第3話
解消しきれない諸問題を抱えたものの、何とか無事に小学校を卒業できた僕。ただ、小学校生活とは打って変わって、中学校生活は大荒れだった。なぜなら、僕はクラスメイトとの折り合いが悪くなって、転校させられたから。
問題が起きたのは、中学1年の6月だった。体育の授業が始まってすぐ、ペアを組んで柔軟体操をすることになり、半ば強制的にペアを組まなければならなかった。体育の授業は学年全員が参加して行われていたが、女子は偶数なのに対し、男子は奇数。男子は欠席の生徒がいない限り、必ず1人が“あまりもの”になってしまう。その“あまりもの”に、僕は必ずなる存在だった。
でも、この日はちょうど隣のクラスの男子が欠席していて、僕はあまりものにならなくて済んだのだった。ただ、このことが問題だった。その欠席した男子は、まさかの壱琉。そして、別の男とペアを組まなければならなくなった男子は、もちろん宗治。宗治と壱琉の間には、小学生時代から着実に築き上げてきた固執の絆があった。
周りの男子たちは、冷ややかな目で僕のことを見てきた。誰も、可哀想だとか、代わってあげようとか、そういう気持ちの眼をしている人はおらず、女子にいたっては、誰も宗治に目を合わせないような動きをしていた。
「おい、テメエ、俺様に触るな。ケガレがうつるだろ」
「触らなかったら、体操できないけど?」
「俺様はこんなバカげた体操しなくても、十分柔かいし」
このときの宗治は、俺様が一番だ! みたいな口調をしていて、横柄な態度を取るようになっていた。クラスメイトだけでなく、先輩や先生にも刃向かっていて、それなのに、下僕の壱琉がいなければ何もできない、という孤独な人だった。しかし、幼少期から通っている器械体操の教室では、通っている生徒の誰よりも優秀で、大会では表彰台常連になっているほどの実力の持ち主。そのこともあって、宗治は将来を期待されている人材でもあった。
確かに、動きをみた感じ、誰よりも身体の動きがしなやか、かつ柔軟で、軟体動物みたく見えた。じゃあわざわざ体操しなくてもいいじゃん、とも思ったし、しなくて怒られるのも面倒だし、とも思った。けれど、まあこの後、体操のために触ったとして、授業中、彼に不幸があっても困るし、と思った僕は、「じゃあ、しなくていいじゃん」と、意のままに伝えた。
「ああ。最初からテメエとなんかするつもりねえし」
「そうだよね。知ってる」
「じゃあ、いちいち口に出して言ってんじゃねえ。うるせぇから黙れよ」
「うん」
僕なんかが固執の絆の間に入り込めるわけもなく、速攻でアッパーを食らい、その場に倒れ込む形でアウトとなった。その後、準備体操としての柔軟が終わると、体育教員の呼びかけで、男女混合による、試合形式のバスケが行われることとなった。そして、このバスケの試合中に、僕の人生を左右する出来事が巻き起こるのだ。
試合終盤、僕のクラス(1組)チームが、宗治擁する2組チームに対し、6点のリードをしている状況。次第に動きが鈍り始める生徒たちに対し、宗治は柔軟さを活かした動きをし、必死に点差を埋めようとしていた。けれど、周りは宗治の動きに合わせようとはしない。それはそうだ。自分が1番偉い立場にいる、という自意識過剰なタイプは大変なのだろう。ろくに点を取っていないにも拘わらず、バスケ部の部員たちに指示を出して、動かなければ叱る始末なのだから。
「的場! 俺様にボールよこせ!」
バスケ部員の的場は、同じ部に所属する、宗治よりは信頼しているであろう高田にボールを投げ渡す。歯を食いしばって、悔しがる宗治。今度こそは、と一人で意気込み、仲間がドリブルするボールを奪い、「俺様が決めてやる!」と言って、思い切りジャンプした。その瞬間、ボールがバックボードに直撃した音と共に響いた、宗治が着地した鈍い音。
生徒、教員皆の視線が宗治に注がれる。足首を抱えた状態で蹲り、ブルプルと震える宗治の姿が、そこにはあった。
そこから、僕の記憶は曖昧になった。おそらく、予想だにしない状況に対して、落ち着きを失くしたのだろうと思う。自分に意識が戻った、という感覚になったとき、僕は保健室にいた。座った状態、しかも体操服を着たままで、目の前には女の保健教諭と男の担任がいて、「どうだ、北翔、落ち着いたか?」担任は僕の顔を覗き込むように訊いてくる。威圧感がすごかった。
「えっと……」
「パニック状態になってたんだけど、なんでそうなったか覚えてるかな?」
「ううん」
「まぁそうか。仕方ないか」
担任は唸り声を出しながら腕を組んで、ぼそぼそと独り言をつぶやく。
「安本先生、どうされます? 東君、教室に戻らせますか?」
「いや、今日は早退させよう。俺はこの後、宗治の様子も見に行くし、授業といっても俺の授業で、しかも自習だ。またパニックなられても困るからな」
「それもそうですね」
僕は目の前で繰り広げられる会話の内容が、右耳から入っては左耳から出て行くような状態で、何ら頭に残ってはいなかった。そして、40分後に母が迎えに来るまで、保健室にて、保健教諭により監視され続けた。逆に落ち着いていられなかったというか、ずっとそわそわしていた。
後日聞いた話だが、このバスケでの事故により、宗治はこの先、器械体操の世界には戻れないという判断が担当医師から下ったそうだ。小学4年生のときに、今回と同じ場所を傷めていて、今回の件でさらに深い傷を負い、これ以上無理にでも選手を続けるならば、将来歩行が困難になるということだった。クラスメイトたちは、宗治のことをとても心配していた。そりゃそうだ。同級生から有名人になる人が現れるかもしれないという、変な期待感に駆られているのだから。
当の本人は、なぜ柔軟体操をしなかったのか、という教師や親からの問いに対し、「北翔が真面目にやってくれなかったから」と言って、一向に自分の非を認めようとはせず、僕のせいにし続けた。ただでさえ、権力者の宗治には敵わないのに、言葉による反撃がうまくできない、そんな弱さを持ち合わせているから仕方ないのだとは思えた。けれど、何より、大人が誰一人として僕の話に耳を傾けず、立場の弱い僕を利用したという点が悔しくて仕方なかった。
地元紙はこの出来事を、何よりも大々的に取り上げた。そこから一気に、蔓延るようにして世に知れ渡り、全国のニュースでも連日のように報道されるようになった。そこでもやはり、同級生との準備がうまくいっていなかったとか、教職員によるその生徒への指導が足りていなかったとか、この事件の発端(元凶)にされた僕。
事件の3日後、宗治の入院する病院に呼び出され、怪我の状態をわざとらしい、難しい言葉で説明された後、宗治の両親から謝罪を求められた。その挙句、「もうこの子には金輪際拘わるな」、「転校してくれ」と泣いてせがまれ、宗治からも、「クズ、さっさと俺様の前から消えろ」と言われる始末。僕は再び、想いの籠らない「すみませんでした」と簡単な謝罪のみをそこに残し、病室を出たのだった。
こうして僕は転校を余儀なくされ、母型の実家がある地域へと両親と共に引っ越した。県を跨いでの引っ越しは、僕にとって居心地の良いものになりそうな予感がしていた。僕が不幸体質だということを知っているのは、僕自身と両親のみ。僕に不幸体質を授けた祖母は知っているのかもしれないが、今までそういった話をしてこなかったから、どうなのか知らないでいる。
引っ越ししてから1週間は、荷解きと手続きに追われる生活を送った。会社に勤めていた両親は一度退職し、父は元に務めていた会社と同系列の会社へ就職、母は実家近くの介護施設で働くこととなった。母の実家から、新たに僕が通うことになる中学校へは、直線距離で500mほど。もし仮に、僕がパニックになることがあっても、すぐに駆け付けられるという理由のみで職場を選んだ母。僕は未熟者なのだと思うと同時に、早く一人前になりたいとも思えた。
始業式以降、僕の新しい学校生活が始まった。最初は、転校生というだけで異質扱いされたものの、特に僕が不幸体質だということには気づいておらず、偽りだらけの、隠しごとだらけの僕を、同級生たちは“ありのままの僕”だと受け入れた。
そのこと自体が居心地の良いものかと言われれば、そうとは言えなかった。例えば、僕が転校してきてから、体育の授業が外であるときに限って、予報にもない雨が降る、とクラスメイト何人からも指摘されたり、僕と会話し終え、歩き出した直後、何もないところで躓くようにして転ぶことが多くなった、とか、あるいは、よく傷を創ってるよねと言われたりするようになったのだ。僕の不幸体質は自分自身に降りかかるものだけでなく、何の罪もないクラスメイトや先生たちすらも、平気で巻き込んだりする。それなのに、両親にだけは、なぜか今まで一度もそういったことは起きていない。それもこれも、多分、“祖母”がかけた魔法が原因なのだろう。
自分にとって可愛くて仕方のない娘と、その旦那に対して不幸が降りかかるのは避けたい。けれど、私の言う通りに動けず、汚れてばかりの孫や、その孫に取り巻く人間は不幸になってもいいのだ、という思惑があるに違いない。まぁ、どこまでいっても僕の見解に過ぎない。だって、魔法をかけた本人に確かめることができないのだから。
こんな感じで、転校した先の中学校生活においても、変わらず僕自身や僕の周りの人達に小さな不幸が降りかかり続けた。まるで、白米の上にかけられるフリカケのような小さな粒は、次第に結束力を増していって、やがて、大きなひと塊となってしまう。