場でも働く社員、この機会をもって退職する社員のみならず、親会社に残っている社員、そして自分の彼女である灯加ちゃんを誘って、広々とした自宅にて開いたときのことだった。18時から始まった会が、社員同士のやり取りで今日一番の盛り上がりを見せる中、突然親父が言い放った一言によって、お疲れ様会の現場が一瞬にして凍り付く。
「隼哉、灯ちゃんと別れなさい」
親父はグラスに残る赤ワインを飲む。そう言われたとき、酔っている親父の冗談だと思って、自分はそれとなく、灯ちゃんのほうを見た。灯ちゃんは目をぱちぱちとさせ、状況が飲み込めていないように見えたことから、やはり冗談なのだと確信し、自分は突っ込む。「親父、何冗談言ってんだよ。灯ちゃんが困惑してるだろ」と。すると親父は老眼鏡の奥の目を光らせた。
「冗談なわけないだろ」
「ど、どうして」
「今日な、灯加ちゃんのお父さんから、娘と別れてくれという話が直々にあってな。理由を聞いたら、こちらが頷き、頭を下げるしかなかった」
「お父様……」
灯ちゃんのお父さんは、親父より年下なのだが、財力は格上で、自分と付き合うにあたり、かなりの制限をかけられていたのも事実だ。ただ、灯ちゃんは「守らなくても大丈夫。お父様に言えば分かってくれるから」と言って、その制限を破り続けた。
でも、それだけが原因だとは思えなかった。灯ちゃんの家に務める家政婦の話をたまたま聞いただけだが、少なからず、お父さんの耳には自分と灯ちゃんの付き合いに関する話が入っているようだった。けれど、3年間、一度たりとも自分、ましてや灯ちゃんにも何も言って来なかった。それなのに。
「親父、あまりにも急すぎだよ」
「仕方ないだろう。灯加ちゃん、ごめんね。今まで隼哉と付き合ってくれてありがとう」
親父の謝罪に、灯ちゃんは上品な涙を流す。思わず灯ちゃんに抱き着いて、今すぐにでも慰めてやりたいぐらいだったのに、言葉による圧で、動けないままだった。そして、社員の中で一番灯ちゃんと仲のいい、萌さんが「自宅まで見送ります」といって、2人共に帰宅した。灯ちゃんは、最後まで泣いていた。記憶に残る灯ちゃんは、いつも弾ける笑顔を浮かべていたのに。
灯ちゃんと萌さんがいなくなった会場は、恐ろしいぐらい静かになった。社員たちはスマホで時計を確認したり、周りと目配せし合ったり、ヒソヒソと耳打ちし合ったり、明らかに帰るための準備に取り掛かっていく。
「親父、今日はもう終わりにしよう。ご家庭がある方もいるし、自分の恋愛話に巻き込むわけにはいかないから」
「ああ、そうだな」
憔悴しかけの自分を余所目に、親父は来てくれた社員に対し、感謝と謝罪の言葉を告げた。社員からは、慰めの拍手とお開きに対する拍手が送られた。けれど、星野君だけは、僕のことを色っぽい目付きで見つめていた。