第6話
金下が帰った後、両親と共に僕はテレビで夕方のニュース番組を見ていた。その際、僕が通っていた学校の話題が取り上げられ、現在どういう流れになっているのかをまとめた、専用のフリップが出され、専門家らしき人の解説とともに、状況が整理された。アナウンサーが読んだ内容によると、学校側はこの事故を不運なものとして、学校側に非があるとは認めていない、というものだった。金下が言っていた通り、夏休みに天井等を点検した際には異常は見当たらなかった、とも言っていて、更には、その時の点検で見つかった、事故が起きた場所ではなく、他の箇所での改修工事を予定していた、とも言っていた。
学校は、何か問題が起きてからじゃないと、変わらない。変わろうとしない。そのことが僕の怪我によって、再び証明された。やっぱりだ。学校は信用ならない。自分たちは問題がないと言い張って、言い逃れようとするのが流れだ。
この事故が起きたことをキッカケに、学校に務める教職員のみならず、生徒たちにもアンケート調査が行われたらしかった。それによると、僕が事故に巻き込まれる瞬間を見たという生徒は、たったの3人で、中には事故があったことを知らないと答えた生徒までいた。それは、僕という人間に興味がないということではなく、学校に通う生徒自体が、学校や他の生徒たちに対して興味がないことを示しているのだと思った。
確かに、あの高校では、今の時代では珍しいくらい喧嘩が勃発しやすく、その発端は大体がC組。僕が事故に巻き込まれる数か月前にも、クラスの男子が、A組の男子に手を出したとして警察沙汰になったし、僕が入学する以前にも、幾度となく問題行動が確認され、その度に警察やら救急やらが出動していたらしく、県内でも有名な学校だった。それだから、知らなくても仕方ないのかもしれない、とも思ったが、警察が学校に来ることに慣れている生徒が大勢いるということに、僕は恐怖を覚えた。
全国でのニュースから、地方のニュースへと切り替わる。そこで最初に取り上げられたのは、やはり、例の事故のことだった。全国のニュースと同じような内容が報道されると共に、独自に取材した映像として、そこでは、高校に通う生徒数人にインタビューしている様子が放映された。
「今回起きた事故に対して、どう思っていますか?」
「またか、と思いました。今回も警察と救急が来てたし」
「事故が起きたことは、先生方から説明は受けたのでしょうか」
「あー、まー、はい。事故以降は、その場へ近づくことも禁止されましたし――」
「1年生ということは、事故が起きたフロアにおられた、ということですよね」
「はい。1年生の教室がある所ですから」
「ということは、やはり驚かれました?」
「はい。ものすごい音がしたので、驚きました。私が見た時は、既に男子生徒が挟まれた状態で、同じクラスの女子生徒が、涙目になって必死に叫び続けてました。それで――」
「学校側は、点検時に問題は見つからなかった、と言っていますが、どのような形で点検の報告を受けました?」
「えっと、校長先生のほうから直接、点検は終了しました、と知らせを受けました。その後、業者から連絡があったみたいで、その際に、別箇所で気になる箇所があるので、後日点検させて欲しい、ということでした」
「その場所は、事故が起きた3階と同じなのですか?」
「いえ。1階の、しかも事故現場とは反対側の校舎です」
「そうですか。では次の質問を――」
僕は耐えきれず、テレビの電源を落とした。それに伴い、椅子に座っていた母は立ち上がり、リモコンを握る僕の右手を、両手でそっと包み込んだ。
「北翔、お母さんの話、聞いて欲しいんだけど」
「何?」
「お母さんね、お父さんと一緒に、学校を訴えようと思ってるの」
「……」
最初、言葉が出なかった。こうした事故が起きて、学校を訴えるという話は、テレビの中の話というか、身近なところで起きるとは思っていなかったから。しかも、学校を訴えようとしているのが、自分の親ということに、脳内は思考を停止させる。
「さっきもニュースで報道されていた通りで、この事故のことを、学校側の責任だとは認めようとしてないの。それに、学校にいくら言ってもただ頭下げて謝るだけで、それ以外、何の対応もしようとしないの。それに、親からすれば、もう二度と、こういった事故が起きてほしくないの。だから、その為にも、学校と戦わないといけない。そう思っているの」
「……うん」
母の言うことは、分かる。分からなくもない。けれど……。
「だから、しばらくは北翔に辛い思いをさせると思うの。それでも、大丈夫?」
「大丈夫だよ。僕は、我慢できるから。それに、高校辞めるつもりだし。でも、父さんや母さんが、他の人から悪口言われたり、たたかれたりするのは、嫌だな」
「北翔……、親思いの子ね……うぅ……」
「母さん、別に泣くほどのことじゃないだろ」
「北翔が心配するほど、俺も母さんも弱くないわ」
父は口角を上げて、少しだけ歯を覗かせて笑った。母も、優しい表情で頷く。
「僕のせいでごめん」
「何言ってるの。北翔は何も心配する必要ないの」
「そうだよ。だから北翔、俺らに任せとけ。な?」
「ありがとう」
この日以降、両親は学校側と戦い始めた。ただ、学校側は勿論、そう簡単に自分たちの非を認めようとはせず、ただ一方で、両親もそう簡単に押し負けるほど弱くなく、色々なアプローチで常に強腰の状態で挑み続けた。
その間の僕はというと、退院後すぐ、高校へ母と共に出向き、退学したい旨を伝え、数日後、軽い感じで退学へと至った。学校側としては、僕のような生徒がいなくなろうが、何も関係ないらしかった。それはそうだ。落ちこぼれが集うC組の一員であり、高校にお金を落とすいい鴨なのだから。
「北翔、本当に良かったの?」
「いい。だって、あんな学校に通う必要ないだろ?」
「そうね。北翔にこんな怪我を負わせて、責任逃れしようとするんだもん」
「行くのも辛いし、こんな身体じゃ面倒だって」
「そうね……」
母の表情は曇った。僕は、勉強はそこまで、というより全然できないのに、ちゃんと高校に進学した。それは、バカでどうしようもない奴かもしれないけれど、いつか両親に恩返しをしたいという夢があったから。でも、その夢は断たれた。母が暗い表情をするのも、分からなくもなかった。だから、話を変えるために、ふっと明るい表情を浮かべ直す。
「あのさ、母さんにお願いがあるんだけど」
「何?」
「一人で買い物行きたくて」
「どこ行くの?」
「商店街。買いたいものがあるから」
「お母さんが買うよ。何が欲しいの?」
「ううん。絶対欲しいわけじゃなくて、実際に見てみないとだから」
「……そう」
「分かってる。無茶はしない」
「うん」
如実に嫌な顔をした母。こんな身体になって、そんな状態で、一人で買い物に行くのか、と言いたげだった。母は昔から、やんちゃばかりして、あちこちに怪我を負っていた僕のことを心配していた。それは中学を卒業してからも続いていて、なおさら、こんな身体になったからこそ、より心配しているのだろう。そういう時こそ、安心させるための気遣いを見せなければ。
「でも、帰りに母さんと行きたいとこあるから、あとで待ち合わせでもいい?」
「うん。どこで待ち合わせするの?」
「いつものコーヒーショップに、15時はどう?」
「そうね」
「じゃあ、僕、こっち行くから」
「気を付けてよ」
「分かってる」
僕は、嘘を言った。一旦母から距離を置きたかったのだ。買い物なんてするつもりもなかったのだから、そこまでのお金を持ち合わせていなかった。別に商品を買わなくても、ぶらっと入って出るぐらいのテンションを貫けばいいのだから。そういう面持ちで、学校にも商店街にも近い駐車場から、僕は車椅子を漕ぎ続けた。
その中で、気になる建物を見つけた。外観は洋館を意識したような感じで、入り口ドアの窓は、鳥とフルーツがデザインされたステンドグラスになっていた。パッと周りを見た感じでは、看板は見当たらず、ここが何の店なのか分からなかった。だからなのか、僕はその入口で車椅子の駆動輪を押す手を止め、上半身を伸び縮みさせながら、中の様子を窺い知ろうとしていた。
その時だった。ドアベルがカラカランとなる音と共に、一人の足音が聞こえた。ヒールを履いているようだった。
「こんにちは。よかったら、占ってあげましょうか?」
僕は声がした、その方へ上半身だけを向ける。そこには、全体的に華奢で、それなのにピンヒールのせいもあって高身長となっている女性らしき人の姿があった。首にはビーズのネックレスを、手首にはミサンガのような編み物のアクセサリーを付けていて、さらに顔には布タイプの仮面を付けていて、表情を読み取ることは不可能だった。
唐突に声を掛けられたこと、そして、僕の目の前にいる人物が女なのか、男なのか、将又別の性別なのか分からなかった僕は、首をガンガンに横に振って、「い、いえ。いいです」と裏返った声を発した。
この場から早く去ろう。得体の知れない人に、何を営む店か不明なところに連れて行かれるなんて、まっぴらごめんだ。踵を返そうと駆動輪に手をかける。その瞬間、背後から何者かによってブレーキがかけられた。
「ちょっと待って」占い師の声だった。まだ勧誘しようとするなんて、しつこい。僕は目を合わせず、「いいですから!」と叫ぶ。すると、占い師は僕の頭上から、クタクタになっているハンカチをちらつかせた。
「これ、落としたから声かけたんだけどな。あ……」
頭を後ろに倒すと、視界に映ったのは、ハンカチの一カ所を凝視している占い師の姿。右手の小指には絆創膏が巻かれていた。
「人の物勝手に見るなんて、サイテーっすね。それでも占い師っすか」僕は右手を伸ばして、ハンカチを無理やり引っ張って、奪い返す。その様子をカカカと引き笑いして馬鹿にする占い師。人として終わってると思った。
「結構な罵声浴びせるね、あんた最高じゃん」
「知りません」
「やっぱさ、占い、やっていきなよ。案外楽しいかもよ?」
「だから、占いに興味ないんで。拾ってもらってありがとうございました。さよなら」
一応拾ってもらったことに対して礼だけして、僕は再び駆動輪を触って、前に進み始めた。背後から、占い師が追いかけて来る様子はなかった。ようやく逃げられる。そう思った瞬間だった。「君さ、内に想い秘めるタイプだよね!」そう背後から声がした。確実に、僕に向かって叫ばれた言葉だった。
僕は思わず駆動輪から手を離した。ゆっくりと動きを止める車椅子。背後からでも分かる。占い師が顔を隠す布の向こう側で、ニヤニヤと笑っていることが。
「そうやって止まったってことは、ね?」
悔しかった。たった1分ぐらいのやり取りだったのに、僕の心の中を簡単に読み取られたのだから。
「よかったら、私に想いを聴かせてくれないかな。占いの一環として」
街行く人の視線が痛いほど突き刺さってくる。叫ぶぐらいなら、10歩ぐらい近づいて話しかければいいのに。僕は車椅子ごと振り返り、「今そんな大金持ってないし」と言い返してやった。すると占い師は店先に置いてあった看板を手に、高校生のところを指して、大きくアピールし始める。
「君、高校生でしょ? お代は千円だけど!」
僕はハッとした。さっきの会話の中で、一度も高校生だなんてワード、喋っていないのに。僕はもう一度、占い師の所へと戻った。その刹那、風が吹いたことにより、布の隙間から見えた占い師の表情。女性占い師は占めた顔をしていた。
「なんで僕が高校生って分かったんすか」
「ふふふ。私は占い師よ。嘗められちゃ困る」
僕はいつの間にか、この人の虜になっていた。そして、誘われるように、館の中へ車椅子ごと、足を踏み入れたのだ。
「改めて、ようこそ占いの館へ」
「そんな名前あったんすか」
「まあいいじゃないの。ふふっ、さあさあ、占いがてら、お話し聞きますよ。何でもお話しください」
僕の目の前には占い師が座るのみで、占いに使う道具らしきものは一切見えなかった。やっぱり詐欺かもしれない。嘗められちゃ困る。僕はそこまで甘ちょろい人間じゃない。
「そう言って、高い代金取ろうとしてんだろ」
「バレちゃった? ごめんごめん」
「揶揄うなよ。いい、やっぱ帰るんで」
駆動輪に手を掛ける。その瞬間、占い師は机の上で両手を組んで、布越しに僕のことを見る。
「好きに喋っていいって言われても、困るんだろ。思ってること、考えてること多すぎて」
「……ッ」
「図星だ。じゃあさ、私が質問するからさ、そのことに対して答えてよ。それならいいでしょ?」
ニヤッと猫みたいに目を細めて笑った占い師。僕は手をひざ元に戻した。拾ってもらったハンカチ。隅っこには、あのときの血が滲んだままになっていた。