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代行サービス、運否天賦です  作者: 成城諄亮
第5生 東北翔
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第5話

 僕は長い夢を見ていたようだった。場所は、どこか知らない、昔の會舘のようだった。そこで開かれていた舞踏会。ポツンと立つ僕に、背の小さな女の子が近づいてきて、こう声を掛けてきた。「私と一緒に踊りませんか?」と。仮面の向こうに隠れた素顔を知らないまま、僕は彼女と手を取り合って踊り始める。その女の子は大きなレースの髪飾りを付けていて、向日葵のような色味のドレスを見に纏っていた。


僕は見様見真似で、彼女の動きに合わせて踊った。仮面にある小さな穴から周りを見ても、それぞれ動物の仮面をつけた男女たちが手を取り合い、蓄音機から流れるジャズに合わせて、優雅に、しなやかに踊っていく。


「あの」

「踊りが終わるまで、会話は厳禁ですわよ」


上品に彼女は笑う。僕は「すみません」と謝罪して、訳も分からないのに、踊りを続けた。その最中、頻りにぶつかりそうになるも、彼女が細い腕で強引に僕を引っ張っては、身体を寄せ合った。ここまで女性という性別の人に近寄ったことがなく、僕の鼻の下は伸び放題だった。


 蓄音機から流れる音楽は、次第に静かになっていく。それと共に、踊り終えた仮面姿の人たちは、拍手をして、互いに抱き合っていく。そういうものなんだと思った僕は、両手を広げ、彼女を腕の中に収めようとした。が、その瞬間、床が抜け、目の前にいた彼女は落ちていった。周りは、僕のことを仮面越しに見つめる。そして、口々にものを言い始める。でも、その言葉は歪んで聞こえ、僕の耳の奥を刺激するものだった。その中でも、僕の耳に、脳に、はっきりと届いた声があった。下から彼女のものと思われる叫び声だけが聞こえる世界。僕は目を閉じ、耳を閉じ、窓の外から飛び降りた。


 目を覚ますと、淡いクリーム色の天井と目が合った。すぐ横では、僕の名前を呼ぶ声とともに、泣き声まで聞こえてきた。その声がしたほうを向く。そこには、顔を覆っている母の姿と、その母の背中を擦る父の姿があった。


「北翔……!」


涙声の母は、身体を起こそうとする僕の身体を、ぎゅっと力強く抱きしめた。そのとき、確かにあるはずの右足からも左足からも、何の感覚も感じられなかった。


「母さん、なんで泣いてるんだよ。大丈夫、ほら、僕、元気だから」

「……」

「どうしたんだよ」

「北翔、お母さんのせいで、ごめん。本当にごめんね……」

「なに、が……?」


 母は、僕から視線を逸らすように、再び涙を目に浮かべる。一方の父も、ゆっくりと立ち上がって、僕のことを抱きしめる形で姿勢を低くした。その刹那、僕の目に、そっと置かれている車椅子が飛び込んできた。それだけで、なんとなく察することができた。だからか、と。


 僕を包む母の手が離れた瞬間、母は僕の両足がある辺りを何度も、何度も撫で続けた。布団と手が擦れる音だけが、虚しいくらいに響いていく。その時だった。僕の入院する病室へと近づいてくる2人分の足音。一人は堂々と大胆に、もう一人は控えめな歩幅で歩いてきていた。


 少しだけ閉められたカーテンの隙間から見えた、男性と女性の姿。2人に対し、両親は揃って頭を下げる。


「こんにちは」

「こんにちは。お世話になります」

「いえいえ」


「こんにちは。初めまして、東北翔君」30代ぐらい、白衣姿の高身長イケメンが頭を下げる。「こんにちは……?」戸惑い気味に答える僕。すると男性は表情を綻ばせて、僕の目をしっかり見つめる。


「急に来られたら、まあ普通驚くよな。ははは」

「あ……」

「私は君の担当医の、朝倉久臣だよ。よろしくお願いするよ」

「お願いします」


僕も自然な流れで、スッと頭を下げる。その際、手首に巻かれてある包帯が目に映り、そのまま注視した。すると朝倉さんは流れるような頷きをした後、「それ、気になるよな」と、僕の気持ちを察すような声色で言ってきた。


「まあ……」

「そのことも含めて、いきなりで申し訳ないんだが、東君の病状を、簡単に説明したいんだが、いいかい?」

「あ、はい」


朝倉さんは僕の目の前から、カーテンが閉められる位置へと移動した。その代わり、ベッドサイドに立っていた両親は、朝倉さんと共に訪ねてきた看護師とともに、その場を離れていった。


「改めて、よろしく」

「お願いします」

「挨拶できて偉いな。俺が診てる高校生の子たちなんて、反抗期だからか、ろくに挨拶しようとしないのに。ははは、見習ってほしいぐらいだよ」


 朝倉さんは苦笑いを浮かべる。僕は引き気味の笑みを浮かべる。


「あ、失礼失礼。余談だったよ。さあ、本題に入ろうか」


座っている僕の下半身に掛けられた布団。そこに手を置き、ゆっくり上下に触る朝倉さん。そこにあるはずの両足は、朝倉さんの手の動きを、まったく感じ取ろうとしなかった。


「今、俺が東君の右足を触っているんだけど、感覚はあるかい?」

「ない、っす」

「うん。ないよね」


今度は、左足のある辺りを、右と同じように触り、「左足を触られてる感覚は、どう?」と、ないと答えるのが当たり前みたいな口調で訊いてきた。そのことに対し、断言するように「ないです」と口を開く。


「あの、僕の病状について、早く教えてくれません?」

「構わないよ。ただ、落ち着いて、深呼吸しながら聞くように。いいな?」


担当医、朝倉さんの話によると、どうやら僕は、あのとき、落ちてきた天井の塊と床との間に挟まれた後、通報を受けて駆け付けた救急隊員らに引き出され、そのまま病院に運ばれて治療を受けたものの、落ちてきた塊の当たった箇所が悪く、下半身不随になったらしかった。今まで散々、不幸な出来事に振り回されてきた人生だったが、今回ばかりは、そう簡単には立ち直ることもできないほどの、人生最悪の不幸に巻き込まれたのだ。そうとしか思えなかった。


「それでだ、こうなってしまった以上、これからは車椅子での生活になるけれど――」


穏やかな口調を心がけているであろう、朝倉さんが放つ言葉が、どうしても上手く噛み砕けず、飲み込むことができなかった。


 朝倉さんの説明が終わった後、病室に帰ってきた両親は、もう一度僕のことを抱きしめて、何度も謝罪の言葉を述べ続けた。こればっかりは、両親は何も悪くない。どちらかといえば、僕が、そして僕を不幸体質にさせた祖母が悪いのだ。僕がちゃんと祖母の言うことを守って、大人しく遊んでいれば、不幸な体質へ変化させられることはなかったはずだから。あぁ、まただ。またこうやって、僕は僕に対して、たらればの話を言い聞かせる。


「もう、泣くなよ。僕まで悲しくなるから」


両親に向けて言った慰めの言葉は、僕自身の心に言い聞かせるものでもあった。いくら高校生になったからといって、心も大人になるわけじゃない。意外と僕の心はもろくて、ちょっとしたことで傷つくぐらいだ。それでも、今まではたぶん我慢してきたんだと思う。親に迷惑かけないように、心配かけないように、自分が辛い思いをしていることを隠さなきゃ……。いまにも張り裂けそうな気持を、ぐっと、ぐっと強く抑え込む。


「僕は大丈夫だよ。これぐらい、何ともないから」

「何ともないわけないでしょ」

「そうだよ、北翔。強がるな」

「強がってるわけじゃないから。ホント、僕は大丈夫」

「でも――」

「父さんも母さんも、仕事あるだろ? 僕のために大切な休み取らなくていいから」


 限界だった。今日はこれ以上、両親の顔を見たくなくて、見たら泣いてしまいそうだったから、必死に抵抗した。母は心配そうな表情で僕のことを見つめる。その背中にそっと手を添えた父。母の耳元に、小声で囁いて、小さく頷いた。


「北翔、明日また仕事帰りにお父さんと一緒に来るから」

「分かった。でも、無理しないで。父さんも」

「ありがとう」

「うん」

「じゃあ、また明日ね」

「はーい」


 翌日から、両親は仕事帰りに揃って僕の病室を訪ねて、色々サポートしてくれた。あとから聞いた話によると、父も母も会社に頼み込んで、できるだけ定時で上がらせてもらうよう、仕事量を調整してもらっていたらしかった。僕は、結局両親に心配をかけるし、迷惑をかけるしで、ダメで頼りない息子なんだと、改めて実感させられたけれども、毎日会いに来てくれることは嬉しかったし、心の拠り所でもあった。その旨は、後日、ちゃんと伝えようと決意した。


 事件から5日が経過した日の夕方、金下が学校帰りに僕の病室を訪れた。普段とは異なり、メイクもしていなければ、髪色も控えめなブラウンになっているし、特徴的な目を腫らしている状態だった。


「別に来なくてもいいのに。もうすぐ中間だろ? 勉強しなくていいのか?」

「……」

「突っ立ってられるの、迷惑なんだけど」

「……めん」

「え」

「ごめんなさい」


 金下は僕の眼の前で頭を下げた。向かいのベッドに入院している高齢男性は、金下の下半身に目を向ける。すると、その視線の先に気が付いた家族が、申し訳なさそうにカーテンを閉めていく。そして数秒後、女性が高齢男性を叱るような声がした。


「顔、上げなよ」

「……」

「カーテン閉めてくれるか。こんなとこ、見られるの嫌だろ」

「あ、うん」


 カーテンが閉まる。金下はベッドサイドに置かれてあった椅子に腰かけ、そして俯いた。


「車椅子、邪魔じゃないか?」僕の問いに、金下は首を振って応える。それ以外の反応は見せないで、ただ座っているだけ。他にも、何気ない感じで、学校はどうかと聞いてみたり、試験勉強をしているか聞いてみたりするものの、うんともすんとも言わないで、銅像のように、同じポーズを取り続ける。


「なんか、喋れよ。気まずいだろ」

「……」

「喋らないなら、帰れば? 自分の意思で来たんだろうけどさ」


 正直このまま居座られるのは勘弁だと思っていた。もうすぐ17時を迎えようとしている。毎日のことながら、今日も両親が仕事終わりに、一緒に見舞いに来ることになっている。だから、せめてそれまでには話をして、帰ってもらっておきたかったのだ。


しかし、一向に喋る気配のない金下。痺れを切らした僕は、無理やりにでも理由をつけて、帰ってもらおうと思った。が、ずっと俯いたままの金下が、いきなり、徐に顔を上げて、僕の目をみて、こう呟いた。


「私のせいで、ごめん」


金下は、泣いていた。目から大量の涙を溢し、鼻先や耳を真っ赤に染めている。


「私のせいで、北翔君の生活、変えることになった」


隣に置いてある車椅子に目を向ける金下。そして、再び僕のことを見る。僕の視線の先には、触られても感覚のなくなった両足が映っていた。


「これは、金下のせいじゃないだろ」

「私が、引き留めたから。あのとき、お祓い受けてたら、こんなことには」

「お祓いなんて関係ないから」

「あのとき、北翔君に気付いてても話しかけなかったら……」


「私、北翔君と拘わることで、自分が不幸な出来事に巻き込まれて、それで家業を継げなくなる身体になろうなんて、そんなバカなこと考えてたから。それで、もしお祓いを受けて、北翔君の体質が改善されたらどうしようかと思って。私の身勝手な行動が……、行動が、北翔君の未来を奪ってしまった……。私が、あんな行動してなかったら――」


 金下は椅子から崩れ落ち、ベッドに顔を埋めて、忍び泣き始めた。押し殺した声が、僕の胸を締めつけてくる。「あのとき○○していたら、あのとき○○しなかったら、こんなことにはならなかった」その言葉は、自分が自分に言い聞かせるように使ってきた言葉で、もう使い古したし、聞き飽きてもいた。それなのに、他人の口からその言葉を聞くと、なぜか感情が昂る気がした。


「たらればの話、しないでもらえるか」


金下は肩を上下させ、背中を震わせ続ける。僕は、感覚のない両足をずっと触り続ける。昔の感覚を思い出させるみたいに。


「言っておくが、僕が不幸体質なだけであって、それで巻き込まれた事故だ。金下は一切関係ない。だからいつまでも引きずるな」


 何度触っても、感覚は戻らない。痛いとも、かゆいとも、何とも感じない。少し前まで、落ち着かないから、という理由で歩き回っていたのに。


「それに、あれは完全に学校側の問題だ。ちゃんと修理してれば、こんな事故は起きなかったはずだからな。多分、治療代の少しぐらいは補償されるだろうと思うから」

「……」

「そこは、そうだね、とか言えよ。賢いなら、それ相応の返事ができるだろ」

「知らないの……?」

「何が」


 腫れぼったい瞼の下。黒目を震わせる金下は、僕に視線を合わせようとしないで、掠れた声で呟く。「学校側、今回のこと、“不運な事故”で片付けようとしてる」と。窓の外から聞こえる、17時を知らせるチャイム。メロディは、僕を現実世界へと引き戻そうとする。


「え、何それ……」

「『夏休み中に点検した際には、異常は見つからなかった』って、会見でそう釈明してる」

「うそ、だろ」

「今日夕方のニュースで報道されると思うから、見たほうがいいよ」

「……っか」


 僕は布団の上に置いてあったスマホを手に取る。その際、手が左足に触れた。感覚は、あった。


「信じたくない気持ちは、私も一緒だから」


 涙を拭った金下は、ゆっくりと立ち上がり、鞄を両腕で抱える。その際、膝下にできた傷痕に目がいった。左の方には、まだ絆創膏が貼られている状態だった。


「こんなこと、言いに来たつもり、なかったんだけど、ね」

「重たい話させて悪かった。わざわざ、来てくれてありがとうな。試験、頑張れよ」

「うん」


少し鼻声で呟き、頷いた金下は、丁寧な手つきでカーテンを開いた。一部始終を見ていても、どこからも馬鹿な演技は見受けられなかった。僕は既に、金下を見送る気満々でいたために、不器用ながらも、身体を捻りながら座り直し、カーテンを開く金下の背中を見つめていた。そのとき、金下は「ねえ、北翔君」と言って、軽く振り返り、僕に視線を向けてきた。


「ん?」

「学校、戻ってくるよね」

「……今は何とも、言えないな」

「……そっか」

「うん……」

「でも私、どんな姿の北翔君でも、大好きだから。戻ってくること、信じてるから。じゃあね」


 金下は風にさらわれたように、僕の前から姿を消した。そして、風の便りで耳にした。僕に会って以来、金下は学校に来なくなり、2学期末でそのまま退学したそうだった。


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