第4話
星野君の物覚えの良さは、もはや能力級だった。吸収力のいいスポンジみたく、教えたことは大体どれも一発で覚える。子役時代に培ってきたからなのだろうが、ここまで物覚えがいい人の教育係になるなんて。自分は楽をさせてもらっているのだろうか。それとも……。でも、星野さんの物覚えの良さによって、女性社員から嘗められるのだけは御免だ。
「隼哉さん、少し、いいですか?」受話器を耳から離した状態で、星野君は自分のほうを向く。
「どうした?」
「お客様の言っていることが支離滅裂で、何を仰りたいのか……」
「そうか。変わろうか?」
「いいんですか?」
僕は星野君が用意してくれた、絨毯が敷かれた掌の上に乗った。新人の星野君に負けて堪るか、という、馬鹿みたいな気持ちだけで。
「お客様のお名前は?」
「管さんです」
「分かった」
星野君の目を見て頷いた後、保留を切るボタンを押し、受話器を左耳に当てる。そして、申し訳ないという表情を作る。良いところを見せたい気持ちも加味して。「お待たせして申し訳ありません。お電話代わりました」
クレームに近い電話の受け答えが終わったのは、昼休憩が始まる5分前のことだった。
「隼哉さん、代わってもらって、ありがとうございました。助かりました」
「全然。ああいう人の対応、入社3日目でできる人は中々いないから。でも、その前に星野君がクッション材を放り投げていてくれたから、だいぶ落ち着いた状態で対応できた。ありがとう」
「こちらこそです」
星野君はにっこり笑いかける。その笑みは、世の悪に染まったことがない、原石のような輝きを放つ。そしてまた、自分のことを虜にする。
「あ、そうだ。隼哉さん、今日のお昼ってお時間あります?」
「あるけど……、え、どうして?」
「隼哉さんとお昼一緒に食べたいのと、まだまだ教えて欲しいことがあるので!」
メモ帳を手に持っていう星野君だったが、そのメモ帳には、星野君が一発で覚えきれなかったことだけが、綺麗な字で、箇条書きで書かれてある。
「あははは、勉強熱心だね。いいよ、自分でよければ」
「ありがとうございます!」
自分は確実に星野君との距離を縮めていった。それは、先輩としてもそうだし、教育係としてもだし、ちょっとしたラフな関係も、だ。ただ、その距離がさらに深まることはなく、自分は子会社の社長に就任した。星野さんがやって来たその年の春のこと。尽力してくれたのは勿論親父。仕事内容としては、同じくコールセンター業務なのだが、掛けてくる相手が違っている。自分が社長を務める会社に掛かってくる電話はクレームではなく、商品の注文。親父の知り合いが経営しているショッピングサイトへ、僕の会社が仲介するみたいな感じだった。
「隼哉、今日からここがお前の会社だ。くたばることなく、頑張れよ」
「うん」
星野君との別れは、あっけなかった。こうなるなら、星野君に、子会社へ来ないかと打診することを躊躇わず、社長としてちゃんとしておけばよかった。後悔だけが、僕の後を追いかけた。